通りすがり~の~くまの備忘録かぁ~

通りすがり~の~くまの日記!?

ホンダの黎明期の本田宗一郎氏の名参謀の藤沢武夫氏が米国自動車殿堂入りする

2023-02-13 19:38:08 | カーデザイン【自動車関係あり~】
お疲れさま〜の〜こんばんわ🌆です😊

お天気下り坂の雨がぱらつく1日だったなぁ…

サッサかさぁ〜と何処にも寄らず最前線基地へ帰投。


そして、今日は通りすがり〜の〜くま🐻の車関係の情報を得るために見てる「Response」のニュースサイトで、


画像お借りしてます😞
左側は、本田宗一郎氏、右側、藤沢武夫氏


本田技研工業の要の1人だった、本田宗一郎と共に歩んだ、藤沢木武夫氏が、米自動車殿堂入りするニュースに、やっぱしわかる人はわかる〜😊🎶

ホンダの創業者の一人であり、最高顧問を努めた藤沢武夫氏が米国自動車殿堂に選出され、殿堂入りすることが発表された。

米国自動車殿堂による授賞式典は7月20日、米国のデトロイトで挙行される予定。

同じくホンダの創業者である本田宗一郎さんは、1989年に日本人として初めて米国殿堂入りしてる。


藤沢武夫氏は、創業者の本田宗一郎氏ともに黎明期のホンダを率いて、
1959年ホンダ初の海外現地法人のアメリカ・ホンダモーターの設立しや、米国での二輪車販売開始時に自前のディーラー網の構築など
、その後のホンダのグローバル事業拡大の礎を築いた。まな、1960年に研究開発部門を「本田技研研究所」として分離し独立することで、個性と能力の自由な発場を通じた新価値
の創造を促すなど、現在に至るホンダの発展に大きく寄与してる。

本田宗一郎氏との出合いは、ホンダが創業した翌年の1949年に、ビジネスに対する考えかたや将来の夢で意気投合し、ホンダに入社する。
本田宗一郎氏が研究開発や生産といった技術領域に集中する一方、
そして藤澤武夫さんが、財務とマーケティングの事業を一手に担い、二人三脚でホンダを切り盛りして、その後辞めるときは、一緒に揃って引退するまで、25年間を歩んだ2人が、
また米国自動車殿堂で揃うんだぁ〜ね!

本当に、昔読んだ本田宗一郎氏の本で、藤沢武夫氏が財務関係を行ってくれたから、開発に専念出来たと語っていたし、会社を潰さなくて済んだとも書かれていたのを思いだす😊🎶

そうそう〜実印も藤沢武夫氏に渡していたくらい信頼していたし、本田宗一郎氏の名参謀だったんだもんね😊🎶

さて〜ホンダさん、わくわくする車を造って〜ね!

藤澤武夫氏の米国自動車殿堂入りおめでとうございます😊🎶

今日も通りすがり〜の〜くま🐻の備忘録を読んで頂いてありがとうさんです😊🎶


画像お借りしてます😞


藤澤武夫氏、米自動車殿堂入り…本田宗一郎氏と二人三脚で「世界のホンダ」実現 | レスポンス(Response.jp)

藤澤武夫氏、米自動車殿堂入り…本田宗一郎氏と二人三脚で「世界のホンダ」実現 | レスポンス(Response.jp)

ホンダの創業者の一人であり最高顧問を務めた藤澤武夫氏が、米国自動車殿堂に選出され、殿堂入りすることが発表された。

レスポンス(Response.jp)

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