4月23日(土) 晴れ
昨年12月の日本語能力試験の際に会場の学校で初めて対面した
その学校の日本語科責任者の先生、数年間日本にいらっしゃった間に
野球好きになって週末に学生を呼んで野球をやっていらっしゃる、と。
先日浴衣を着せてくださった先生の誘いがあり、今日その学校へ。
関東にいた頃使用していたグローブとスパイク、軟球を冬休みの帰国の際に
持ってきたのですね。それを持参しました。
とにかく広い学校、敷地だけでいうなら我々の学校の10倍以上あるかも
しれません。とはいえ、ほぼ空き地に近い状態なんですが・・・。
その一角。整備されているバスケットコートの隣に大きな石がゴロゴロしている
まさに空き地。私が小さい頃に遊んでいた稲刈り後の田んぼとどっちが動き
やすいか比べたくなるほどの場所でキャッチボールをしていました。
「硬いボールは危ないのでフワフワなボールで遊んでいます。目の前にボールが
来て取れなくても避けないんですよ」とはその先生のお話。
勇気があるというのか、怖いもの知らずなだけなのか。。。
さすがに少しずつ練習しているとあって、上手いとは言えないものの、小学校
低学年レベルのキャッチボールはできていました。私はその先生とキャッチボール。
日本で数年間やっていらっしゃったようでフォームは綺麗とは言えませんが
学生に負けない球を投げていらっしゃいました。
私は野球部出身ではないのですが、親の影響で当時黄金時代の最中だった
広島カープを見て育ちましたので、遊びといえば野球が多かったのですね。
しかも小学校高学年になった時の担任の先生がある中学校で野球部の顧問
をされていた方で基本から教わることができ、町内のソフトボール大会では
町内で2番目に児童数が少ない地域にも関わらず3位に入賞したことが
あります。野球部に入らなかったのはどのクラスでも列の前から3番目に入る
背の低さのため、諦めたのです。将来そのことを後悔することになりますが、
大学に入ってからクラスの運動部出身者を集めて草野球チームを作り、
それ以後そのチームは解散しましたが、3つほどチームを転々としながら野球を
続けていました。
卓球で培ったフットワークを活かしてポジションは主に二遊間。たまにリリーフ。
こちらに来る前に所属したチームで控えになるまでは一度もレギュラーを
明け渡したことはありませんでした。その最後のチームも、シフト制の仕事を
していたため、ほとんど試合に参加できなかったことが原因なのですよね。
およそ2年ぶりになるキャッチボールは思ったところにボールを投げることが
できませんでしたが、それにしても気持ちがいいものでした。
相手の先生が投げるワンバウンドを裁くたびに学生さんたちから賞賛の声が
上がっていましたね。
暫くしてボールをソフトボールにして、三角ベースを始めました。
小学校時代によくやった3塁のない野球のゲームです。人数が少ないときに
これで遊びますね。
私が投手役で学生さん達が3対3に分かれて攻守交替をするもの。
2度だけ攻守交替ができたあとで、突然の強風と砂嵐が起きて止む無く終了
となりました。
残念でしたが、なんとかバットをボールに当てることができた学生が喜んでいて
それが幸いでした。ちなみに学生さんたちは全く野球のルールを知りません。
一応その先生が教えてはいるのですが、野球放送などなく、書物もなし、
言葉だけで説明して分かるものではないですね。
また改めて参加することがあると思うので、その時は基本を教えてあげたい。
キャッチボールが普通にできるだけでも楽しくなると思うのですよね。
昨年12月の日本語能力試験の際に会場の学校で初めて対面した
その学校の日本語科責任者の先生、数年間日本にいらっしゃった間に
野球好きになって週末に学生を呼んで野球をやっていらっしゃる、と。
先日浴衣を着せてくださった先生の誘いがあり、今日その学校へ。
関東にいた頃使用していたグローブとスパイク、軟球を冬休みの帰国の際に
持ってきたのですね。それを持参しました。
とにかく広い学校、敷地だけでいうなら我々の学校の10倍以上あるかも
しれません。とはいえ、ほぼ空き地に近い状態なんですが・・・。
その一角。整備されているバスケットコートの隣に大きな石がゴロゴロしている
まさに空き地。私が小さい頃に遊んでいた稲刈り後の田んぼとどっちが動き
やすいか比べたくなるほどの場所でキャッチボールをしていました。
「硬いボールは危ないのでフワフワなボールで遊んでいます。目の前にボールが
来て取れなくても避けないんですよ」とはその先生のお話。
勇気があるというのか、怖いもの知らずなだけなのか。。。
さすがに少しずつ練習しているとあって、上手いとは言えないものの、小学校
低学年レベルのキャッチボールはできていました。私はその先生とキャッチボール。
日本で数年間やっていらっしゃったようでフォームは綺麗とは言えませんが
学生に負けない球を投げていらっしゃいました。
私は野球部出身ではないのですが、親の影響で当時黄金時代の最中だった
広島カープを見て育ちましたので、遊びといえば野球が多かったのですね。
しかも小学校高学年になった時の担任の先生がある中学校で野球部の顧問
をされていた方で基本から教わることができ、町内のソフトボール大会では
町内で2番目に児童数が少ない地域にも関わらず3位に入賞したことが
あります。野球部に入らなかったのはどのクラスでも列の前から3番目に入る
背の低さのため、諦めたのです。将来そのことを後悔することになりますが、
大学に入ってからクラスの運動部出身者を集めて草野球チームを作り、
それ以後そのチームは解散しましたが、3つほどチームを転々としながら野球を
続けていました。
卓球で培ったフットワークを活かしてポジションは主に二遊間。たまにリリーフ。
こちらに来る前に所属したチームで控えになるまでは一度もレギュラーを
明け渡したことはありませんでした。その最後のチームも、シフト制の仕事を
していたため、ほとんど試合に参加できなかったことが原因なのですよね。
およそ2年ぶりになるキャッチボールは思ったところにボールを投げることが
できませんでしたが、それにしても気持ちがいいものでした。
相手の先生が投げるワンバウンドを裁くたびに学生さんたちから賞賛の声が
上がっていましたね。
暫くしてボールをソフトボールにして、三角ベースを始めました。
小学校時代によくやった3塁のない野球のゲームです。人数が少ないときに
これで遊びますね。
私が投手役で学生さん達が3対3に分かれて攻守交替をするもの。
2度だけ攻守交替ができたあとで、突然の強風と砂嵐が起きて止む無く終了
となりました。
残念でしたが、なんとかバットをボールに当てることができた学生が喜んでいて
それが幸いでした。ちなみに学生さんたちは全く野球のルールを知りません。
一応その先生が教えてはいるのですが、野球放送などなく、書物もなし、
言葉だけで説明して分かるものではないですね。
また改めて参加することがあると思うので、その時は基本を教えてあげたい。
キャッチボールが普通にできるだけでも楽しくなると思うのですよね。