松の内、高校時代の4人と名鉄神宮前駅の改札で正午に待ち合わせ、熱田神宮に詣で、その後神宮前でチョッと飲む予定でしたが、私は午前中の年始回りに時間がかかり、正月早々 30分も遅れて3人を待たせてしまいました。
神宮駅前の“清め餅喫茶店”で3人が待つ場所で合流、久しぶりに顔を合わせる友は今も元気で、それなりの年齢を重ねた姿を見て、生きてきた歴史を感じます。
正月3が日と違って拝殿前へは行列ができるほどではなく、賽銭の100円玉を遠くへ投げ、今年一年の健康で安全な暮らしができるよう祈って来ました。
参道には厄年一覧表とともに年齢を重ねるごとの祝い、60歳・還暦、70歳・古希、77歳・喜寿、80歳・傘寿、88歳・米寿、90歳・卒寿、99歳・白寿、100歳・百寿が示してありました。
仲間の一人は、「米寿の前に85歳の祝いがほしいものだ」とつぶやく一言も・・・。参拝を終えて参道から駅前へ出るも人並みは衰えず、居酒屋を探すも各店舗どこも超満員で、早々に諦めて名古屋駅前で探すことに意見が一致、熱田神宮の参拝客で満員の電車で名駅へ・・・。
彼らとは、「岡崎で共通の酒場体験を積んだ仲間」という、一応歴史があって、「同じ釜の飯を食う」ということですから、特別な友と言っても良いかと・・・。
4人は、組織の宴会などの経験が豊富なベテランばかり、酒を飲むマナーの条件がそろってこそ組織が成り立つのが「連帯の証」のように思えた時代の、生きた化石人間ばかりです。
“そんな・こんな”を知っているのも、親友・ 飲み仲間の共通点かもしれません。