醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  616号  あこくその心も知らず梅の花(芭蕉)  白井一道

2018-01-09 16:00:52 | 日記

 あこくその心も知らず梅の花  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「あこくその心も知らず梅の花」。芭蕉45歳の時の句。
華女 「あこくその心」とは、何なのかしら?
句郎 「阿古久曾」(あこくそ)とは、紀貫之の幼名だそうだ。
華女 子どもだった貫之の気持ちは分からないけれども、梅の花が咲いている。これでどうして俳句になっているのかしら。
句郎 この句を味わうためには予備知識が必要のようだ。
華女 あつ、思い出したわ。百人一首ね。
句郎 そうそう、百人一首35番貫之の歌「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」。貫之は故郷に帰り、昔と変わることなく咲いている梅の花を見て、考えに耽った歌だから芭蕉も又故郷、伊賀上野に帰り、藩士の小川風麦邸に招かれて俳諧の発句を詠んだ。昔と変わることなく梅の花が咲いていると詠んだのかな。
華女 この芭蕉の句は貫之の歌を知らなければ味わうことができない句ね。
句郎 、俳諧に遊ぶにも教養が必要なんだ。すべての遊びにはそれなりに必要なものがあるんじゃないのかな。囲碁を楽しむにもそれなりの練習が必要だからね。
華女 まぁー、そうよね。カラオケだって、時間とお金をかけなければ楽しめないものね。
句郎 人は変わり、人の気持ちも変わっていくものだけれどもこの梅の花は昔と変わることなく、今も咲いていると貫之が詠った歌を芭蕉は継承しているじゃないのかな。
華女 この貫之の歌を大岡信は次のように読んでいるわ。「あなたはさあ、いがでしょうか。あなたの心ははかりかねます。でもこの見なれた懐かしいふるさととさすがに花は心変わりもせず昔ながらに薫って迎えてくれていますね」。とても上手ね。
句郎、和歌の世界と俳句の世界の違いをこれほど感じさせる句はないかもしれないな。
華女 私もそう思うわ。「あくこその心も知らず」という認識と「梅の花」という名詞句とが交響するところに俳句の世界が誕生しているのよね。
句郎 「あくこその心も知らず」の「ず」が切れ字になって、「梅の花」との間に隙間がある。この間が切れだよね。
華女 この切れが俳句にしているんだと思うわ。
句郎 『白冊子』に土芳は芭蕉の言葉として「切字なくてはほ句の姿にあらず、附句の躰なり」と述べているから俳句には切字があるということが決定的に重要なのかもしれないな。
華女 俳句にまず大事なことは季語だというようなことを教わったような気がするけれども、もしかしたら、季語より切字があるということの方が大事だということなの。
句郎 「辛崎の松は花より朧にて」という芭蕉の句があるでしょ。この句には切字あるのかないのかというとあるんだよね。
華女 あるのよね。「にて」が切れ字なっているのよね。48字、すべて切字になると芭蕉は言っているのよね。
句郎 下五の最後の字が切れているということ、更に上五の上で切れているということが大事だと長谷川櫂氏は述べているからね。
華女 俳句は切れにありね。