醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  628号  初桜折りしもけふは能(よき)日なり(芭蕉)  白井一道

2018-01-22 13:15:00 | 日記

 初桜折りしもけふは能(よき)日なり  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「初桜折りしもけふは能(よき)日なり」。「薬師寺月並初會」と前詞がある。芭蕉45歳の時の句。
華女 「薬師寺」とは、奈良西ノ京の薬師寺のことなのかしら。
句郎 いや、芭蕉の故郷、伊賀上野にあった薬師寺のようだ。
華女 薬師寺とは、方々にあったのね。
句郎 薬師寺の本尊は薬師如来だからね。病から人々を救う仏さんだから、今では大きな病院のような存在だったんだろうから、方々に薬師寺はあったんだろうね。その中で最も有名な寺が奈良西ノ京の薬師寺なんじゃないのかな。
華女 年の初めの月例俳席の発句がこの句だったのね。
句郎 そうなんだろうな。初桜の咲く良き日にこの俳諧の会を持てることの幸運を共に喜びたいと思います。このような挨拶を俳諧の連衆にしたということなんだと思う。
華女 まるで小学校の校長先生が新入生を迎えた父母の方々に挨拶しているような句ね。
句郎 、「桜の咲く良き日に新しい生徒を迎えられたことを喜びたいと思います」。こんな今では手垢のついた挨拶の言葉が蘇るような句だと思うが、当時にあっては瑞々しい挨拶の言葉だったのかもしれないな。
華女 芭蕉以来、日本の小中高の入学式ではこのような挨拶が行われてきているのかもしれないわけね。
句郎 そういう意味では、今も芭蕉の俳句が生きているということなのかな。
華女 芭蕉の俳句は、日本の挨拶の言葉のありかたに大きな影響を与えているように感じるわ。
句郎 今では手垢の付いた紋切り型の挨拶の言葉になってしまっているが、この紋切り型の言葉を聞くとなにか、気持ちが落ち着き、入学式なんだという感動に泪をこぼす親御さんがいる。
華女 そうなのよね。私も若かった頃、支店長から依頼されたことがあるのよ。お客さんを集め、大学の先生を招き、老後の安定した生活を実現するにはという講演会をしたのよ。この講演会を終えると講師に御礼の手紙を書けと言われたのよ。だから書いて持っていったら、ダメだと言われたのよ。「もっと普通の文を書け」と支店長から言われたのよ。私は紋切り型の文章ではなく、私自身が感じたことを中心に書いて持っていったら、このように言われたのよ。だからすぐ私、分かったわ。紋切り型の文章がいいんだなと思い、書き直していったら、君はなかなかいい文章を書くねと言われたことがあったわ。
句郎 手垢のついた紋切り型の言葉が挨拶による安心感を生むみたい。
華女 そうよ。挨拶とはこのようにするんだという見本になるような句なんだと思うわ。
句郎 俳句とは挨拶だと山本健吉は言っている。俳句とはもともと談笑の中から生まれてきた文学らしいからね。
華女 その談笑は閉鎖された仲間うちのものなのよね。
句郎 それが「座の文学」といわれる所以なのかな。その伝統は今でも引きずっているよね。俳句の読者は同時に作者だから。仲間内だけのね。