醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  636号  雲雀より空にやすらふ峠哉(芭蕉)  白井一道

2018-01-30 13:25:46 | 日記


 雲雀より空にやすらふ峠哉  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「雲雀より空にやすらふ峠哉」。芭蕉45歳の時の句。「三輪多武 峯(みわたふのみね)臍峠(ほぞ)多武峠より龍門へ越道也」と前詞を置き、『笈の小文』に載せている。
華女 芭蕉がこの句で何を詠んだと句郎君は考えているの。
句郎 そりゃ、もちろん峠なんじゃないのかな。そうでしょ。「峠哉」を詠んでいるんだからね。
華女 「峠」と言う言葉に芭蕉はどのような思いを込めているのかしら。
句郎 山道を上り詰めた所が峠でしょ。だから誰もがそこで一服した場所なんだ。峠の茶屋でね。峠の茶屋を出ると下り坂になる。峠とは旅人が一服した場所という理解かな。
華女 峠とは、それだけじゃないように私は思うわ。江戸時代は峠を越すと異郷だったんじゃないの。峠は、これから先の無事を祈り、帰り着いた時の無事を感謝する場所でもあったのよ。だから祈る場所としての祠のある場所だったのよ。
句郎 異郷に入る喜びと不安が高まる場所でもあったんだろうね。
華女 江戸時代に生きた芭蕉にとって峠を越えるということは、現代のわれわれが感じるものとは、そうとう違ったんじゃないのかしらね。
句郎 、そうなんだろうね。峠で一服した気持ちが今とは、全然違っていたんだろうとは思うな。
華女 そう。この句は祈りの句だったと私は思うのよ。何をおいても蟄居の身であった杜国の安全を祈る句だったのではないかと私は思うわ。
句郎 昔の旅人は峠で旅の安全祈願をしたんだろうからな。
華女 「雲雀より空にやすらふ」でしょ。空にある峠で一服しているのよ。空よ。空の中にあるということは不安だってことよ。落っこちる不安に満ちた場所って、事よ。
句郎 なるほどね。空から落っことさないで下さいという祈りをしたということなの。
華女 「雲雀より空にやすらふ」と詠んでいるのよ。雲雀さんが春を謳歌してくれているように私たちも春を謳歌したいんです。どうか、私たちの願いを聞いて下さい。このような祈りを詠んでいるというのが私の解釈ね。
句郎 うーん。そうだな。そうなのかもしれないな。独創的な解釈かもしれないな。
華女 峠という天空の場所から下界を芭蕉は眺めているのよね。
句郎 下界という世俗の世界をね。世俗の世界から抜け出るべく歩いて峠に至った。峠と言う天空の場所で杜国の安全と無事を祈ったということなんだ。これから異郷で解放され、奈良の古き仏たちから祝福をうけられますようにと祈ったということなのか。
華女 そのようなことを寓意しているとも考えられるじゃない。
句郎 寓意を偲ばせられるような句が俳句なんだとは、山本健吉の主張かな。
華女 「雲雀より上にやすらふ」じゃ、全然だめよね。説明になっちゃっているから。「上に」じゃ、俳句にならないのよね。「上に」ではなく「空に」と詠んだから俳句になったのよね。その結果、寓意という読みの広がりを生むことができているということなのかしらね。