湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

特別展 「湖北の観音」・・・・・長浜編

2012年09月10日 | 詩歌・歳時記

               

湖北・長浜はむかし昔は、今浜と呼ばれていた。かの姉川合戦の折の攻防の手柄によって、

豊臣秀吉・・・当時は羽柴秀吉が、織田信長から落城せしめられた浅井長政の居城、小谷の

城を頂戴した訳けだが、あまりの山城ゆえ、政治の中心都市として、寒村にすぎなかった

今浜に城を築き、信長の一字を頂き「長浜」と改名したのだ。

                      

その長浜市の「長浜城歴史博物館」で7日から、特別展「湖北の観音」が始まった。

おそらくは湖北は、祭られている観音像の数ではこの国随一であろう。

ひとは死ぬと、生前の行いによって六つの地獄へ堕ちてゆく、といわれている。

即ち、人間道・修羅道・畜生道・・・・らしい。誰がこんな嘘っぱちを発明したものやら、呆れ、

驚き・・・・人間というものの愚かさをしみじみと感じるのだが・・・・・。

 

生前に争いごとを繰り返した人間が堕ちるのが 「修羅道」 だ、そうだ。 

その守り本尊が「十一面観音」なんだ。って。 古来、湖北は争いの聖地である。

東海道、中仙道、北陸道・・・・交通の要衝を巡っての戦乱の絶える日はなかったのである。

                     

2階へ上がり、一番目の観音を見て、びっくりした。ナント、山門の和蔵堂の「十一面観音」では

ないか!!  私が湖北のナンバー・3と密かに慕う観音である。

眉目秀麗、 以前、このブログで書いたように、黄金造りの太刀をどこかに秘めて佇つ、公達の

ごとき品格と、凛々しく結ばれた口元。 このお方だけで、大満足したのだった。

          一村にひとつ観音桐の花

次は、余呉の山奥にある管山寺の十一面。軽妙洒脱なわずかに金箔を残した、地方仏らしい

たゆたい。一体、一体・・・・申していてはきりもない。馬頭観音、千手千足観音・・・・よくぞ、

これほど集められた、博物館の学芸員のたゆまない努力と、その熱情に、初めは拒否していた

村の観音の世話役の 「より多くの人に見てもらいたい」 との思いを、貴重な、尊いものと

心しつつ、三時間もの豊かな空間と、時の流れを堪能したのでありました。

          観音ゆ弥生の天地舞ひにけり

1時半、ゆっくり歩いて「鳥喜多」の親子丼を、久しぶりに味わった。うーむ、満足・・・満足。

                  

 

     


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1 コメント

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親子丼 (tamaru)
2012-09-11 20:26:20
やっぱり美味しそう^^
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