醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  629号  咲き乱す桃の中より初桜(芭蕉)  白井一道

2018-01-23 15:22:57 | 日記

 咲き乱す桃の中より初桜  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「咲き乱す桃の中より初桜」。芭蕉45歳の時の句。
華女 分かりやすい句ね。
句郎 情景が目に浮ぶ嘱目吟なのかな。
華女 そう、写生句よね。
句郎 山本健吉は『純粋俳句』のなかで「すべての卓(すぐ)れた俳句作品は、たとえ表面においてあらわでなくとも、何か寓意的なものへ近付こうとする傾向を持っています。」とこのように述べている。
華女 寓意性のある句が名句だと山本健吉は言ってるのね。
句郎 「俳句の本質は象徴詩ではなく寓意詩である」とも言っている。
華女 人間世界の真実のようなものが寓意されているのか、どうかということが優れた俳句なのか、どうかということなのよね。そういう点から芭蕉のこの俳句を読むとどういうことが寓意されているのかしら。それとも寓意されなていない単なる写生にすぎないのかしら。
句郎 、桃の花と桜とを比べてみると桜の花は洗練されている。そんな感じがするでしょ。咲く乱れる桃の花の中に初桜を発見した時の驚き、喜びのようなものを芭蕉は詠んでいる。
華女 掃き溜めに鶴、泥中の蓮、このようなことを寓意していると句郎君は言いたいの。
句郎 「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つをとめ」。『万葉集』にある大伴家持の歌として高校の古典の教科書にも載っている。この歌は富山に赴任していた家持の絶唱である。奈良時代の都は平城京、富山は都から遠くはなれた僻遠の地であった。その農村の娘に家持は美しさを発見した歌なんだ。桃の花とは、そのような花なんだ。
華女 確かに桜に比べて色も濃いし、野暮ったいといわれてもしょうがないかなとは思うわ。
句郎 無季俳句は諺のようなものになるだろうと山本健吉は『純粋俳句』の中で述べている。華女さんがいうようにこの句は「掃き溜めに鶴」というようなことを匂わすような句なのではないかと思っているんだ。
華女 そうなのかもしれない。でも「掃き溜めに鶴」とまでは言っていないのよね。桃の花の中に初桜を見つけた驚きよね。そのようなことを芭蕉は詠んでいるのよね。
句郎 最近、将棋界では15歳の中学生プロ棋士が活躍しているんだ。中学三年生のプロ棋士が名人に勝利したことがテレビニュースとして報道された。百五十人近くいるプロ棋士の中で抜きんでて人気を博している。並いるプロ棋士の中に目立った棋士を発見した喜びのようなことをも芭蕉のこの句は寓意していないかな。
華女 中学生プロ棋士に負けたプロ棋士は桃の花ということなのね。初桜が中学生プロ棋士ということ。
句郎 そのようなことを寓意していないかなと思ったんだけれど。
華女 「表面においてあらわでなくとも、何か寓意的なものへ近付こうとする傾向」のようなものが芭蕉のこの句にはあると句郎は考えているのね。
句郎 俳句は寓意詩だという山本健吉の主張に私は同意したいと考えているんだ。象徴詩ではない。文学とは、人間の真実を追求することだと考えているからね。