梅の木に猶やどり木や梅の花 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「梅の木に猶やどり木や梅の花」。芭蕉45歳の時の句。『笈の小文』に「網代民部雪堂に會(あふ)」と前詞がある。
華女 「網代民部雪堂」とは、何をしていた人なのかしら。
句郎 伊勢神宮外宮の三方家の御師(おんし)をしていた人のようだ。雪堂は俳号。
華女 「御師(おんし)」とは、宮司じゃないんでしょ。どんな仕事をしていた人なのかしら。
句郎 普通は「御師(おし)」と言われている。がしかし伊勢神宮では「御師(おんし)と呼び習わしていた。この御師が伊勢神宮が制作した暦を配り、伊勢信仰を各地に普及した。伊勢参りの講を組ませ、農民や町人を伊勢神宮に参詣してもらうよう娯楽も提供していた。御師は宿舎を用意し、酒や料理でもてなした。だから神社の陰には遊郭もあった。御師なしには伊勢信仰が普及することはなかった。
華女 三峰講と言って人が来るとお金を出すのよ。祖父は貯金しているんだと言ったのを覚えているわ。
句郎 お金が貯まったら順番で何人かが講を代表して参詣したのかな。
華女 祖父もうきうきしながら、出ていったのが記憶に残っているわ。
句郎 、雪堂は俳諧を嗜んでいたから、芭蕉を迎え、俳諧を楽しんだ。その俳諧の発句を芭蕉は詠んだ。その発句が「梅の木に猶やどり木や梅の花」だった。
華女 伊勢参拝の宿舎でもあった雪堂の屋敷には梅の花が咲いていたのね。
句郎 雪堂の父弘氏(ひろうじ)は神風館という俳号をもつ談林派の俳人だったようだ。だから梅の木は梅の老木で父神風館、咲いた梅の花はご子息の雪堂さん。このような挨拶吟を芭蕉はしたのではないかという解釈があるみたいだ。
華女 その解釈には納得できないわ。中七が「猶やどり木や」となっているじゃない。やどり木を芭蕉は表現したかったんじゃないのかしら。
句郎 「やどり木」とは、大木の枝に丸く釣り下がった植物を言うらしい。が、「猶やどり木や」と言っているので梅の幼木が老木の梅の木に寄生して花を咲かせているのかなと誤解してしまいがちなようにも思うよね。
華女 そうなのよね。でも違うのよ。「宿り木」というのは老木というか、大木の枝に釣り下がった植物なのよね。だから「梅の木に猶やどり木や」というのは梅の大木というか、老木のことなのよね。芭蕉は大木の梅の花が見事ですねと、讃えただけの句なのよ。
句郎 華女さんの話を聞いているとこの句が名句なのかなと思ってしまいそうだな。
華女 芭蕉は句をひねっているのよ。
句郎 ひねった結果、五七五、十七音の句になったということなのかな。
華女 そうなんじゅないのかしら。だから雪堂さんの付句は「見るに気高き雨の靑柳」と付けているのよ。老木の梅の花に雨の青柳。一つの世界が表現されていると思わない。
句郎 そんな気もしてきたかな。老木の梅の花が咲いている脇には丸く青いヤドリギが釣り下がり、見事ですねということをこのように芭蕉は表現したということなんだ。