クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

僕たちの対価(中編)憲ちゃんシリーズ

2016年04月20日 | あの頃 朴は若かった
雑瓶集めは班単位での競争です。

一班は大体6人から7人で、クラスで7班ありました。一日で幾らお金になったのか、合計したら幾らになったのか、そしてクラス全体で幾らになったのかが毎日発表されます。

僕はノルマという言葉を初めて教わりました。

でも、何でも先生の生まれた満州では普通のことなんだそうです。

僕は6班の班長で、女子は笠松さん、宮原さん、小倉さんの3人。

男子は体が弱い米谷君といつもおとなしい頼りない佐藤くんの6人でノルマをこなさなければなりません。班長であり男子の僕が頑張らなければダメだと思いました。

僕たちはまずはみんなが住んでいる近くの知っている家に行って、

「すみません。表に捨ててある雑瓶貰っていいですか?」

「へ?別にいいけどどうせゴミに出すからね。でも空き瓶を何に使うの?工作の材料?」

「えっと、貰った雑瓶は売ってお金にして札幌行くんです。」

「売るって廃品回収業者にかい?小倉さんちだね。ヘェ~、朴ちゃんち貧乏なの?一本いくらになるの?」

「小倉さんは僕の班です。でも、小倉さんちはよくわからないよ。一本5円くらいだと思います。あ、ありがとうございます。」

こんな感じで知った家を回るともう行く家がないので知らない家に行かなくてはならなくなり、同じような話をするんです。

全然ノルマができません。

でも、憲ちゃんの班は棒グラフが天井まで届く勢いです。

何だかわからないけど凄いんです。

僕は嫌だったけれど頭を下げて教えてもらうことにしました。

だって僕は班長なんですから。

僕たちの対価 (前編)憲ちゃんシリーズ

2016年04月20日 | あの頃 朴は若かった
僕と憲ちゃんは小学6年生になりました。誉くんは5年生から3組になり、僕は残念ながら憲ちゃんと一緒の4組になってしまいました。6年は5年からの繰り上がりなので、先生も友達も2年間一緒です。これで憲ちゃんとは4年一緒なので、ちょっとしかない長所も数えきれない短所も全部見えてきて、ますます嫌になってきました。

ある時、先生が修学旅行でも見学旅行でもないのに、日曜日の休みの日にクラス全員で札幌に行くと決めてしまいました。

先生は満州で生まれ育った強烈な女の人です。怒ると怖いのです。でも、にこにこしている時の方が実はもっと怖いと思います。にこにこしてる時は要注意です。上がるまで上がったらもう落ちるしかありません。先生の場合は急降下するので、調子に乗って騒がないようにしています。ヒステリーってやつです。

先生は違う学校と仲良くするのが好きでそれはそれで良いことです。でも、まずは同じ学年の違うクラスと仲良くした方がいいのにと思いますが、何でも他の先生とはレベルが違うそうなんです。

僕たちは札幌の小学校の行事に参加して、先生の好きな労働者の歌を歌うことを勝手に決められていました。

僕たちの室蘭市と札幌は汽車で2時間以上離れていて、お金も結構かかります。

汽車賃だけでもお小遣いじゃ足りないんです。

お母さんに言えば出してくれるはずなんですが、先生が言い出しました。

「全額を親から出して貰っちゃだめ!みんなは雑瓶を売って稼いできなさい!」

雑瓶とはコーラとかファンタとか飲んだ後の空ビンのことで、それを集めて業者に引き取って貰いお金にしろ!と言うのです。

あ、憲ちゃんの眼がイキイキとしてきました。

きっと良からぬことを考えついたに違いありません。

夏影(後編)

2016年04月19日 | あの頃 朴は若かった
誉くんの家に憲ちゃんがよく遊びに行くようになりました。だから僕はあまり誉くんちに行かなくなりました。

あまり遊びに行かないものだから、学校帰りに誉くんちの蕎麦屋の前を通り過ぎる度に、色白の綺麗なお母さんが出てきて、「朴くん、この頃、遊びにこないね。妹の麻紀も心配してるから、また来てね。」と言ってくれます。誉くんの色白で綺麗な顔はお母さん似なんだなぁ、とかぼんやり思いながら会釈して過ぎました。

憲ちゃんがひとりで誉くんちに行くようになってから、憲ちゃんは羽振りが良くなって、僕に奢ってくれるようになりました。

初めは憲ちゃんに奢ってもらったことをお母さんに話していて、お母さんは憲ちゃんのお母さんにお礼したりしていましたが、何度もそれが続くと変に思われて、憲ちゃんは「朴ちゃん、俺が奢ったことを誰にも言うなよ!
言ったら今までのもの全部返してもらうからな!」と無茶苦茶です。そう言う憲ちゃんの眼はいつも誰かを探っているようにスッと細くなるのでした。

「憲ちゃん、どうして沢山お小遣い持ってるの?」

憲ちゃんは黙って口を利きません。少し怒ったように下を向いています。

「憲ちゃん、もう奢って貰わなくてもいいから、今までの返すよ。お母さんにも話してるし。」

「朴ちゃん、今から誉んち行こうぜ!」
「嫌だよ、行きたいならひとりで行きなよ!」

「朴ちゃん、いいこと教えてやるから、一緒に行こうぜ。な、頼むから!」といつになくへこへこする憲ちゃん。仕方なくお蕎麦屋さんをやっている誉くんちに一緒に行ったのです。

久しぶりに僕が来たので誉くんは嬉しそうで、一緒に漫画を読んだり野球盤やサッカーゲームをしましたが、憲ちゃんは昔からそういうのに興味がなくひとり退屈そうにしていました。

一息ついて誉くんが一階にジュースを取りに行きました。その時、憲ちゃんがムクッと起きてきて

「朴ちゃん、向こうの座敷の部屋見えるだろう?そうそう、タンスの上。フランス人形の横にお酒の瓶があるでしょ。あそこに100円玉が沢山入っててさあ。少し貰って帰ろうぜ!」

「え、何言ってんだよ?それじゃあ泥棒じゃんか!あ、今までのやつ全部誉くんちから盗んだやつだったんだ!」

「そうだよ。沢山あるから一回に一枚二枚全然わからないよ。な、一緒に盗もうぜ!」

そう、今まで憲ちゃんが羽振りが良かったのは友達んちからくすねたお金のためで、知らなかった僕はそのお金を使っていたことになるのでした。悲しいのは憲ちゃんには悪気がないことでした。

「憲ちゃん、お金返しなよ。ないならもうすんなよ。謝れよ。ばれるよこんなことすぐに。」

「バレやしないって、さあ、ちょっと貰って帰ろっと。朴ちゃん誰にも言うなよ。お前だって共犯なんだからな」

「共犯じゃないよ。でも、自首するよ。」
「止めろよ、止めてくれ、」と慌てる憲ちゃんは僕の胸ぐらを掴んできました。あ~
何だか悲しくなって涙が出てきました。

結局、憲ちゃんはひとりで盗んでることが怖くなってきて、僕を巻き込もうとしていたのです。

お酒の瓶に入っていた100円玉が憲ちゃんが遊びに来た日に限って少なくなっていることに誉くんのお父さんもお母さんもとっくに気づいていて、それでも、憲ちゃんがいずれ謝ってくるのを学校にも憲ちゃんちにも言わずに待っていたことを知ったのは中学生になってからでした。僕もそれを聞くまで黙っていました。

あの日、僕に悪事を打ち明け誘い込もうとした日から100円玉が減ることはなかったようです。

僕と誉くんは同じ高校に行き、憲ちゃんは別の高校に行くようになり、高校卒業後、内地の企業に就職し直ぐに結婚したとのことですが、今頃どうしているのかな。




夏影(中編)

2016年04月18日 | あの頃 朴は若かった
憲ちゃんと僕と同じクラスの誉くん(たかし)は地元では有名な蕎麦屋の息子で、僕らと同い年なのに僕らよりずっとずっと歴史や地理に詳しくて、そんな誉くんを、あぁ凄いなあと感心していました。

僕らの住む北国の港町は、入れ替わりにロスケ(旧ソ連)の船が停泊しては、街には見たこともないような白い肌の、煤けた赤毛や艶のない金髪で毛むくじゃらの大男達がいつも酔っ払って喚いているところ。

誉くんは「あれはソ連の人達で、眼の色と肌の色からするとコーカサス系かな?」とか説明してくれるんだけど、かく言う誉くんはそんな大男達よりずっとずっと色白なものだから、誉んちは蕎麦屋じゃなくて、うどん屋じゃないかとからかわれていました。

そんな誉くんちは一階がお蕎麦屋さんで、2階はお客さん用のお座敷部屋が幾つかあって、どれも広くて綺麗です。

僕が小学4年の頃、僕らの住む港町はたいそう栄えていて、誉くんと2階の宿題をしていると従業員の人達が、「誉坊ちゃん、宴席の支度をさせてもらいますね~」といつも繁盛しているようでした。

誉くんのお父さんお母さんも「朴くん、いつも誉と仲良くしてくれてありがとう」といつも良くしてくれていました。

僕がそうやって誉くんといつも仲良くしていると、近所の憲ちゃんがやってきて、

「朴ちゃん、誉と仲良いよねー。今度俺も行っていいか聞いてくれる?」

と居丈高にお願いというか命令してきました。

「あ、聞いてみるけど、ダメだと思うよ。」
「え? なんで?」
「だって憲ちゃん嘘ばっかりだし。こそこそしてるし」といつも言えないことを恐る恐る切り出してみると、

「あ、じゃあいいわ!」と呆気なく諦めた様子なので、僕もホッとしていたのでした。

そして一週間後、誉くんの家に宿題をしに行くと、踵を踏んだ汚い運動靴が玄関に乱雑に放られていました。

僕の一足先に
憲ちゃんが上がり込んでいたのでした。

玄関の真正面から2階へ続く急な階段の上に憲ちゃんがいるのが分かります。

でも、逆光で顔は暗くて見えないんです。
それでも、誉くんより先に部屋から出てきた憲ちゃんは

「あ~朴ちゃん、なんだぁ来たんだ?」とにやにやしているような影だけの顔で笑うのでした。

夏影 (前編)

2016年04月18日 | あの頃 朴は若かった
「朴ちゃん、駄菓子屋に寄って行こうよ。奢るよ。」と今日も憲ちゃんは羽振りがいいのです。

憲ちゃんは近所に住む小学4年の同級生で同じクラスです。

この頃、憲ちゃんはこうやって帰宅途中に荒川商店という駄菓子屋に連れて行きたがります。

「いいよ、昨日も奢ってもらったし、先週もそうだし・・・」とさすがに日を置かずの誘いに申し訳なくも、ちょっと怖い気もして遠慮すると、

「じゃあ、この前買ってやったスーパーボールと先週の銀玉鉄砲今すぐ返せよ!」と意地が悪いのです。

そう、憲ちゃんは昔からそういうところがあって、自分の気に食わないことや、都合が悪いようなことがあると、しらばっくれたりウソを言ったりして、僕は嫌だなあぁと思っていました。

憲ちゃんなそんな態度も嫌なんだけど、薄暗い荒川商店の店中に座るガラガラ声のオバアが怖いのです。クジで一等賞が当たっても「どれ、ちょっと見せてみな!」と取り上げて、一等賞の漢字の一の上に、黒く硬くなった爪でもう一本の漢字の一を足して

「ほ~ら、二等賞じゃないか! ウソ言っちゃいないよ。まったく、どこの子なんだろうねー」と誤魔化すんです。こんなオバアは死んじゃえばいいのです。

荒川商店に行きたくない僕は憲ちゃんに

「じゃあ、奢ってもらったもの返すよ。これでいいでしょ?」

「もう使ったんだろ?新品買ってべんしょうしろよ!」と弁償なんて難しい言い方で無茶な困ったことばかりいうのです。

「いいよ、じゃあ新品で返すよ。」と言えば、「新品でも全く同じものじゃないだろ!そして似たタイプも売ってないかもしれないじゃないか?」と難癖をつけてくる憲ちゃんです。

僕はもう面倒なので「いいよ、じゃあ駄菓子屋行こうよ。でも奢ってくれなくてもいいし。で、憲ちゃんどうしてそんなにお小遣いあるの?ねえ?」 

憲ちゃんは意地悪そうな狡い目をして僕を睨み付けていうのでした・・・


あの日の朴を殺したい (おまけ)

2016年03月21日 | あの頃 朴は若かった
アップしていないダサいのがありましたありました!高校時代のバンド仲間との1枚。当時ビートルズやウィングスのコピーをやっていたのですが、どう見ても貧乏くさいフォークグループですなこりゃ。

鶴瓶師匠がヤングOh!Oh!に出てたころに似ている朴竜。どうしてこんな髪型をしていたんだろ?

どうしてこんな写真を撮って喜んでいたのだろう?若さとは何とも恥をかくことなんですな。

あ~
恥ずかしい!

あの日の朴を殺したい (最終回)

2016年03月20日 | あの頃 朴は若かった
あ、朴竜です。
ネタも尽きたんで、これ最後です。
19歳の朴竜、まだあどけないすね。今はほとんどこの年の3倍位の年齢になってしまいました。僕の写真の左側には女性が写ってますが、これは編集させていただきました。

私の眉毛、何処に消えたのだろう?

本当に本当に遠くまで歩いてきたなとしみじみ思ってます。

史上最強の上司のお話 19(執行役員制度)

2016年02月04日 | あの頃 朴は若かった
史上最強の上司「山口さん」はそもそもどんな縁があって米系投資顧問会社に間違って入ってきたのでしょう。

「採用の見る目のなさ」と、「最強の勘違い」の賜物といえます。そんな山口さんの役職は「執行役員」でした。

なんでも聞くところによれば、単に営業部長でいいものを「外資系執行役員」の肩書にこだわって駄々をこねたというのです。

某証券会社の「支店長」より「外資系投資顧問会社執行役員」の方が故郷佐渡に錦が飾れるような気がしますし、なんとなく嬉しいのでしょうね。

まあ、地方出身者ほど「肩書」に拘る傾向にはあると思うんですよ。

ところでこの「執行役員」をどうも理解していなかった気がするんですよ。

基本として理解しておかなければならないのは、「役員」と「従業員」。「取締役」という肩書のつく人たちは実は従業員ではありません。

かつては従業員だった人も、一度退職して経営を担う役員になるわけでこれが商法の取り決めです。

しかし、同じ役員でも「執行役員」はそうでもないからややこしい。従業員のままでも役員になれるのが「執行役員」なのです。

要は「従業員」なんです。そもそも「取締役」は、会社の重要な事項を決定する役割を担ういますが、「執行役員」はそうした決定の場には参加しません。

決まった事項を実践し、業務を行うことに専念する、つまり、経営を担わない「従業員」のトップと考えると分かりやすいですね。

山口さん、地方出張で昔出入りしていた取引先に「執行役員」の名刺を嬉しそうに渡すと、決まって相手が「いや~そうですかぁ。山口さんも重役になりましたかぁ。凄いですねぇ、いやはや」と何となく、え?大丈夫なのか?
と言う空気が口の端から漏れるんですよ。

で、まぁ当たり前ですが、山口さんそれを額面以上に嬉しいというか真意を汲まないんですよ。

で、面談後の外で「いやいや朴ちゃん参ったぞぉ、重役なんて言われたって日本は小さい会社だしね。グローバルじゃ立派な会社なんだけどね~。重役なんてね~」とたいそう嬉しそうです。

そもそも「重役」って専務取締役か副社長クラスのイメージですよね。執行役員は従業員ですから、「重役」と云うのは明らかに間違いだと思うんですよ。

有頂天になっている山口さんには可哀想ですが、私、「取締役」と「執行役員」の違いを説明して差し上げました。

そうすると「あ、そうなのぉ。取締役会に呼ばれないのは英語が苦手だったからだと思ってたぞ、びっくりしたぞ~」と「びっくりしたぞ~~」がいつもより哀愁に満ちていたのでした。

史上最強の上司のお話し18(佐渡のひと)

2016年02月03日 | あの頃 朴は若かった
史上最強の上司の山口さんは産まれも育ちも新潟県は佐渡ヶ島。佐渡出身の知り合いは後にも先にも山口さんひとり。やはり知り合いの中でも「鴇(とき)」の如く稀有な存在です。そして明らかに絶滅種と言える方でした。山口さん、押しの強い顔面と押し切ってしまいそうな体型にも関わらず、ちゃらんぽらんな営業スタイルとそれを裏付けるいい加減な金融知識により、訪問先からその存在をなかなか覚えて貰えません。

山口さんを振り切ってひとりで地方銀行へ行くと必ず「ほら、ほら誰だったっけ?え~と、山田さんだっけ?この前一緒に来た佐渡の人」「あ、山田じゃなくて山口ですよ。」「エッ?そうだっけ、ま、どっちでもいいや、佐渡の人で」

また、ある先では「朴さん、この前のなんかズレてる人、え~と、山中さんだっけ?佐渡の人」「あ、山口ですか?」「山口だっけ?山中さんだと思ったよ。佐渡の人」

別の先では「前回一緒に来て途中寝てた人、山城さんだっけ?ほら佐渡の人」「佐渡はあってますが、山口ですよ。」「あ、そうでしたっけ?ま、いいや佐渡の人でさ。」

と名前を覚えられないってどういうことよ?

あ、思い出した。

普通、担当者と親しくなって自分について少しずつ話しだすのって、取引先が出来る過程で少しずつこっちに傾きつつある時か、一発目の取引後だと思うんです。

でも山口さんの場合、初対面からパンツを脱いでしまうんです。

初対面なのに何故かなついた土佐犬がいきなりお腹を見せて寝転ぶのに似ていて、なんとなく怖いんです。

「え、私。御行と取引を致したく、捲土重来を期しやってきました山口と申します。生まれは新潟県は佐渡ヶ島です。行かれたことございますか?え?ない。それはそれは鴇ぐらいしかない何もない寂しいところでして。そう佐渡です。サドマゾのサドじゃなく、新潟県は佐渡ヶ島出身の山口です。」

取引の話をするのにいきなり出身地を明かされてもどう答えていいか相手も困惑顔、加えてサドマゾと掛けられりゃ、これ山口の名前なんかインパクト弱すぎて忘れられますわ。

で、笑ってしまったのが、新潟県の第一地銀は第四銀行へ行った時のこと。

いつもの調子でサドマゾのサドじゃないと語り始める山口さん。

担当者、ちょっと苦笑して「え~、知ってますよ。支店もありますからね」と。

私、突然の眩暈にソファに横に寝かせて頂きたかったですよ。さすがに。

ごめんね お母さん(後編)

2016年02月01日 | あの頃 朴は若かった

粗末なものでも息子からもらったプレゼントを母は心から喜んでくれました。

申し訳なく情けない少年朴竜。だって万引きしたものだから。いっそ、こんなもの要らないと捨ててほしいくらい。

それから母は家にいる時はおばさんパーマに毎日何本かの髪留めを付けてくれていました。今思い出せばちびまる子ちゃんのお母さんの髪型と同じパーマでした。

母は毎日、お兄ちゃんからもらった髪留めは使いやすく本当に便利。お兄ちゃんは親思いで優しい子だね~と声をかけてくれました。

その度に万引少年の心はちくちく痛むのです。

その髪留めはその後、私が社会人になるまで大事に大事に使われるんです。僅か30円の盗んだモノを母はずっとずっと大切に使ってくれていて、たまに思い出したように、小学校の時プレゼントしてくれた髪留め嬉しかったよ~と言ってくれるたびに心が張り裂けそうになるのでした。

十数年前に長く勤めていた証券在社を辞める際に退職金で纏まったお金が入ってきました。それで実家に新しい冷蔵庫、電子レンジやテレビを買い揃えました。

その後に勤めた会社を5年勤めて辞める際も退職金でユニットバスを設置してあげました。結構な金額でした。

私とすると少年朴竜時代の母親への申し訳ない思いを拭い去りたくての買い物でした。

昨年夏に職を失い帰省した時、少し呆けてきたは母は昔を懐かしむように、

お兄ちゃんからもらった髪留め嬉しかったよ。ありがとうね~と今でも繰り返すのでした。

オッさん朴竜はその度に
お母さんごめんね
お母さんごめんね
と心の中で呟くのでした。

あれから43年経っても
あの髪留めは万引きしたものなんだよ、
とは絶対に言ってはいけないんだなと改めておもうのでした。



ごめんね お母さん(中編)

2016年01月31日 | あの頃 朴は若かった
突然魔が差して万引きしてしまった朴竜少年。四輪駆動車のように山の上にある家まで一気に駆け上がりました。

「室蘭」は坂と入江の多い土地「モルエラン」というアイヌ語から来た地名。本当に坂ばかり、それも信じられないくらい勾配の坂はいくらでもありまして、近藤デパートから家までは傾斜10度の坂が400m続く試練のロード。子供の頃から毎日登り下りしてると自然と足腰も強くなるというもの。

追っ手が諦めるくらいのスピードで、追っ手が絶対登り下りきれない急傾斜の坂を登り切ホッとひと息。

ホッとひと息なんですが、なんでこんなことしたのだろうと後悔がムクムク起き上がります。誰かに見られていてチクられるのではないかとびくびくし始める小者の朴竜少年。

ポケットから盗んだ物を取り出し眺めます。

それは「ピン留め」「髪留め」って言うのでしょうか? 手のひらに納まるサイズのプラスチックケースに20本程度ほどの小さな髪留めが入っているもの。

値段はわずか30円。

わずか30円の髪留めを盗み、それを母にプレゼントしようとしたのでした。

盗んだなんて分からないだろうけど、そんなものをプレゼントしても母は可哀想。もしかしたら後からバレてしまったら、母は悲しむことになります。

よし、捨ててしまおう。証拠隠滅も兼ねています。

なかなか家に入れずに玄関でもぞもぞしていると、母が

「あんた、今、何時だと思ってんの!出たっきり帰ってこないで、宿題はやったの?全くこの子は!」と怒鳴り始めます。

私、捨てしまおうと思っていた「髪留め」でしたが、あんまり母が煩いので

「母の日のプレゼントを買いに行ったんだ。はい、これ。安いけど。」と万引きしてしまったものを渡してしまいました。

母はたいそう喜んで「あ~、そうだったのかい?なんも聞かずに怒ってゴメンね~」と泥棒息子に謝るのでした。

ごめんねお母さん(前編)

2016年01月31日 | あの頃 朴は若かった
昭和47年、西暦1971年。朴竜少年10歳、小学校4年生。

昨年の国勢調査によれば北海道室蘭市の人口は約9万人。

朴竜少年10歳の頃は恐らくその倍の人口がいて、私がいた輪西町は大森のタケちゃんの新日鐵の正門が近かったこともあり、2万人も住んでいた商業地でした。今は室蘭市の中でももっとも寂れたシャッター通りばかりです。

そんな輪西町に近藤デパートがありました。デパートと言っても藤沢のイトーヨーカドーみたいなものでしょうか。婦人服や雑貨を売るショボい田舎のショッピングセンターです。その最上階にはゲームセンターがあって放課後や土日には粗末な風体の田舎のガキンチョで賑わうのでした。

或る日、朴竜少年は母の日のプレゼントを買いに近藤デパートへ行きました。ポケットに幾らあったのかは覚えていませんが、大昔のことなので200円とか300円だったのだと思います。

朴竜少年、真っ直ぐにプレゼントを買えば良かったのですが、最上階のゲーセンに行ってしまったのです。

何処からか安く横流しされたような、粗末で薄汚れたスマートボールやピンボールやキャンディクレーンなど本当にアナログなゲームばかり。一回が10円とか20円だったように覚えています。

お調子者の朴竜少年。一回で止めればよいものを、ポケットの残金を気にしながらも段々と熱くなっきて、あと1回、あと1回、これが最後と言い聞かせながら結局ポケットにあったお金を全部ゲームにつぎ込んでしまったのです。

母の日のプレゼントを買うお金までなくってしまい、自分の愚かさと情けなさに後悔の涙が出そう。とぼとぼと肩を落とし最上階から階段を降り始めます。う~ん、何も買えないけど、とりあえず一階のファンシーショップを見るだけ見て見よう!

ふ~ん
色々あるんだなぁ。こんなの買ったら喜んでくれたのになあ

後悔先に立たず
馬鹿な朴竜少年

店内を見渡したところ、店員も客も誰一人いません。

朴竜少年、突然、手にした小物をポケットに入れて脱兎のごとく走り出しました。

そう、人生初の万引き、当然人生最後の万引きを犯してしまったのです。