gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

神を喜ぶ方法 How to Enjoy God

2024-08-14 07:43:23 | 日記
神を喜ぶ方法
How to Enjoy God

あなたや私は神を崇拝するために創造されました。しかし、なぜ神は崇拝を受けるために人間を創造したのでしょうか。これは、ある人が言うように、まったくの虚栄心ではないでしょうか。
You and I are created to worship God. But why would God create human beings in order to receive their worship? Is this not, as some suggest, pure vanity?

何年も前、私は C.S. ルイスの『詩篇の考察』で、礼拝について理解する助けを得ました。ルイスはこう書いています。「賛美に関する最も明白な事実が… 不思議なことに私にはわかりませんでした… すべての「楽しみ」が自然に賛美にあふれ出ることに私は一度も気がつきませんでした… 世界は賛美で鳴り響いています… 歩行者は田舎を賛美し、プレーヤーはお気に入りのゲームを賛美します。天気、ワイン、料理、俳優、馬、大学、国、歴史上の人物、子供、花、山、珍しい切手、珍しい本、時には政治家や学者までも賛美します…
Many years ago, I was helped in my understanding of worship through C.S. Lewis’s explanation in his *Reflections on the Psalms*. He wrote: ‘The most obvious fact about praise… strangely escaped me… I had never noticed that all *enjoyment* spontaneously overflows into praise… the world rings with praise... walkers praising the countryside, players praising their favourite game – praise of weather, wines, dishes, actors, horses, colleges, countries, historical personages, children, flowers, mountains, rare stamps, rare books, even sometimes politicians and scholars…

「私たちが楽しんでいるものを褒めるのは、褒め言葉が単に楽しみを表現するだけでなく、楽しみを完成するからだと思います。それは楽しみの定められた完成なのです。恋人たちがお互いにどれだけ美しいかを言い続けるのは、褒め言葉からではありません。喜びは表現されるまで不完全です。」
‘I think we delight to praise what we *enjoy* because the praise not merely expresses but *completes* *the enjoyment*; it is its appointed consummation. It’s not out of compliment that lovers keep on telling one another how beautiful they are; the delight is incomplete till it is expressed.’

言い換えれば、礼拝は喜びの完成です。私たちの喜びは、礼拝で表現されるまで完成しません。神はあなたへの愛から、あなたを礼拝するために創造されました。*ウェストミンスター小教理問答*によると、人類の「主な目的は神を讃え、永遠に神を*喜ぶ*ことです」。
In other words, worship is the consummation of joy. Our joy is not complete until it is expressed in worship. It is out of his love for you that God created you to worship. According to the *Westminster Shorter Catechism*, humankind’s ‘chief end is to glorify God and to *enjoy* him for ever’.

詩篇 98:1-9 NIV [1] 主にむかって新しい歌を歌え。主は不思議な御業をなされた。その右の手と聖なる腕は、主のために救いを成し遂げた。[2] 主はその救いを知らせ、その義を諸国の民に示された。[3] 主はイスラエルに対するその慈しみとまことを覚えておられる。地の果てまでも、われらの神の救いを見た。[4] 全地よ、主にむかって喜びの声をあげ、喜びの歌を歌え。[5] 立琴を奏で、立琴と歌声とをもって主にむかって音楽を奏せ。[6] ラッパと角笛の音をもって、王なる主の前に喜びの声をあげよ。[7] 海とその中にあるすべてのもの、世界とその中に住むすべてのものよ、響き渡れ。[8] 川よ、手を打ち鳴らせ、山々よ、共に喜び歌え。 [9] 主の前で歌いましょう。主は地を裁くために来られるからです。主は正義をもって世界を裁き、公平をもって諸国の民を裁かれるでしょう。

Psalms 98:1-9 NIV [1] Sing to the Lord a new song, for he has done marvelous things; his right hand and his holy arm have worked salvation for him. [2] The Lord has made his salvation known and revealed his righteousness to the nations. [3] He has remembered his love and his faithfulness to Israel; all the ends of the earth have seen the salvation of our God. [4] Shout for joy to the Lord, all the earth, burst into jubilant song with music; [5] make music to the Lord with the harp, with the harp and the sound of singing, [6] with trumpets and the blast of the ram’s horn— shout for joy before the Lord, the King. [7] Let the sea resound, and everything in it, the world, and all who live in it. [8] Let the rivers clap their hands, let the mountains sing together for joy; [9] let them sing before the Lord, for he comes to judge the earth. He will judge the world in righteousness and the peoples with equity.

歌と音楽
Singing and music

詩篇作者は人々に、歌と音楽で神を礼拝するよう呼びかけています。「主に新しい歌を歌いなさい。…喜びの歌を歌い、主に音楽を奏でよ」(1、4~5節)。
The psalmist calls people to worship God in song and music: ‘Sing to the Lord a new song… Burst into jubilant song with music; make music to the Lord’ (vv.1,4–5).

この詩篇は、人々がさまざまな方法で神の善良さを祝うように求められているため、騒々しさに満ちています。神を祝うために、歌い、喜びの声を上げ、楽器を演奏し、拍手さえするようにという呼びかけがあります。
This psalm is full of noise, as the people are asked to celebrate God’s goodness in a whole host of different ways. There is a call to sing, shout for joy, play instruments, and even applaud in our celebration of God:

「皆さん、神を讃えよ!

|| 思い切り歌おう! バンドを編成しよう!

オーケストラを集めて神のために演奏しよう。

|| 100人の合唱団を加えよう。

トランペットと大きなトロンボーンをフィーチャーしよう。

|| 王なる神への賛美で空気を満たそう。

海と魚が拍手喝采しよう。
|| 地上に生きるすべての生き物が加わろう」(4~7節、MSG)。
‘Shout your praises to God, everybody!
|| Let loose and sing! Strike up the band!
Round up an orchestra to play for God,
|| Add on a hundred-voice choir.
Feature trumpets and big trombones,
|| Fill the air with praises to King God.
Let the sea and its fish give a round of applause,
|| With everything living on earth joining in’ (vv.4–7, MSG).

これはすべて、神が私たちのためにしてくださったことに対する応答です。あなたは救い主(1-3節)、王(4-6節)、裁き主(7-9節)である主を礼拝するよう召されているのです。
This is all a response to what God has done for us. You are called to worship the Lord who is Saviour (vv.1–3), King (vv.4–6) and Judge (vv.7–9).

これをイエスの視点から読むと、これは預言的な詩篇であることがわかります。イエスは神の「右」に座し、「救いを成し遂げた」(1節)方です。イエスは神の救いを知らせ、「神の義を諸国の民に明らかにした」(2節)。(ローマ3:21も参照。)
As we read this through the lens of Jesus, we can see this as a prophetic psalm. Jesus is the one at God’s ‘right hand’ who has ‘worked salvation’ (v.1). He has made God’s salvation known and ‘revealed his righteousness to the nations’ (v.2). (See also Romans 3:21.)

救い主が地上を裁くために来られるとき、万物の普遍的な回復が喜びをもって待ち望まれます (詩篇 98:9)。そのとき、すべての被造物は回復されます (7-8 節)。聖パウロはこう述べています。「被造物は、神の子らが現れることを切望して待ち望んでいます。…被造物自体が、滅びの束縛から解放され、神の子らの栄光ある自由へと導かれるのです」(ローマ 8:19-21)。
There is a joyful anticipation of the universal restoration of all things when the Saviour will come to judge the earth (Psalm 98:9). Then all creation will be restored (vv.7–8). As St Paul puts it, ‘The creation waits in eager expectation for the children of God to be revealed… the creation itself will be liberated from its bondage to decay and brought into the glorious freedom of the children of God’ (Romans 8:19–21).

この詩篇は、神の民の礼拝共同体(詩篇 98:1–3)からすべての人々(4–6節)、そして最終的にはすべての被造物(7–9節)へと、次第に高まる賛美のクライマックスです。
This psalm is a growing crescendo of praise – from the worshipping community of the people of God (Psalm 98:1–3), to all people (vv.4–6) and finally to all of creation (vv.7–9).

主よ、私はあなたを崇拝します。私を救ってくださり、ありがとうございます。あなたの愛と誠実さに感謝します。喜びと歓喜の歌、音楽、叫びをもってあなたを崇拝できることに感謝します。あなたの裁きの公正さに自信を持てることに感謝します。あなたは正義をもって世界を裁き、公平をもって人々を裁かれるでしょう。
Lord, I worship you. Thank you for saving me. Thank you for your love and faithfulness. Thank you that I can worship you with joy, jubilant songs, music and shouting. Thank you that I can be confident in the fairness of your judgment – you will judge the world in righteousness and the people with equity.

1 コリント 11:2-34 NIV [2] 私は、あなたがたがすべてのことに私を覚えていて、私が伝えた伝統をそのまま守っていることを称賛します。[3] しかし、私はあなたがたに知ってほしいのです。すべての男の頭はキリストであり、女の頭は男であり、キリストの頭は神です。[4] 男は皆、頭に覆いを着けて祈ったり預言したりすると、自分の頭を辱めます。[5] しかし、女は皆、頭に覆いを着けずに祈ったり預言したりすると、自分の頭を辱めます。それは、頭をそっているのと同じです。[6] 女が頭に覆いを着けないなら、髪を切ったほうがよいでしょう。しかし、女が髪を切ったり、頭をそったりすることが恥ずべきことなら、頭に覆いを着けなさい。[7] 男は神の似姿であり栄光であるので、頭に覆いを着けてはいけません。しかし、女は男の栄光です。[8] 男は女から生まれたのではなく、女は男から生まれたのです。 [9] 男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのです。[10] そういうわけで、女は天使たちの前で自分の頭を支配する権利を持つべきです。[11] しかし、主にあっては、女は男から独立しておらず、男も女から独立してはいません。[12] 女が男から生まれたように、男も女から生まれます。しかし、すべては神から出ています。[13] あなたがた自身で判断しなさい。女が頭にかぶり物をしないで神に祈るのは、ふさわしいことでしょうか。[14] 物事の本質があなたがたに教えているではありませんか。男が長い髪をしていたなら、それは彼の恥辱です。[15] しかし、女が長い髪をしていたなら、それは彼女の栄光です。長い髪は彼女に、かぶり物として与えられているからです。[16] もしだれかがこのことで論争したがるなら、私たちには他の習慣はありませんし、神の諸教会にもそうはありません。[17] 次の指示については、私はあなたがたを称賛しません。あなたがたの集会は、益よりも害をもたらしているからです。 [18] まず第一に、あなたがたが教会として集まるとき、あなたがたの間に分裂があると聞いています。そして、ある程度、私はそれを信じています。[19] あなたがたのうちだれが神に認められているかを示すためには、あなたがたの間に意見の相違がなければならないのは当然です。[20] ですから、あなたがたが集まっても、聖餐を食べているのではありません。[21] 食事をするとき、あなたがたのうちのある者は自分だけの夕食をとっています。その結果、ある者は空腹のままで、ある者は酔っぱらうことになります。[22] あなたがたには、食べたり飲んだりする家がないのですか。それとも、神の教会を蔑んで、持たない者をはずかしめるのですか。私はあなた方に何と言ったらよいでしょうか。私はあなた方をほめたたえるべきでしょうか。このことについては、決してそうではありません。[23] 私は主から受けたものを、あなたがたにも伝えたのです。主イエスは、渡される夜、パンを取り、[24] 感謝をささげてからそれを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための私の体です。 「この杯は、わたしの記念として、これを行いなさい。」 [25] 夕食の後、イエスは杯も同じようにして言われた。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしの記念として、これを行いなさい。」 [26] あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせているのです。 [27] ですから、ふさわしくないままでパンを食べたり、主の杯を飲む人は、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。 [28] パンを食べたり、杯を飲む前に、おのおの自分をよく考えなさい。 [29] キリストのからだがわきまえないで食べたり飲んだりする人は、自分自身にさばきが下るのです。 [30] そのために、あなたがたの中には弱い人や病人が大勢いますし、眠りについた人も大勢います。 [31] しかし、もし私たちが自分自身についてもっと分別がわきまえていたなら、このようなさばきを受けることはなかったでしょう。 [32] しかし、このように主から裁かれるのは、私たちが最終的に世と共に罪に定められないための懲らしめなのです。[33] ですから、兄弟たち、食事のために集まるときは、皆で一緒に食べなさい。[34] 空腹な人は、家で何か食べなさい。そうすれば、一緒に集まるときに、裁きを受けることはありません。私が行ったら、さらに指示を与えます。

1 Corinthians 11:2-34 NIV [2] I praise you for remembering me in everything and for holding to the traditions just as I passed them on to you. [3] But I want you to realize that the head of every man is Christ, and the head of the woman is man, and the head of Christ is God. [4] Every man who prays or prophesies with his head covered dishonors his head. [5] But every woman who prays or prophesies with her head uncovered dishonors her head—it is the same as having her head shaved. [6] For if a woman does not cover her head, she might as well have her hair cut off; but if it is a disgrace for a woman to have her hair cut off or her head shaved, then she should cover her head. [7] A man ought not to cover his head, since he is the image and glory of God; but woman is the glory of man. [8] For man did not come from woman, but woman from man; [9] neither was man created for woman, but woman for man. [10] It is for this reason that a woman ought to have authority over her own head, because of the angels. [11] Nevertheless, in the Lord woman is not independent of man, nor is man independent of woman. [12] For as woman came from man, so also man is born of woman. But everything comes from God. [13] Judge for yourselves: Is it proper for a woman to pray to God with her head uncovered? [14] Does not the very nature of things teach you that if a man has long hair, it is a disgrace to him, [15] but that if a woman has long hair, it is her glory? For long hair is given to her as a covering. [16] If anyone wants to be contentious about this, we have no other practice—nor do the churches of God. [17] In the following directives I have no praise for you, for your meetings do more harm than good. [18] In the first place, I hear that when you come together as a church, there are divisions among you, and to some extent I believe it. [19] No doubt there have to be differences among you to show which of you have God’s approval. [20] So then, when you come together, it is not the Lord’s Supper you eat, [21] for when you are eating, some of you go ahead with your own private suppers. As a result, one person remains hungry and another gets drunk. [22] Don’t you have homes to eat and drink in? Or do you despise the church of God by humiliating those who have nothing? What shall I say to you? Shall I praise you? Certainly not in this matter! [23] For I received from the Lord what I also passed on to you: The Lord Jesus, on the night he was betrayed, took bread, [24] and when he had given thanks, he broke it and said, “This is my body, which is for you; do this in remembrance of me.” [25] In the same way, after supper he took the cup, saying, “This cup is the new covenant in my blood; do this, whenever you drink it, in remembrance of me.” [26] For whenever you eat this bread and drink this cup, you proclaim the Lord’s death until he comes. [27] So then, whoever eats the bread or drinks the cup of the Lord in an unworthy manner will be guilty of sinning against the body and blood of the Lord. [28] Everyone ought to examine themselves before they eat of the bread and drink from the cup. [29] For those who eat and drink without discerning the body of Christ eat and drink judgment on themselves. [30] That is why many among you are weak and sick, and a number of you have fallen asleep. [31] But if we were more discerning with regard to ourselves, we would not come under such judgment. [32] Nevertheless, when we are judged in this way by the Lord, we are being disciplined so that we will not be finally condemned with the world. [33] So then, my brothers and sisters, when you gather to eat, you should all eat together. [34] Anyone who is hungry should eat something at home, so that when you meet together it may not result in judgment. And when I come I will give further directions.

畏敬と感謝
Awe and thanksgiving

パウロは礼拝における名誉と礼儀の問題を取り上げ、特に礼拝における女性の役割と立場について考察しています。この一節の意味については、膨大な量の論文が書かれてきました。
Paul addresses the issue of honour and propriety in worship, and in particular he looks at the role and place of women in worship. A huge amount of ink has been spilt discussing what this passage means.

パウロの懸念は、福音に反する行為があってはならないということでした。その多くは文化的なものであるというのが一般的な見解です。たとえば、今日では女性が髪を覆うことを期待する教会はほとんどありません。
Paul’s concern was that nothing should cause an offence to the gospel. There is general agreement that much of it is cultural – few churches today expect women to cover their hair, for example.

明らかなのは、男性も女性も礼拝で祈り、預言することが期待されていたということです(4-5節)。また、男女の平等と相互依存関係があることも明らかです(11-12節):「男性も女性も、単独で行動したり、優先権を主張したりすることはできません。このような「誰が最初か」という決まりきった決まり文句を繰り返すのはやめましょう」(11-12節、MSG)。
What is clear is that both men and women were expected to pray and prophesy in services (vv.4–5). It is also clear that there is an equality of the sexes and mutual dependence (vv.11–12): ‘Neither man nor woman can go it alone or claim priority... let’s quit going through these “who’s first” routines’ (vv.11–12, MSG).

次に、パウロは「主の晩餐」(20節)、あるいは他の箇所で彼が呼んでいる「聖餐」(Eucharistéin は「感謝する」を意味するギリシャ語の動詞)について論じます。
Next, Paul goes onto discuss the ‘Lord’s Supper’ (v.20), or ‘the Eucharist’ as he calls it elsewhere (Eucharistéin is a Greek verb meaning ‘to thank’).

これはおそらく、私たちの礼拝におけるこの要素に関する最も古い記述です。これは過去 2,000 年間、キリスト教の礼拝の重要な部分であり、世界中の教会でほぼ普遍的に祝われてきました。ここでも、パウロが正確に何を意味しているかについては、多くの議論がありました。しかし、この一節から、いくつかのことが明らかであるように私には思えます。
This is probably the earliest account of this element in our services of worship. It has been a vital part of Christian worship for the last 2,000 years, celebrated almost universally by the church worldwide. Again, there has been a huge amount of discussion about what exactly Paul means. However, it seems to me that from this passage a number of things are clear:

頻繁に
彼らが「集会」で「集まる」とき(17、20節)、主の晩餐が行われることが期待されています。
It is frequent
There is an expectation that when they ‘come together’ in their ‘meetings’ (vv.17,20), the ‘Lord’s Supper’ will take place.

イエスは私たちに「これをしなさい」(24節)とおっしゃっています。これをきちんと行わなかった場合の結果は非常に深刻です(27節以降)。「あなたの動機を調べ、あなたの心を試し、神聖な畏敬の念をもってこの食事に臨みなさい」(28節、MSG)。
It is important
Jesus tells us to ‘do this’ (v.24). The consequences of not doing it properly are very serious (v.27 onwards). ‘Examine your motives, test your heart, come to this meal in holy awe’ (v.28, MSG).

それは宣教です
それは福音を宣べ伝える方法の一つです。「あなたたちは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(26節)。
It is proclamation
It is one of the ways in which you proclaim the gospel. ‘For whenever you eat this bread and drink this cup you proclaim the Lord’s death until he comes’ (v.26).

それはイエスを思い出すこと(24-25節)と「主の体を認識すること」(29節)の両方を伴います。パンとワインを受け取るとき、イエスに出会うことを期待してください。
It involved both remembering Jesus (vv.24–25) and ‘recognising the body of the Lord’ (v.29). Expect to encounter Jesus as you receive the bread and wine.

それはキリストの体と血にあずかることです(10:14 以降)。ここで使われているギリシャ語はコイノニアで、「共有」や「交わり」という意味もあります。これは私たちがイエスの死の恩恵を受け、共有する方法です。
It is a participation in Christ’s body and blood (10:14 onwards). The Greek word used here is koinonia, which can also mean ‘sharing’ or ‘fellowship’. It is a way for us to receive and share in the benefits of Jesus’ death.

それは感謝の形です。私たちは「感謝の杯」を飲みます(10:16)。
It is a form of thanksgiving. We drink from the ‘cup of thanksgiving’ (10:16).

それは一致の表現です。「パンは一つであるから、大勢の私たちが一つの体となるのです。私たちは皆、一つのパンをいただくのです」(17節)。教会の歴史における大きな悲劇の一つは、この一致の素晴らしい表現が分裂の原因となってしまったことです。
It is an expression of unity. ‘Because there is one loaf, we, who are many, are one body, for we all partake in the one loaf (v.17). One of the great tragedies of church history is the way in which this great expression of unity has become a cause of division.

それは主の再臨を待ち望むものです。あなたは「主が来られるまで主の死を告げ知らせているのです」(11:26)。
It anticipates the Lord’s return. You are proclaiming ‘the Lord’s death until he comes’ (11:26).

パンとワインはイエスの体と血です (24-25 節)。これは、私たちが今日イエスの存在を体験する方法の 1 つです。もちろん、これが正確に何を意味するのかは、大きな推測、議論、論争の対象となっています。1 つのアプローチは、単にそれを謎として受け入れ、聖書の背後に潜り込んで、それが正確にどのように機能するかについてあまり推測しないことです。
The bread and wine are the body and blood of Jesus (vv.24–25). This is one of the ways in which we experience his presence today. What exactly this means, of course, has been the subject of great speculation, debate and controversy. One approach might perhaps be simply to accept it as a mystery and not go behind Scripture and speculate too much about how exactly it works.

主よ、正しく、適切で、あなたを喜ばせる方法であなたを崇拝できるよう私を助けてください。イエスに集中できるよう私を助けてください。あなたを崇拝し、永遠にあなたを楽しむことの真の目的を見つけられるように私を助けてください。
Lord, help me to worship you in a way that is right and appropriate and pleases you. Help me to focus on Jesus. Help me to find my true purpose in worshipping you and enjoying you forever.

歴代誌下 7:11-9:31
2 Chronicles 7:11-9:31

誠実さと情熱
Integrity and passion

ソロモンは「主の神殿で行おうと心に決めたことをすべて成し遂げた」(7:11)。彼は自分の行いを通して神に栄光をささげた。
Solomon ‘succeeded in carrying out all he had in mind to do in the temple of the Lord’ (7:11). He glorified God through what he carried out.

年代記作者は、ダビデとソロモンの治世について、神を礼拝する場所、エルサレムの神殿の建設を中心に記述しています。彼にとって、彼らの治世における他の事実上のすべては取るに足りないものでした。彼らは礼拝の場を建設し、神は彼らを豊かに祝福しました。
The chronicler focuses his account of the reigns of David and Solomon around the building of the place to worship God, the temple in Jerusalem. For him, virtually everything else in their reigns pales into insignificance. They built the place of worship and God blessed them richly.

ソロモンの名声は広まりました(第 8 章と第 9 章に書かれています)。シバの女王(おそらく現代のイエメン)が訪れ、見たものに非常に驚き(9:1–7)、自ら主を賛美しました(8 節)。(興味深いことに、新約聖書の女性に関する一節を考慮すると、ここでは女性の君主が国を統治することについて疑問は提起されていません。)
Solomon’s fame spread (as we read in chapters 8 and 9). The Queen of Sheba (probably in modern-day Yemen) came to visit and was so astonished by what she saw (9:1–7) that she herself praised the Lord (v.8). (Interestingly, in the light of the New Testament passage about women, no question is raised here about a female monarch ruling a country.)

ソロモンの栄華は偉大でした。ソロモンが神殿を建てた後、主は彼に現れてこう言われました。「…わたしの名を呼ぶわたしの民がへりくだり、わたしの顔を求め、悪の道から離れるなら、わたしは天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの国を癒すであろう」(7:14)。
Solomon’s splendour was great. After Solomon had built the temple, the Lord appeared to him and said, ‘… if my people, who are called by my name, will humble themselves and pray and seek my face and turn from their wicked ways, then will I hear from heaven and will forgive their sin and will heal their land’ (7:14).

この聖句は当然有名で、礼拝や祈りのテンプレートとしてよく使われています。この聖句には、礼拝の誠実さの条件が示されています。また、それは復興に必要な条件でもあります。COVID-19 の観点から、直近の文脈はパンデミックの可能性であったことに注目する必要があります (「疫病」13 節)。この聖句から、私たちが行う必要があることが 4 つわかります。
This verse is justly famous and it is often used as a template for worship and prayer. In it we see the conditions for integrity in our worship. They are also the conditions necessary for revival. In the light of COVID-19, it is pertinent to note that the immediate context was the possibility of a pandemic (‘plague’ v.13). We see in this verse that we need to do four things:

謙虚になり
祈り
神の御顔を求め
邪悪な道から離れる
Humble ourselves
Pray
Seek God’s face
Turn from our wicked ways

そして神は3つのことを行うと約束します。
Then God promises that he will do three things:

天からお聞きくださる
私たちの罪をお許しくださる
地を癒してくださる
Hear from heaven
Forgive our sin
Heal the land

主よ、今日私は謙虚になって祈り、あなたの御顔を求め、私の罪を悔い改めたいと思います。あなたが天から聞いてくださり、私たちの罪を赦し、私たちの国を癒してくださいますように。私たちがあなたを讃え、永遠にあなたを喜ぶことができますように。
Lord, today I want to humble myself and pray and seek your face and repent of my sins. I pray that you would hear from heaven and forgive our sin and heal our land. May we glorify you and enjoy you for ever.

ピッパはこう付け加えます
歴代誌下 8:11 にはこうあります:

「私の妻はイスラエルのダビデ王の宮殿に住んではならない。主の箱が入った場所は聖なる場所だからである。」

ファラオの娘がそこに住めなかったのは、他の理由ではなく、彼女が神を崇拝していなかったからだと思います!

Pippa Adds
2 Chronicles 8:11 says:

‘My wife must NOT live in the palace of King David of Israel, because the places the ark of the Lord has entered are HOLY.’

I’m assuming it is because Pharaoh’s daughter didn’t worship God rather than any other reason that she couldn’t live there!

小さな舌を抑えて、心を正しくしましょう! TAME THAT SMALL TONGUE, GET YOUR HEART RIGHT!

2024-08-14 06:42:03 | 日記
ヤコブの手紙 3:1-12 NIV [1] 私の兄弟たちよ。あなたがたのうち、多くの者が教師になるべきではありません。なぜなら、私たち教える者は、さらに厳しく裁かれることをあなたがたが知っているからです。[2] 私たちはみな、多くの点でつまずきます。自分の言うことに誤りのない人は、完全で、全身を統制することができます。[3] 馬の口にくつわを入れて、私たちに従わせると、馬全体を方向転換させることができます。[4] 船を例に挙げましょう。船は大きく、強い風に吹かれますが、非常に小さな舵で、操舵手の行きたいところに舵を切ることができます。[5] 舌も同じように、体の小さな部分ですが、大きな誇りを持ちます。小さな火花で大きな森が燃えるのを考えてみてください。[6] 舌もまた火であり、体の部分の中でも悪の世界です。それは体全体を腐らせ、人生の全行程に火をつけ、それ自身も地獄で燃えます。 [7] あらゆる種類の獣、鳥、爬虫類、海の生き物は、人間によって飼いならされ、また飼いならされてきました。[8] しかし、舌を飼いならすことができる人間はいません。舌は落ち着きのない悪であり、致命的な毒に満ちています。[9] 私たちは舌で私たちの主なる父を賛美し、舌で神の似姿に造られた人間を呪います。[10] 賛美と呪いが同じ口から出てきます。兄弟姉妹たち、そのようなことはあってはなりません。[11] 同じ泉から真水と塩水が両方出ることができるでしょうか。[12] 兄弟姉妹たち、いちじくの木がオリーブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができるでしょうか。塩の泉が真水を出し得ません。

James 3:1-12 NIV [1] Not many of you should become teachers, my fellow believers, because you know that we who teach will be judged more strictly. [2] We all stumble in many ways. Anyone who is never at fault in what they say is perfect, able to keep their whole body in check. [3] When we put bits into the mouths of horses to make them obey us, we can turn the whole animal. [4] Or take ships as an example. Although they are so large and are driven by strong winds, they are steered by a very small rudder wherever the pilot wants to go. [5] Likewise, the tongue is a small part of the body, but it makes great boasts. Consider what a great forest is set on fire by a small spark. [6] The tongue also is a fire, a world of evil among the parts of the body. It corrupts the whole body, sets the whole course of one’s life on fire, and is itself set on fire by hell. [7] All kinds of animals, birds, reptiles and sea creatures are being tamed and have been tamed by mankind, [8] but no human being can tame the tongue. It is a restless evil, full of deadly poison. [9] With the tongue we praise our Lord and Father, and with it we curse human beings, who have been made in God’s likeness. [10] Out of the same mouth come praise and cursing. My brothers and sisters, this should not be. [11] Can both fresh water and salt water flow from the same spring? [12] My brothers and sisters, can a fig tree bear olives, or a grapevine bear figs? Neither can a salt spring produce fresh water.

黙示録 3:16 NIV [16] だから、あなたはなまぬるいので、熱くもなく冷たくもなく、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。
Revelation 3:16 NIV [16] So, because you are lukewarm—neither hot nor cold—I am about to spit you out of my mouth.

ルカ6:45 NIV [45] 善人はその心にある善いものから良いものを取り出し、悪人はその心にある悪いものから悪いものを取り出します。心に満ちていることを口が語るからです。

Luke 6:45 NIV [45] A good man brings good things out of the good stored up in his heart, and an evil man brings evil things out of the evil stored up in his heart. For the mouth speaks what the heart is full of.

小さな舌を抑えて、心を正しくしましょう!
TAME THAT SMALL TONGUE, GET YOUR HEART RIGHT!

この章でジェームズは、制御されていない舌の有害性を強調するだけでなく、人間の偽善についても触れています。9節と10節は、平日は無謀で不注意に話すが、日曜日になると、または祈りになると、私たちの「キリスト教」言語が出て、神を賛美し始める現代のクリスチャンを描いています。
In this chapter James not only stresses on the detrimental nature of an untamed tongue, but he touches on the hypocrisy of man. Verse 9 and 10 depict present day Christians, who speak recklessly and carelessly during the week, but when it comes to Sunday or when it comes to praying our, 'Christianese' language comes out and we start glorifying God.

黙示録 3:16 とヤコブ 1:8 は、信仰において二心のある人々の運命について語っていますが、私たちが学んだように、信仰には行動が伴わなければなりません。私たちの行動は私たちの果実であり、その果実によって彼らを知ることができます。オレンジの木がリンゴを実らせることができず、塩の泉が真水を生み出すことができないのと同じように、真の信者は不信心、汚い言葉、有害な行動の果実を実らせるべきではありません。
Revelation 3:16 and James 1:8 talks about the fate of those that are double minded in their faith, which as we’ve learned must be accompanied by actions! Our actions are our fruits and by their fruits you shall know them. In the same way an orange tree cannot produce apples, nor can a salt spring produce fresh water, a true believer should not produce fruits of ungodliness, foul words and hurtful actions.

混合や偏りはなく、あなたの存在全体が神聖さを目指すかどうかです。良いクリスチャンや悪いクリスチャンというものはなく、あなたはクリスチャンであるか、そうでないかのどちらかです。
There is no mix and match or partiality, its either your entire being strives for holiness or not. There is no such thing as a good Christian or a bad Christian, you are either a Christian or you are not.

あなたが生み出す実は、植えたものの直接的な反映です。だから、根こそぎ抜く時が来たのです。ジェームズは 8 節で、舌を制御できる人間はいないと言っています。彼がこう言う理由の一部は、問題は舌だけの問題ではなく、心の問題だからだと思います。
The fruits you produce are a direct reflection of what has been planted! So its time to do some uprooting! James says in verse 8 that no human being can tame the tongue. I believe that part of the reason he says this is because the issue is not just to do with the tongue, it is to do with the heart!

あなたの口の働きは、あなたの心の中にあるものの産物です。舌を制御するには、まず自分の心を調べ、神と心を正さなければなりません。どうすれば、神と心を正すことができるのでしょうか。
The function of your mouth is a product of the things that dwell in your heart. In order to tame your tongue, you must first examine your heart and get it right with God. How do you get your heart right with God?

あなたは砕かれた霊と悔い改めた心(悔い改める心)をもって主のもとに行く必要があります – イザヤ書 51 章。
You need to go to Him with a broken spirit and a contrite heart (repentant heart) – Isaiah 51.

イザヤ書 51:1-23 NIV [1] 「義を追い求め、主を求める人々よ、わたしに聞け。あなたがたが切り出された岩、あなたがたが切り出された石切り場を見よ。[2] あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラを見よ。わたしが彼を呼んだとき、彼はただひとりであったが、わたしは彼を祝福し、多くの者を作った。[3] 主は必ずシオンを慰め、そのすべての廃墟をあわれみ、その荒れ地をエデンのようにし、その荒れ地を主の園のようにする。そこには喜びと楽しみ、感謝と歌の声が見られる。[4] 「わたしの民よ、わたしに聞け。わたしの国よ、わたしに聞け。わたしから教訓が出され、わたしの正義は諸国民の光となる。[5] わたしの正義はすみやかに近づき、わたしの救いは近づいており、わたしの腕は諸国民に正義をもたらす。 島々はわたしを仰ぎ見、わたしの腕を待ち望む。 [6] 目を天に上げ、地を見よ。天は煙のように消え、地は衣のように古び、そこに住む者は蝿のように死ぬ。しかし、わたしの救いはとこしえに続き、わたしの正義は絶えることがない。 [7] 正義を知る者、わたしの戒めを心に留めている人々よ、聞け。人間のそしりを恐れてはならない。彼らの侮辱に怯えてはならない。 [8] 虫は彼らを衣のように食い尽くし、虫は彼らを羊の毛のように食い尽くす。しかし、わたしの正義はとこしえに続き、わたしの救いは代々続く。」 [9] 目覚めよ、目覚めよ、主の腕よ、力を身にまとえ。過ぎ去った日のように、昔の世代のように、目覚めよ。ラハブを切り裂き、あの怪物を刺し貫いたのはあなたではなかったか。 [10] あなたは海を干上がらせ、大いなる淵の水を干上がらせ、海の深みに道を造り、救われた者たちが渡れるようにされたではないか。 [11] 主に救われた者たちは帰って来て、歌いながらシオンに入り、永遠の喜びがその頭を飾る。喜びと楽しみが彼らを襲い、悲しみと嘆きは消え去る。 [12] 「このわたしこそ、あなたがたを慰める者である。あなたはいったい何者なのか。草にすぎない人間を恐れ、[13] 天を広げ、地の基を据えた、あなたの造り主である主を忘れ、滅ぼそうとする圧制者の怒りのために、日々絶えず恐れおののいているのか。圧制者の怒りはどこにあるのか。 [14] 怯えている囚人たちは、まもなく解放される。彼らは牢獄で死ぬことも、パンに事欠くこともない。 [15] わたしはあなたの神、主である。わたしは海をかき立て、その波をとどろかせ、その名は万軍の主である。 [16] わたしはわたしの言葉をあなたの口に置き、わたしの手の陰であなたを覆った。わたしは天を据え、地の基を据え、シオンに、『あなたはわたしの民である』と言う。」主よ。 [17] 目覚めよ、目覚めよ。エルサレムよ、立ち上がれ。主の手から怒りの杯を飲み、よろめかせる杯を空っぽにした者よ。 [18] 彼女の産んだ子どもたちのうち、彼女を導く者はひとりもなく、彼女が育てた子どもたちのうち、彼女の手を取る者はひとりもいなかった。 [19] これらの二重の災難があなたに臨んだ。だれがあなたを慰めることができようか。破滅と滅び、飢きんと剣。だれがあなたを慰めることができようか。 [20] あなたの子どもたちは気を失い、 彼らは網にかかったカモシカのように、あらゆる街角に伏し、主の怒りと、あなたの神の叱責に満ちている。[21] それゆえ、苦しめられた者よ、これを聞け、酒に酔ったのではない。[22] あなたの主なる神、その民を守るあなたの神はこう言われる。「見よ、わたしはあなたをよろめかせた杯をあなたの手から取り去った。その杯、わたしの怒りの杯を、あなたは二度と飲むことはない。[23] わたしはそれを、あなたを苦しめる者たちの手に渡す。彼らはあなたに言った。『ひれ伏せ、わたしたちがあなたの上を歩くように。』そしてあなたは、背中を地面のように、人が歩く道のようにした。」

Isaiah 51:1-23 NIV [1] “Listen to me, you who pursue righteousness and who seek the Lord: Look to the rock from which you were cut and to the quarry from which you were hewn; [2] look to Abraham, your father, and to Sarah, who gave you birth. When I called him he was only one man, and I blessed him and made him many. [3] The Lord will surely comfort Zion and will look with compassion on all her ruins; he will make her deserts like Eden, her wastelands like the garden of the Lord. Joy and gladness will be found in her, thanksgiving and the sound of singing. [4] “Listen to me, my people; hear me, my nation: Instruction will go out from me; my justice will become a light to the nations. [5] My righteousness draws near speedily, my salvation is on the way, and my arm will bring justice to the nations. The islands will look to me and wait in hope for my arm. [6] Lift up your eyes to the heavens, look at the earth beneath; the heavens will vanish like smoke, the earth will wear out like a garment and its inhabitants die like flies. But my salvation will last forever, my righteousness will never fail. [7] “Hear me, you who know what is right, you people who have taken my instruction to heart: Do not fear the reproach of mere mortals or be terrified by their insults. [8] For the moth will eat them up like a garment; the worm will devour them like wool. But my righteousness will last forever, my salvation through all generations.” [9] Awake, awake, arm of the Lord, clothe yourself with strength! Awake, as in days gone by, as in generations of old. Was it not you who cut Rahab to pieces, who pierced that monster through? [10] Was it not you who dried up the sea, the waters of the great deep, who made a road in the depths of the sea so that the redeemed might cross over? [11] Those the Lord has rescued will return. They will enter Zion with singing; everlasting joy will crown their heads. Gladness and joy will overtake them, and sorrow and sighing will flee away. [12] “I, even I, am he who comforts you. Who are you that you fear mere mortals, human beings who are but grass, [13] that you forget the Lord your Maker, who stretches out the heavens and who lays the foundations of the earth, that you live in constant terror every day because of the wrath of the oppressor, who is bent on destruction? For where is the wrath of the oppressor? [14] The cowering prisoners will soon be set free; they will not die in their dungeon, nor will they lack bread. [15] For I am the Lord your God, who stirs up the sea so that its waves roar— the Lord Almighty is his name. [16] I have put my words in your mouth and covered you with the shadow of my hand— I who set the heavens in place, who laid the foundations of the earth, and who say to Zion, ‘You are my people.’ ” Lord [17] Awake, awake! Rise up, Jerusalem, you who have drunk from the hand of the Lord the cup of his wrath, you who have drained to its dregs the goblet that makes people stagger. [18] Among all the children she bore there was none to guide her; among all the children she reared there was none to take her by the hand. [19] These double calamities have come upon you— who can comfort you?— ruin and destruction, famine and sword— who can console you? [20] Your children have fainted; they lie at every street corner, like antelope caught in a net. They are filled with the wrath of the Lord, with the rebuke of your God. [21] Therefore hear this, you afflicted one, made drunk, but not with wine. [22] This is what your Sovereign Lord says, your God, who defends his people: “See, I have taken out of your hand the cup that made you stagger; from that cup, the goblet of my wrath, you will never drink again. [23] I will put it into the hands of your tormentors, who said to you, ‘Fall prostrate that we may walk on you.’ And you made your back like the ground, like a street to be walked on.”


喜んでこの美しい交換を受け入れなさい。わたしはあなたに新しい心を与え、あなたの中に新しい霊を与える。わたしはあなたの石の心を取り除き、あなたに肉の心を与える。– エゼキエル 36:26。
Willingly accept the beautiful exchange; I will give you a new heart and put a new spirit in you; I will remove your heart of stone and give you a heart of flesh – Ezekiel 36:26.

エゼキエル 36:26 NIV [26] わたしはあなたに新しい心を与え、あなたの中に新しい霊を置く。わたしはあなたの石の心を取り除き、肉の心を与える。

Ezekiel 36:26 NIV [26] I will give you a new heart and put a new spirit in you; I will remove from you your heart of stone and give you a heart of flesh.


あなた方は、上にあるもの、神聖なものに心を向け始めなければなりません。そうすれば、あなた方の口から出る言葉は敬虔なものとなるでしょう。 – コロサイ 3:1-4
You need to start setting your heart on the things that are above, that are Godly, so that what proceeds from your mouth has a source of godliness! – Colossians 3:1-4

コロサイ人への手紙 3:1-4 NIV [1] ですから、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのですから、上にあるものに心を向けなさい。そこにはキリストが神の右に座っておられます。[2] 上にあるものに心を向け、地上のものに心を向けないでください。[3] あなたがたは死んでおり、あなたがたの命は、今やキリストとともに神のうちに隠されています。[4] あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたもキリストとともに栄光のうちに現れるのです。

Colossians 3:1-4 NIV [1] Since, then, you have been raised with Christ, set your hearts on things above, where Christ is, seated at the right hand of God. [2] Set your minds on things above, not on earthly things. [3] For you died, and your life is now hidden with Christ in God. [4] When Christ, who is your life, appears, then you also will appear with him in glory.

価値あるガイドA Worthy Guide

2024-08-14 06:11:38 | 日記
ガラテヤ人への手紙 5:16 NIV [16] ですから、私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲を満たすことはないでしょう。
Galatians 5:16 NIV [16] So I say, walk by the Spirit, and you will not gratify the desires of the flesh.

価値あるガイド

神を敬う人生を送ることは可能でしょうか。誘惑に対して無力感を感じるのではなく、正しいとわかっていることをするように心と体を訓練することは可能でしょうか。

ガラテヤの教会に宛てたパウロの手紙は、このような疑問に対するガイドです。

「ですから、私は言います。聖霊に人生を導いてもらいなさい。そうすれば、罪深い本性が欲しがることを行わなくなります。」

ガラテヤ 5:16

神の導きに屈服して従わなければ、私たちの罪深い本性は神が私たちに用意しておられるものと対立することになります。

放っておくと、私たちは世界が欲するものを欲しがります。そして、私たち独自の誘惑に屈すればするほど、私たちはもっと欲しがるようになります(砂糖を求めてお菓子を欲しがったり、ドーパミンラッシュを求めてポルノを欲しがったりするなど)。しかし、私たちの心を柔らかくし、形を整え、作り直す聖霊の助けがあれば、神が最善とみなすものを欲しがることを学ぶことができます。

簡単に言えば、敬虔な人生を送る秘訣は聖霊です。そして聖霊はたまたま神であり、父、子(イエス)、聖霊の三位一体の三位一体の一人です。

イエスはすでに、子供たちのために生き、死に、そして復活することによって、困難で美しい救済の働きを成し遂げましたが、今、イエスは私たちの中で、そして私たちを通して、その偉大な働きを続けたいと望んでいます。

不可能に思えるなら、それは不可能です。一人で戦っているなら。しかし、イエスが弟子たちに言ったように、「人には不可能なことでも、神にはできない。神には、すべてのことができるのです」(マルコ10:27 NIV)詩篇作者はまた、別の貴重な視点をもたらし、「若者が清い道を歩み続けることができるのはなぜでしょうか。それは、あなたの言葉に従って生きることです」(詩篇119:9 NIV)と書いています。

聖霊に触発された神の言葉に固執するとき、私たちは神を敬う人生を送る力を得ます。

A Worthy Guide

Is it possible to live a life that honors God? Is it achievable to train our minds and bodies to do what we know is right—instead of feeling powerless against temptation?

Paul’s letter to the churches in Galatia is a guide for such questions:

“So I say, let the Holy Spirit guide your lives. Then you won’t be doing what your sinful nature craves.”
Galatians 5:16

Without surrendering and submitting to God’s lead, our sinful nature is at war with what God has for us.

Left to ourselves, we crave what the world desires. And the more we give into our unique shades of temptation, the more we crave (like craving sweets for the sugar, or craving pornography for the dopamine rush). But with the help of the Holy Spirit, who softens and molds and reshapes our hearts, we can learn to crave what God’s deemed best.

To put it simply, the secret to living a godly life is the Holy Spirit. And the Holy Spirit just so happens to be God—one of the three persons of the Trinity: the Father, the Son (Jesus), and the Holy Spirit.

Jesus has already done the hard and beautiful work of salvation—by living, dying, and rising again for the sake of His children—but now He wants to continue His mighty work in us and through us.

If it sounds impossible, it is impossible—if you’re fighting by yourself. But, as Jesus told His disciples, “With man this is impossible, but not with God; all things are possible with God.” (Mark 10:27 NIV) The psalmist also brought another valuable perspective, writing, “How can a young person stay on the path of purity? By living according to your word.” (Psalms‬ ‭119:9‬ ‭NIV)‬‬

When we cling to His Word, which was inspired by the Holy Spirit, we are empowered to live a life that honors Him.

導きを求める祈り
A Prayer for Guidance

神様、私はあなたと共に歩みたい。あなたに導かれる人生を切望できるよう助けてください。今日、どうか私をあなたの霊の知恵、力、強さで満たしてください。静まってあなたを信頼する勇気を与えてください。あなたの霊に耳を傾けることを教えてください。そして、あなたに忠実に従い、大胆に従う方法を教えてください。イエス様の御名により、アーメン。

God, I want to walk with You. Help me to crave a life that is led by You. Today, please fill me with Your Spirit’s wisdom, power, and strength. Give me the courage to be still and trust You. Teach me to listen to Your Spirit, and show me how to obey You faithfully and follow You boldly. In Jesus’ name, Amen.