保育所落ちた日本死ね、とかいうブログ・タイトルに他人のつぶやきが重なり、喧々諤々の盛り上がりだそうだ。極端な表現には複数の受け止めがあり、思わぬ方向へ独り歩きすることがある。ここでは福祉施策の話しではなく、表現の話しを。
ストレートでベタな受け止めとしては、日本は滅び外国の属国になればいいなんて悪い奴だという意見らしい。もちろん、発言者にそういう意図は無く、単に憤懣遣る方無い気持ちを表現しただけだが、ベタな受け止めは通常有り得ることだ。
問題なのは、両極端な感想ばかりが聞こえてくること。国賊と非難する人はベタすぎるし、逆に保育所に入所できなかった落胆の気持ちが良く伝わったので、この言葉を拡散しようという動きも応援したくはない。
冒頭のつぶやき(ブログ・タイトル)が、もし体制は死ねとなっていたら意味がかなり違ってくる。体制が滅んでも日本は滅びない。そういう論理的整合性はベタな人を納得させる力がある。日本死ねの方がインパクトが強いが、そんなウケは不要だ。でも、素人のつぶやきだから仕方ない。さらりと流すべきだろう。
アメリカ大統領選挙でトランプ候補が、イスラム教徒を入国させるなと発言しブーイングを受けたが、昔からアメリカでは大統領選挙中の発言が実行されない例が多く、それらの発言は当選するための発言であって最初から実行する気はないだろうと言われている。日本の人には理解しずらいが、説明されれば納得はできる。思想と発言とが几帳面に一致することが、かえって自由の妨げと言える。しかし思想と発言はリンクしているのだから、自由の女神が鎮座する国に、外国勢力に排他的という極めて異色な大統領が誕生したことは間違いない。
排他的プレジデントが誕生す二千十六年の霜月(椎名夕声)
(コメントの参考)
新語流行語大賞というものがあり、軽妙に世相を衝いた表現とニュアンスについて表彰するものだが、トップテンに上記の言葉が入り、その表彰式を見た人が違和感を表明したことから、けんけんがくがくが始まった。流行したことではなく、表彰したことの波紋だったのだ。だから、表彰という言葉抜きには済まない訳です。