湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

湖北は製鉄の聖地なのだ。

2012年11月09日 | 詩歌・歳時記

          伊吹嶺は

          左の肩を削られて

          なほ悠然とひとの世の秋

          

むかしむかし、伊吹の山の神の毒にあたって、熱にうなされたヤマトタケルノミコトも、

麓の市場の村に住む莫逆の友、国学者・長野主膳を訪ねた、幕末の英傑・井伊直弼も、

そして幼い頃のわが母も、見てはいない現在の伊吹山の姿である。 

左の肩先がくぼんでいるのは、大阪セメントが石灰岩を取るために、発破をかけた無残な

傷跡なのである。 そんなものを気にもかけない、悠々たる伊吹山ではある。

          死ぬるため生きる哀れを

          重ねつつ

          伊吹の山の秋を寂しむ

              

伊吹の語源は、「息吹く」である。つまりは、「ふいご」の謂いである。

伊吹山の少し北に 「金糞山」 がある。 つまりは製鉄の工程の末にでた、金屑を捨てた

山なのであろう。 

百済の国からもたらされた製鉄の技術は、決して鋤、鍬のたぐいの農機具のためではなく、

戦場での武器の製造のためであろう。 湖北に観音像が多く残されている所以である。

          十一のちさき仏を頭にのせて

          湖北に秋を招く

          観音

          

古橋は、石田三成のご母堂の生まれ在所である。

 

           


北国脇往還

2012年11月03日 | 詩歌・歳時記

          風吹けば匂ひたちこめ  

          金木犀

          お市の世よりつづく鉄泉           

湖北道は最南端の米原より北への道が始まる。

一番西には、湖周道路、そして国道8号線、国鉄北陸線、伊吹山の麓を走る北国街道、

そして、そのバイパス・・・・。湖と山に挟まれた狭い平野に、何本もの動脈が伸びている。

その昔は国道が北国街道と呼ばれてい、山並みを巻くように北上する道は「北国脇往還」と

言われた。即ち、関が原から木之本宿への約35kmである。

          血のごとき湖の夕焼け

          切なさはムンクの叫び

          泣くを許さず

歴史好きなら堪らない街道である。越前の朝倉家に養われていたアホ将軍・義昭と

岐阜の信長の仲を取り持つために、光秀くんよ、君は何度往復したことか? 

大垣から賎ヶ岳へ大駆けした藤吉郎さんよ、三成ちゃんの地味な確実な仕事を

忘れまいぞえ。 戦国の世の絶世の美女・お市の方が嫁入った道でもある。                      秀吉・三成、出会いの像・・・長浜駅前

          三成のひそみし洞

          己高の山を吹く風                       ★こだかみの

          秋をつれくる

やがて秋も深まり、時雨の季節・・・・小谷の山の北方に、大きな虹を見出せるのも

この道である。 夢をなかばに倒れた、長政や三成の見果てぬ虹の光芒であることだ。