さまざまのこと思ひ出す櫻哉 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「さまざまのこと思ひ出す櫻哉」。芭蕉45歳の時の句。「探丸子(たんがんし)のきみ別墅(べっしょ)の花みもよほさせ給ひけるに、むかしのあともさながらにて」と前詞を置いて詠んでいる。
華女 探丸子(たんがんし)とは、誰のことなのかしら。
句郎 芭蕉の生まれ故郷、伊賀上野は藤堂藩の領内だった。芭蕉の先祖、松尾家は武家奉公人の家だったようだ。武家奉公人とは、何の俸給も受け取ることなく、藤堂藩のために仕えることを有難く受け入れる半ば農奴のような存在だった。芭蕉は十台の後半、藤堂藩の伊賀付5千石の侍大将藤堂新七郎良精(ヨシキヨ)の嫡子主計良忠(カズエヨシタダ)に出仕した。芭蕉の職務は主に台所、お膳の準備をすることのようだった。良忠は蝉吟(せんぎん)という俳号をもつ俳人でもあった。この蝉吟の子もまた俳諧を嗜む俳人だった。藤堂新七郎良長の俳号を探丸という。俳諧の『古今集』と言われている「猿蓑」に探丸の「一夜一夜さむき姿や釣干菜(つりほしな)」他三句が入集している。
華女 江戸から帰った芭蕉は藤堂家の庭で催された花見の会に招かれたのね。その席で詠まれた句がこの句だったということね。
句郎 今でもこの句を読むとなんと月並みな句なんだろうという気がしてならないんだけどね。
華女 芭蕉の句にしては陳腐だということなの。
句郎 当たり前なことを当たり前に述べているだけで何のひねりもない、平凡な句だなと思っているんだけどね。
華女 芭蕉の桜を詠んだ句の中で句郎君の好きな句はあるのかしら。
句郎 、「花の雲鐘は上野か浅草か」。この句が好きかな。とてもいいと感じているんだけど。
華女 そうよね。三百年前に詠まれた句が現代にあってごく普通に読むことができるなんてすごいことだと思うわ。
句郎 「さまざまのこと思ひ出す櫻哉」。この句も読んですぐ分かる。難しさが何もない句かな。
華女 「ひねってあって、すぐ分からない句よりすぐ分かる句というのもいいんじゃないのかしらね。
句郎 「木のもとに汁も膾(なます)も桜かな」。この句はどうかな。
華女 花見の宴をしていたのね。桜吹雪にご馳走の椀や盃、お皿に花びらが落ちてきてしまったということよね。芭蕉はお酒の宴が好きだったのね。
句郎 「命二ツの中に生たる櫻哉」。この句はどうかな。この句はどうかな。
華女 七七五の句ね。この句には捻りがあるわ。「命二つ」とは、これ、悲恋の句のような気がしてきたわ。若い男と女、恋し合った二人は引き裂かれてしまった。別々の人生を歩んだ二人が年老いて再会したのね。別れた二人にとって思い出に残っている桜の花の下で再会を果たしたのよ。二人の心の中に生き続けていた桜の花が今を盛りに咲き誇っているというようなイメージが浮かび上がって来たわ。
句郎 一編のドラマが出来上がった。そんな想像を読者に与えるような句なのかもしれないな。「命二つ」の句は。
華女 そんな句もいいわ。