クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

朴の大好きな弟のお話し 後編

2017年11月22日 | あの頃 朴は若かった
慌てて家を出てから数時間後、弟の自宅に着きました。産まれて2週間、祭壇に遺影はありません。

代わりに可愛らしい花がたくさん飾られていました。

弟が心配していた親戚だってたくさん駆け付けてくれていました。

多分、お袋が連絡をしたのだと思います。
よかった・・・

「あ、アニキ、わるいな遠いとこ急に来てもらって・・・ アニキ、顔を見てやってくれるかい?」

「抱き上げてもいいのか?」

「抱いてやってくれるのか?」

「当たり前だ、他の4人は全員抱き上げてるよ。」と愛らしい小さなベビーベッドに眠る姪を抱き上げて頭を撫でました。

冷たいな・・・
そう思うともう涙が止まりません。

「ほら、○○・・・ 良かったね、抱っこして貰って・・・ 東京の伯父さんだよ。パパのお兄さんだよ・・」

「・・・・・」

「な?、アニキ・・・ ただ寝ているみたいだべさ。息しているみたい・・。起きないかなと思って見てるんだけど・・」

「そうだな・・ 寝てるみたいだ・・」

「でも起きないんだよ・・・可哀想に・・・ 2週間だよたったの・・ 抱いてやる時間もなくて・・・ 何のために産まれてきたんだろう? 苦しかっただけなのに、何でだろう・・・」

私は冷たくなった頬を撫で、小さな手のひらを握りながら、産まれて直ぐに逝ってしまった姪の哀れさを思い、弟の深い慟哭を受け止めるように彼を抱きしめて一緒に泣き続けました。

そして通夜が始まりました・・・


翌日の告別式、故郷の空は穏やかで青く高く澄んでしました。

(何故だか火葬場へ向かうマイクロバスの運転手がいなくて、親戚縁者を載せたバスを私が運転する羽目になってしまいました)

火葬場

お別れの時、小さな棺に蓋をしなければなりません。

弟は大声で「ごめんね・・ ごめんね・・」と泣き崩れます。

4人の子供たちも一緒に遊ぶはずだった小さなちいさな妹を泣きながら見送ります。

いよいよ出棺の時、

弟は「アニキ、○○は熱くないよね?絶対熱くないよね?苦しくないよね?」と痛いほど私の手を握りしめました。

私は「・・・・ 大丈夫、熱くないよ・・・ 大丈夫だ!」と握り返しました。

これしかなかったのかと思うくらい小さな骨を兄弟で泣きながら拾って弟宅へ戻り、遺骨を祭壇に置いて改めて御坊様にお経を上げて頂きました。

(帰りのマイクロバスの運転も私でした・・・)

皆一息ついて、部屋には私と弟の二人になりました。

そこに御坊様がやってきて静かに話し始めました。

「あなたは喪主のお兄さんですか?あ、そうですかぁ、やっぱりそうですよね。喪主の弟さんとはずっと離れていたのですか?兄弟仲違いとかしていたのですか?」

「・・・・・・」

「さっき出棺の時にね、お兄さんと喪主の弟さんの間に2~3歳くらいの可愛い女の子がいて、ふたりの喪服の裾を引っ張りながら、ふたりを見上げてニコニコと笑っていたんですよ・・・」

「・・・・・・」

「お兄さんが、喪主の弟さんの手を握り返した時に、その女の子はホッとしたように微笑んで、ゆっくり消えて行ったんですよ・・・」

「・・・・・・」

「兄弟で今まで何があったのか知りませんが、その女の子はおふたりのことをとても心配していたんだと思いますよ。」

「・・・・・」

「命を授かって、僅か2週間で○○ちゃんは亡くなってしまい、産まれたことに何の意味があるかとその不条理さに泣きくれることもあるでしょう・・・」

「・・・・・」

「でも、こうやってお兄さんがすぐに駆けつけて、喪主の弟さんもお兄さんに頼って、一緒に泣いて・・・・。こう言っては何ですが、私はあなた達兄弟がお互いを許し、認め合って、昔のように
仲の良い兄弟に戻れるきっかけを作ってくれるために産まれてきたのかもしれないと思うのです。」

御坊様のお話の途中から僕らはもうその答えに気付いていました。

気づいていたから涙が止まりませんでした。

気づいていたけれど、僕らの出来の悪い兄弟を仲良くさせるためだけに産まれてきたなんて本当は認めたくなかったのです。

それじゃあまりにも可哀想すぎるじゃありませんか・・・。

あれから18年経ちました。

僕ら兄弟は藤沢と北海道と遠く離れて暮らしていますが、姪が命をかけて気づかせてくれたおかげで、

この歳になって兄弟らいいことが一緒にできるようになりました。

両親共々の介護や面倒を看ることはしんどいですが、

弟と一緒に乗り切っていかなければなりません。

そう強く思うのです。


朴の大好きな弟のお話し 中編

2017年11月22日 | あの頃 朴は若かった
18年前のとある秋の祝日の朝、弟から電話がありました。このタイミングの電話は5番目の子供が産まれたという報せかと電話を取りました。

「あ、兄貴?」
「おぉ、どうした産まれたか?」
「・・・・・・」
「どうした?」
「・・・・・・」
「どうかしたのか?大丈夫か?」

仲が悪いとはいえ押し黙っている弟が心配です。

「・・・・産まれた、2週間前。・・・・産まれたけど、さっき死んだ・・・」
「え?」

「死んだ、たった2週間しか生きられなかった・・・・」

慰める言葉なんてどう絞っても出てこないから、電話口で泣いている弟とただ一緒に泣きました。

そして、弟から

「アニキ、急で申し訳ないし、忙しいの分かるけど葬式に来てくれる?」

「おー もちろん行くよ。これから直ぐ空港に向かうよ・・・」

「アニキには実家のことで心配ばかりかけて、こんな時だけ急に来てくれってごめん・・」

「馬鹿、何言ってんだよ。直ぐ行くよ」

「親戚に金借りてるから親戚呼びづらいし、親爺お袋だけじゃ嫁の手前バランス悪いし・・・」

「いいんだよ、俺その娘の伯父さんじゃん。俺が行かないとダメなんだよ・・。まだ姪に会えてないしな・・・」

「アニキ、本当にごめん。」

子供を亡くすのなら自分が死んだ方がずっと楽。弟の辛さが苦しいくらい伝わります。

「何度も言うな、兄弟だろう俺ら!待ってろよ。夕方には着くからな」

電話口で弟がずっと泣いていました。

そうだ俺たちは兄弟だ、ずっと仲違いしてきてきたけど、仲の良かった兄弟なんだ。

そうだ、親爺が言うようにふたりきりの兄弟なんだ。

朴の大好きな弟のお話 前編

2017年11月21日 | あの頃 朴は若かった
18年前、弟は娘を亡くしました。

生後わずか2週間のとても小さな命でした。

弟は北海道で軽労働派遣の会社を経営しています。たくさんの挫折を様々な人に助けられて乗り越えて、今では立派に成功して、地元に恩返ししようと頑張っていて誇らしく思います。


弟と離れて暮らした30数年の期間を埋めるように、親の介護のこともあり、今、僕ら兄弟は昔のように仲良く毎日話しています。

そんな兄弟仲ですが、弟が娘を亡くした18年前まで私は弟が憎くて堪りませんでした。

弟は若い頃から色々と先が見えづらい事業を人口の少ない北の街で安易に立ち上げては失敗し、少なからない借金を作っては両親に泣きつきの繰り返し。何をしても上手くいかない空回り、態度も荒んでいるように感じたものです。

両親も助けなければよいものを、定年後の年金や僅かばかりの貯金を崩し、満期目前の生命保険を解約し弟に工面し続けていました。

当時の状況では返す当てのないお金です。実家
に頼めなくなると今度は私に泣きついてくる始末。挙句の果て、父の兄弟(叔父叔母)に母が借りにいくという過保護さ。

実家にお金が無くなると手先の器用な父は65歳を超えているのに大工仕事を手伝いに行ったり・・・。定年後のんびり暮らすはずだった両親は、弟によって随分苦労させられました。

私がたまに帰省すると母親は弟の愚痴ばかりこぼします。であればもう助けるな!と何度言ったことか。それでも過保護の両親は助けることを止めません。

私はそんな両親も弟も憎くて堪らなかったのです、もう共倒れしたらよいのです。

でも決まって母が言うのです。
親しか頼るところないのさぁ
しょうがないっしょ、息子だから。

そして、反目している僕ら兄弟に
いつも父が言うのです。
兄弟ふたりきりなんだから
仲良くしなきゃダメだべさ。


と言われても仲良くできるわけありません。
両親の辛い姿を創ってるのは弟なのですから。

当時弟には4人こともがいました。みんな素直でいい子たち。

そんなある年に帰省してみると義理の妹のお腹が大きいことに気づきました。

借金の肩代わりを両親にさせといて5人目?
生活できるのか? 

何を考えているのか何も考えていないのか、いつも愛想のよくない義理の妹のお腹を見て弟夫婦に呆れたことを覚えています。

To be continued

佐藤師匠リターンズ!

2017年09月14日 | あの頃 朴は若かった
それは7月下旬の猛暑のとある日。

あわてんぼうの戸高君と某証券会社の支店勉強会のために埼玉県志木市を訪れました。

勉強会は17時過ぎに終了し、直帰しても構わない時間です。

最寄りの駅は東武東上線志木駅、池袋から14番目の駅で急行だと20分と便利です。 

真っ直ぐ帰宅しては勿体ない時間です。

そこで思いつきました!

そうだ!本当に久しぶりに佐藤先輩に会いに行こう!

佐藤先輩は以前「朴はあの頃若かった」シリーズで紹介した、ヤング朴竜が大変世話になったお調子者で情に厚い先輩です。

確か先輩は大宮辺りに住んでいたはず。

年齢も6-7歳上なのでこの時間帯は自宅にいて暇を持て余しているはずです。

池袋に出てきてくれればありがたいし、大宮に来いと命令されたら直ぐにでも行くつもりで電話をしてみました。

2コールで電話に出た佐藤先輩、やっぱり暇なんだな~。

「あ、師匠!お久しぶりです。朴です。」

「おー朴ちゃん、久しぶりだね〜。どうしたの? 電話くれたりして、やっぱり俺のありがたい話を聞きたくなったのかね?」と無駄に明るいのは相変わらずです。

「どう?頑張っている? あ、シンガポールの銀行にいるの?大したもんだねぇ朴ちゃんは。

ま、俺が入社させて鍛えてあげたおかげで今の朴ちゃんだあるわけだなぁ。だから感謝しろよ。で、いくら稼いでるの?」

と軽いノリは昔のままで全く成長していないようです。

「あ、僕今志木にいるんですが、師匠これから飲みませんか?」 

「え~!! 志木にいるの? 朴ちゃんとは縁があるねぇ。俺今、志木の3つ先の鶴瀬って駅の近くの銀行の支店で働いてるんだよ~。」

「あ、そうなんですかぁ。投信でも売ってるんですか?師匠、全く勉強しないし、適当だからお客さんに迷惑かけてるんじゃないですか?相変わらず。」

「うるさいねぇ、相変わらず朴ちゃんは〜。ま、その通りで適当に客騙してやってますよ。ギャハハハハ〜。ま、証券会社の客に比べたら銀行の客は騙しやすいよ。素直だしね。で、なんだっけ話は?」

「いや師匠、だから飲みに行きませんか?」

「え?これから?何?高給取りが奢ってくれるってわけですか?」

「いいっすよ。久々ですから。」

「いや~朴ちゃん、良い心がけだね~。さすがに俺が育てただけあって、立派な男になったなぁ。」 

「じゃあ、行きますか?」

「ごめん、今日は無理なんだわ。今日は娘のとこにいって孫たちと飯食うのよ。ほら、上の娘の雅美いるでしょ?あれもうふたりの子持ちで幸せそうなのよ。孫も俺に似ていい顔してるしね。」

「そうですかぁ。雅美ちゃんしあわせそうですね。よかったっす!」

「そうなんだよな。よかったよ。そう言えば、かみさんが死んだときもつらく悲しい思いさせたしなあ・・・・かみさん死んだの発見した時の雅美は3歳だったしなー。」としみじみ語り出す佐藤先輩。

私も当時を思い出して泣きたい気分。

結局、またすぐに会おうということで電話を切りました。

師匠に初めて会ったのは朴竜22歳の時。

あれから33年経ってもいまだにこうやって話せる先輩がいることに心から感謝しています。

師匠、ありがとうございます。

鯛焼き屋事件発覚 (憲ちゃんシリーズ)

2017年03月09日 | あの頃 朴は若かった
先週、母の様子を看に北海道室蘭へ帰省しました。

病院の面会時間までの時間つぶしに地元シャッター通りの輪西町を感慨深く歩いていると、小学校の時によく買い食いした「鯛焼き屋さん」を見つけました。

昭和40年代から50年代半ばまで大いに栄えた輪西町は、鉄冷えと共に閉店する商店が続出。その中で「鯛焼き屋さん」だけは細々と商いを続けていたのです。素晴らしいことです。やはり「粉モノ」は儲かるんだなぁ。


懐かしくて一個買ってみました。小学生時には一個30円だったかな。 うん、やはり東京で食べるタイ焼きの方が数倍美味い!でも、懐かしい味だから許しちゃうもんね。

この懐かしいタイ焼きを食べながら、「憲ちゃん鯛焼き屋事件」を思い出しました。

タイ焼きって必ず「耳」というのか「縁(ふち)」っていうのが出ますよね。溶いた粉を型に流し込むとどうしても粉が溢れてしまいますが、そのまま焼くとタイ焼きのシェイプの外まで焼けてしまいます。

それだと売る時に格好が悪いので、はみ出て焼けた部分を切り取ったり、そぎ落としたり。それが「耳」なんですよ。

ある時、憲ちゃんはその「耳」を大量にビニール袋に入れて学校に持ってきました。

私は「耳」はその時初めて見たので、それがタイ焼きから出た屑とは知らなかったのです。 甘く香ばしいいい匂いがします。

「憲ちゃん、それな~に?」 
「あ、これ、タイ焼きの耳。欲しい?」
「うん、食べてみたいよ。ちょっとだけちょーだい!」
「え~、勿体ないなあ。せっかく買ったのになあ。どうしようかなぁ。」
勿体ぶるところや勿体なさそうに振る舞うのはいつもの手です。

「じゃあ、朴ちゃん、あげないけど100円で売ってやるよ。」 
「え~食べたいけど、買わなきゃならないならいらないや。」憲ちゃん少し焦ります。

「朴ちゃん、これ200円したんだけど、朴ちゃんだから特別100円にしてあげるんだよ。買いなよ!」としつこいことしつこいこと。

もう面倒なので「耳」を100円で買ってあげました。

そして一週間後の学校帰り、憲ちゃんとは別のクラスメイトと「鯛焼き屋さん」に寄って普通のタイ焼きを買うと、おじさんが

「お、朴君!これ耳だけどたくさんあるから持っていきな!どうせ捨てるもんだからタダだよ!」

「え~、タダなんですか?こんなにたくさんなのに?200円じゃないんですか?」

「ばか!タイ焼きが30円なのに耳だけで200円なんかするわけないっしょ。」

「だって、憲ちゃんがおじさんから200円で買ったって言ってたよ。で、僕はそれを100円で買ったんだよ!」

「え?憲の野郎そんなことをしてたのか? いつも来て鯛焼きも買わずに、なんだかんだ調子のいいことばかり吹いて耳ばっかり持っていきやがって、それを売ってたんだな?そうか、憲の野郎、そうか分かった、今度来たらぶっ飛ばしてやる!」とおじさん怒りまくりです。

まあ、買い手の無知は良くないけれど、それに付け込んでクラスメイト相手へリスクなしの中抜き商売をやるなんて、憲ちゃん相変わらずエグいんですな。そのビジネスモデルも調達先を失ったため直ぐに終わりとなりました。

今頃何やってるんだろうかな。

鯛焼き屋になっていたら笑えるんだけどな。

僕と憲ちゃんの仮面ライダー(憲ちゃんシリーズ)

2017年01月18日 | あの頃 朴は若かった
昨年4月の「憲ちゃんシリーズ」のエピソード2です。憲ちゃんは酒屋で雑瓶を盗んだり、
仮面ライダースナックについている「仮面ライダーカード」を多めに取ったり、蕎麦屋の誉くんの家の
小銭を盗んだりと手癖が悪いのですが、まさか僕のモノまで盗むとは信じられなかったことがありました。

北海道弁で「ばくる」は「交換する」という意味で、僕と憲ちゃんは「仮面ライダーカードのばくりっこ」をすることになりました。

同じカードがダブっていたりとお互いに不要なカードを交換するのですが、ある日、その「ばくりっこ」を僕の家ですることになりました。

憲ちゃんは自分の要らない1枚のカードと
手に入れたいカード2枚を言葉巧みに「ばくらせる」そんな技を持っていました。

宥めすかし、嘘をつき、時には泣き落とし、おだてたりどう喝を繰り返す、そんな技を身に付けていました。

そして友達の多くが「ばくりっこ」で憲ちゃんに被害を被っているのでした。

さて、結局大損した気になるような「ばくりっこ」も終わって自分のコレクションを確認するとカードを入れる「アルバム」がひとつ消えていることに気がつきました。

僕は直ぐに憲ちゃんが盗んだのだと確信しましたが、両親は「友達を疑うもんじゃない!」と叱るのですが、それは憲ちゃんの様々な盗みのことを知らないからそう言えるのです。もっと言えば、そんな憲ちゃんをもう友達とは思ってないのです。

僕は言い方を考えて憲ちゃんに電話することにしました。

「憲ちゃん、さっき帰る時に間違って憲ちゃんのカバンに僕のライダーアルバムが入ったりしてないかな?」

「う、うん。ちょっと待ってて。調べてみるからさ。(しばし探している様子)見てみたけどやっぱりないよ。玄関とか探してみた?
一緒に探してあげるからこれから朴ちゃんの家に行っていいかい?」

暫くして憲ちゃんがやってきて、そんなところに落ちているはずもない玄関の端っこを懸命に探して(フリをしている)いたと思うと突然、

「あ、あった!朴ちゃんあったよ。こんなところに落ちてたよ!」

と大声で(わざとらしく)叫んだのです。そこは自分でも一番に探したところでしたからアルバムが落ちている訳がありません。

そうこうして、憲ちゃんが帰った後に「ほら、友達を疑うもんじゃないだろ〜」とまた叱られた私は
渋々と非を認め見つかったアルバムを開いてみるとなんと!

表紙裏に「茅野憲一」とボールペンで書いた名前が砂消しで消しきれずに残っていたのでした!

盗んだモノに早速自分の名前を書いて、バレそうになって証拠を消す。そのやり方ももう少し考えれば良いものを。

憲ちゃんがアルバム探しと称してやってきて、玄関の二枚引き戸の隙間からアルバムを中へ滑り込ませ、あたかもそこに落ちていたような芝居をしたのです。

表紙裏の消し損じた愚かな筆跡を両親に見せると母親はなんと

「憲ちゃん、やっぱりね〜。思った通りだったわ。ほら、憲ちゃんのお父さん本当のお父さんじゃないからね〜、やっぱりね〜。ウチは本当のお父さんで良かっね〜。」と偏見に溢れた母の発言は憲ちゃんの愚かな行為よりもっと愚かで哀しく響くのでした。

相変わらずの憲ちゃんにはがっかりしましたが、母には呆れてもっとガッカリしたのでした。

僕にとっての「仮面ライダー」はそんな哀しい記憶が付きまとっているのでした。

朴は恋のキューピッド(番外編)

2016年07月27日 | あの頃 朴は若かった
あ、どうも朴竜です。

「朴は恋のキューピッド」を投稿した後、何に刺激されたのか、何かを思い出したのか分からないんですが、今朝方に夢を見ちゃいました。

クラスメイトの高田君に頼まれて、伊藤さんに気持ちを伝えに行くところまでは一緒なのですが、ハイスクール朴竜が高田君の気持ちを伝えてる相手が「広瀬すず」なんですよ。

夢の中とはいえ、本当は54歳のおっさんが実の娘よりずっと若く幼い「広瀬すず」に高田君の気持ちを伝えようとしてるわけです。

ところが伊藤さん役の「広瀬すず」はハイスクール朴竜が好きでいてくれて、実はおいらも好きだったんだ、両思いだったんだー、わーいわーい!って感じで、あとはブログに書けない展開となるのでした。

54歳のおっさん、甘美な感覚は夢から覚めても薄っすら覚えていて、何だか変な感じの一日でしたわ。

夢の中の高田君は相変わらず、「朴にだまされた朴にだまされた朴にだまされた朴にだまされた朴にだまされた朴にだまされた朴にだまされた朴にだまされた朴にだまされた」と怖いのですが、「広瀬すず」が「だって、私は朴君が大好き、キミは気持ち悪いし、ズレてるし、変だから嫌い!」と正々堂々と言ってくれたのでした。

何故に「広瀬すず」が夢に出て来たんやろ?
私はロリなのでせふか?

写真はグーグルより転借
広瀬すずに似てるらしい小学生?

朴は恋のキューピッド(後編)

2016年07月25日 | あの頃 朴は若かった
そして放課後。伊藤さんとふたりきりの教室。自分ごとでないからラクっちゃあ楽です。

「伊藤さん、呼び出してゴメンねー」
「うん、大丈夫だよ。そうそう、この前の学園祭、朴君、ジョンレノン上手かったよー。」
「あ、ありがとう。ジョンレノン好きなんだ?」「うん、ポールも好きだけどね。今度、レコード貸してよ。」などと話をなかなか本題に持ち込めないハイスクール朴竜。まあ、別にどうだっていいけど。

教室の外ではクラスメートが息を殺してそば耳を傾けている気配が手に取るように分かります。

「で、話ってなに?」
「えーっとさあ〜」
「なに?なに?」
「えーっと、う〜ん」

廊下から、言っちゃえ、言っちゃえ気配がビンビン伝わってきます。

「えーっと、た、高田のことどう思う?」
「え?」
「高田がさあ、伊藤さんのことが好きなんだと。で、付き合って欲しいんだと。」
「え?」と言ったきり伊藤さん固まっちゃいました。

伊藤さん、勘違いしていたことを表情に出さない気丈さで

「高田君ね〜 全くタイプじゃないし、全然興味もないし。話したこともないし。だから付き合うなんてあり得ない!そんなこと頼む方もおかしいし、引き受けるのもおかしいよ!」と私に怒ったようにキッパリ!はい、その通りでございます。反省してます。

あ〜
哀れ高田君よ。教室外でもがっかり。

「分かった、じゃあ、高田にはそう伝えておくね。ゴメン!」と頭を下げるハイスクール朴竜。何故、オレが〜?

まあ、自分ごとじゃないんで、落ち込まないわけですが、高田君にはなんて伝えようかなあと校舎を出たとこで、小太り赤ら顔の高田君が待ち構えていました。

「ねぇねぇ、朴君、どうだった?オーケーって行ってくれたかな? まあ、大丈夫だと思うけどさあ〜」

この根拠のない自信はどこから湧いてくるのか不思議。

「高田さあ、伊藤さん、高田君はタイプじゃないし、だいたい大事なことを他人に任せる人は好きじゃないとオレまで怒られたよ。まあ、伊藤さんが正しいよ。ってことだから諦めた方がいいんじゃない?」

と、話を聞いていた途中から赤ら顔が憤怒からか黒く変化していくのが分かりました。

「朴君、ちゃんと伝えてくれたんだよね?ちゃんと伝えてくれたんだよね?ちゃんと伝えてくれたんだよね?ちゃんと伝えてくれたんだよね?ちゃんと伝えてくれたんだよね?ちゃんと伝えてくれたんだよね?ちゃんと伝えてくれたんだよね?ちゃんと伝えてくれたんだよね?ちゃんと伝えてくれたんだよね?俺の悪口言ってないよね?俺の悪口言ってないよね?俺の悪口言ってないよね?俺の悪口」

段々と怖くなってきました。

「任せなきゃよかった任せなきゃよかった任せなきゃよかった任せなきゃよかった任せなきゃよかった任せなきゃよかった任せなきゃよかった任せなきゃよかった任せなきゃよかった任せなきゃよかった任せなきゃよかった任せなきゃよかった任せなきゃよかった任せなきゃよかった」

「朴に変に言われた朴に変に言われた朴に変に言われた朴に変に言われた朴に変に言われた朴に変に言われた朴に変に言われた朴に変に言われた」

と高田君、完全にイッテしまいました。

高田君はその後、3年のクラス替えまで一度も口を利いてくれませんでした。

伊藤さん、本当にゴメンねー






朴は恋のキューピッド(中編)

2016年07月25日 | あの頃 朴は若かった
「え?えぇ~ツ!高田君、そういうの普通、本人から言うもんでしょ!? 本人から好きと言わないでどうすんのよ!」

「だって~恥ずかしいし、フラれたら落ち込むでしょ!?傷つくしさあ~」

「えぇ~?なんじゃそりゃ?」と予期せぬ変速高速で且つ身勝手なコンビネーションにあっけにとられるハイスクール朴竜。

「オレ、やだからな、そういうの。自分で何とかせーよ!」

「朴ちゃん、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ!」

とさすがに怖くなった朴竜。しょうがないので「えーい、分かりました分かりました。
引き受けます!でもさ、なんて伝えればいいのさ?」

「えぇ、そこは朴ちゃんに任せるよ!」

「任せる?おまえ、いい加減にしろよ!やっぱやーめた!」

「そんなこと言わないでよ、 朴ちゃん、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ、頼むよお願いだよ!」

ともっと怖くなってしぶしぶ引き受けたのでした。

そして、昼休みに伊藤さんの机まで行って、

「伊藤さん、悪いけどさ、放課後に話したいことがあるんだけどちょっといいかなあ?」

伊藤さん、眼が細い一重瞼の瞳が心なしか潤んでいるようで、「うん、いいよ!」

周りのクラスメート、ヒューヒューと騒ぎ出すのでした?

え?
アレ?
あの、もしかして間違えられてるし。
(後編に続く)

僕は愛のキューピッド (前編)

2016年07月25日 | あの頃 朴は若かった
それは朴竜、高校2年の頃のお話。

隣に机を並べるのは高田君。高田君は小太りで赤ら顔、多少理屈っぽくて、子供のようにちょっとしたことで激しやすいタイプ。所謂、イケテナイ高校生。

そんな高田君、同じクラスの伊藤さんに恋をしてしまった。

高田君は僕の横でいつも切ないため息をついています。そして、「朴ちゃん、伊藤さんって可愛いよね~。ねえ、可愛くない?」と誰に向かって喋っているのか分からないボソボソとした声で話かけてくるのです。

「う~ん、そうだねぇ。可愛いねぇ~。」と適当に相槌を打つハイスクール朴竜。

「ホント!やっぱりそう!? 競争率高いかなあ?」などど、それはそれはしつこいことしつこいこと。

でも伊藤さん、本当は全然可愛くないんです。彼女もまた小太りのおかっぱ頭、色白は素敵だけど地味って感じ。そう、平安時代の女性って感じで、競争率は低くいってば!

あばたもえくぼ、Love is Blind, 恋は盲目。小太り同士、この際付き合っちゃえばいいのだ!とハイスクール朴竜は思っていました。

で、「高田君、そんなに好きなら告白してみたら?」と言ってみたところ、「うん、俺もさあそう考えていたんだ!いつまでもこのままじゃいけないから、そうするよ、決めたよ!」と意を決した男らしい顔つきで私を見据えるのです。

そうして、

「じゃあ、朴ちゃん、俺の代わりに告白してきてよ!」、

「え?えぇ~!?、なんで俺よ?」 (中編に続く)

亡き友に捧ぐ

2016年05月20日 | あの頃 朴は若かった
小ブログのカテゴリー「あの頃朴は若かった」で投稿した「イチルノノゾミ」は2009年5月に42歳で亡くなったバンドのベーシストとの思い出を綴ったものでした。

その後に新しいベーシストに入って貰ったバンドでしたが、17年に亘り一緒にやっていたバンドを私は翌年脱退しました。

私も残ったメンバーもバンド音楽歴に紆余曲折があり、今年4月を迎えました。

一緒にやっていたドラマーからメールがありました。

ベーシストが亡くなったと。享年52歳。
早過ぎる元メンバーの死に打ちのめされました。脱退した私をなんとか元に戻そうといつも声かけしてくれた優しいヤツでした。

久しぶりにメンバーに会った彼の通夜で、亡き仲間のために追悼ライブをやろうと決めました。

通夜は4月30日でした。ライトスパー大会の翌日。告別式も参列した私はそれから3日間、体調を崩して寝込んでしまいましたけど。

7月9日の土曜日、関内で6年ぶりにライブを演ります。場所は以前にジムメイトが来てくれたあの店。

皆さん、縁ある人々とのつながりは本当に大切です。そんな当たり前のことは無くしてからでないと気づかないもので、今はただただ切なく寂しいです。

宜しかったら皆さんお越しください。
珠玉の曲の数々を6年ぶりに歌いたいと思います。亡き友人とこれからの仲間のために。



それぞれの良心(憲ちゃんシリーズ)

2016年04月22日 | あの頃 朴は若かった

大変な事件が起きました!

憲ちゃんとの帰り道、僕たちの前に小学校低学年の女の子が歩いていました。

僕たちが歩いているところから、女の子の斜め右前に道があって、ライトバンがゆっくりと歩くくらいの速さで僕たちの歩いている道に交差するところが見えました。

女の子もライトバンもこのままだと丁度交差点でぶつかってしまう速度です。でも、見通しの悪くないところですからぶつかるなんて絶対ありえないのです。

あ、あ? 

でも、よそ見している女の子とよそ見運転しているライトバンはぶつかってしまったのです。

ぶつかったというか、ライトバンが女の子をはねてしまったのです。

はねるところを僕は見てしまいました。歩くくらいスピードのライトバンの前面が女の子のランドセルにぶつかり、女の子はうつぶせに倒れてしまいました。

軽くぶつかった感じですからドンという音もしませんでした。

運転手さんは若いお兄さんで慌てて降りてきます。慌てて駆け寄ってきます。僕たちも駆け寄ります。

女の子は5秒くらい伏せっていましたが、直ぐに立ち上がりました。怪我はないようです。

運転手のお兄さんが僕たち子どもに「女の子が急に飛び出してきたからブブレーキが間に合わなかったよ。」と言い訳を始めます。

憲ちゃんは「女の子は急に飛び出したんじゃなくて普通に歩いていたし、お兄さんはわき見運転していた!僕たちはそれをみていた!」と言い返します。

それは本当のことなので僕も憲ちゃんと一緒に証言しました。

僕は女の子に「大丈夫かい?一応お父さんやお母さんに知らせてくるから、動いちゃいけないよ、救急車呼んであげるから。」というと、お兄さんは「でも、女の子大丈夫そうだよ。知らせなくてもよさそうだよ。ほら、立っているじゃない!救急車なんて必要ないよ。」と泣きそうです。

女の子が何ともなかったようなので、その場を早く逃げたいのです。

それでも僕らは「いや、これは事故だし、けがはなくても、頭打ったかもしれない。救急車呼ばないと!」と譲りません。その間に当の本人の女の子はなんでもないように走って帰って行きました。

僕は女の子が心配だったし、誤魔化して逃げようとするお兄さんが許せなかったので、警察を呼んで救急車を呼びたかったのでした。

お兄さんが突然言いだしました。
「僕たち、お小遣いあげるから黙っててよ!」

え?それは卑怯と言うもんです、許せないことです。お兄さんも必死です。女の子をはねたんです。謝ることもなく誤魔化そうとしているんです。

「ほら、5000円あげるから!」
え? 僕は殆ど5000円なんて見たことがありません。びっくりしました。大金です。

憲ちゃんは黙ったままです。しばらく黙っていました。

「分かりました。黙ってるよ。はい5000円ちょうだい!」

え?え~? え~~~?

憲ちゃんは嬉しそうにお札を受け取り、お兄さんは逃げるようにライトバンに飛び乗り凄いスピードで走って行きました。

憲ちゃんは5000円をポケットにしまい込み走って帰っていきました。口止め料が欲しいなんて思いません。

お兄さんも憲ちゃんも相当にマヌケな奴らです。憲ちゃんはやっぱり憲ちゃんなのでした。

憲ちゃんのセクハラ発言(憲ちゃんシリーズ)

2016年04月22日 | あの頃 朴は若かった
憲ちゃんはとりたてて勉強ができるわけでもありません。得意な学科もありません。どちらかというと全部苦手です。

体育で前転が上手くもなく、ソフトボールやドッチボールではハッキリ言ってどんくさいし、失敗すると言い訳するのでみんな憲ちゃんと同じチームになりたくありません。

絵が上手とか書道がすごいのでもありません。

でも憲ちゃんの凄いところはじぶんがカッコよく女子にモテると思っているんです。

バレンタインとか誕生日でもチョコとか貰わないし、告白されたこともないのに自分はもててると勘違いしているのです。

憲ちゃんは袴谷さんや松崎さんとか身体が大きくオトナの雰囲気がある女子に、聞こえないくらいのボソボソと小さい声で

「う、う、う、お◯◯ちょ出せぇ!」
「う、う、う、お◯◯ちょ出せぇ!」

と言ってます。本当に聞こえないくらいです。

憲ちゃんは勉強や運動に興味はありませんが、お金や女の子には凄く敏感です。

「憲ちゃん、何言ってるの!」と注意すると
「だって朴ちゃんだって見たいだろ?」とつっかかるんです。

そりゃあ僕だって興味はあります。特に松崎さんからバレンタインのチョコやシャーペンなどいつも僕にくれるので、好かれてるかもしれないし。

ある日、憲ちゃんは相変わらず
「う、う、う、」といやらしいことを言ってるのが袴谷さんに聞かれてしまいました。というか憲ちゃんがいつも「う、う、う」とうるさいのを知っていました。

袴谷さんは
「こら!憲!そんなぬ見たかったら見せてやるから、裏山に来い!」と怒鳴ったのです。

女子全員の前で怒鳴ったのです。そうすると他の女子も「私も見せてやるから!」とあっと言う間に怒る女子に囲まれてしまいました。

憲ちゃんは恥ずかしくなって、しどろもどろになって、結局、泣いてしまいました。

憲ちゃんはやっぱり間抜けなんです。

憲ちゃんの対価 (憲ちゃんシリーズ)

2016年04月21日 | あの頃 朴は若かった
憲ちゃんにバチが当たる日がとうとうやってきました。 

僕と憲ちゃんの家は山の上にあって、学校へは山の急な坂を下りて街に出て、もう一回違う山を登って行かなければなりません。

帰りはその逆でどっちにしても結構疲れます。

ある日の帰り道、家への上り坂の途中でどこからか泣き声が聞こえてきます。

後ろを振り返って街の方を見おろしてみても、誰もいません。

道の左側は笹がたくさん生えた崖になっているんですが、そっと覗いてみても誰もいません。それでも泣き声は聞こえてくるのです。

そして道の右側は登りの土手になっていてたくさんの草が生えているのですが、人が隠れることはできません。

寝ころんでいても分かってしまうような土手なんです。

「助けてぇ~」と泣き声が聞こえてきます。僕は怖くなって、帰り道に佐藤商店でアイスを買おうと思っていたのも止めて、走って家に帰りました。帰ってからお母さんに誰もいないのに泣き声が聞こえてくることを話したら、「あ、それは幽霊かもしれないね。昔、戦争の時にカンポウシャゲキ(艦砲射撃)」があって人が沢山死んだからね。」と面白そうに笑っています。

僕は怖くなって布団をかぶって寝てしまいました。

一時間くらいたってやっぱりアイスが食べたくなって、佐藤商店に行ったらやっぱり誰もいないたくさんの草が生えている土手のどこかから、泣き声が聞こえてきます。

僕は怖かったけれど土手に行ってみました。

声が聞こえる方へ歩いていきました。段々と泣き声が大きくなっていくのが分かります。泣き声が一番大きく聞こえるところに行ってみると、そこはタテにコンクリートの土管が埋まっていました。

井戸みたいなマンホールみたいな感じです。思い切ってその土管を覗き込むと、なんと!

そこに憲ちゃんがはまっていたのです。

それもよくプールで浮き輪の穴にお尻を入れるような感じ、エビのような形で土管の中くらいのところまで落ちていました。

まぬけです。

僕はびっくりして「憲ちゃんどうしたの?なにやってるの?」と聞いても、憲ちゃんは泣くばかりです。「助けてくれ~」しか言いません。

どうも憲ちゃんは僕より坂を先に上っていて、坂の下に僕が見えたので、びっくりさせようとして土管近くで待ち伏せしていたら、どういう訳かエビのような格好で土管に落ちたらしいのです。

ふ~ん、やっぱりそううことか。

というか、そんなことばかりしてるからバチが当たったんだと思いました。

おてんとうさまはいつも見ているのです。いい気味です。

でも、僕が通り過ぎてから一時間以上エビみたいな格好で土管にはまっているのはちょっとかわいそうです。

僕は憲ちゃんを助けようと手を伸ばすと、憲ちゃんはいつものように僕を巻き込もうとして強く下に引っ張ります。

これでは僕も一緒にはまってしまいます。憲ちゃんと死ぬのはまっぴらです。

そうこうしているうちに憲ちゃんはまた下がってしまいました。これはもう大人の人を呼ぶしかありません。

憲ちゃんは「置いていかないでくれ~」とまた泣きます。きっといつも意地悪とかしているので僕が放って逃げると思ったのでしょう。

でも僕はそんなことはしません。だってそんなことをしたら憲ちゃんと一緒になってしまうからです。

僕は佐藤商店のおじさんを呼んできて憲ちゃんを引っ張り上げてもらいました。憲ちゃんは助かりました。

泣きながらお礼を言っていますが、実は憲ちゃんは佐藤商店のおじさんが苦手です。

どうしてかというと、仮面ライダースナックを一個し買わないのにライダーカードを誤魔化してたくさん取ろうとしたことがばれてしまったからでした。

おじさんは「カード誤魔化しているからこんなことになるんだぞ!」ともっともですが、少し子供っぽいことを言ってたのでした。

僕たちの対価(後編)憲ちゃんシリーズ

2016年04月20日 | あの頃 朴は若かった
「ねえ、憲ちゃん。凄いね。どうやって雑瓶集めるの? どこに行ったら雑瓶あるの?」

憲ちゃんは答えません。だって教えたら僕が行って憲ちゃんの分を取ると思っているからです。

僕はヒントが欲しいだけなんだけど、憲ちゃんはそう思っていないんです。

班長の僕は嫌々ながら聞いたのに、何だか損した気分になりました。

憲ちゃんには聞けなかったけど、黙って憲ちゃんの後を付けることにしました。ジーパン刑事の気分です。尾行ってやつです。

放課後、憲ちゃんを付けました。憲ちゃんは夕方の街をウロウロ歩きながら、小道や裏道に入ったり出たり、尾行してる僕を分かってるみたいに歩いています。

しばらくして憲ちゃんは近所の荒井酒店の裏に入りました。荒井さんの店の裏にはきっとどこかの食堂で飲んだ後の沢山のコーラやファンタの空ビンがプラスチックの入れ物にきちんと並んで積み上げられていました。

僕がこそっと見ていると、憲ちゃんはキョロキョロと周りを見渡してから、荒井酒店の空きビンを何本もジャージのポケットとかに詰め込んでいました。空きビンの重さで脱げそうなジャージのズボンを押さえながら逃げて行きました。

家の前にある空きビンはゴミだけど、荒井さんの裏に積まれているのは多分ゴミじゃないことは分かります。

だから、憲ちゃんは泥棒したのです。憲ちゃんの班はノルマが良かったので、ずっとこうやってやっていたに違いありません。

次の日、また憲ちゃんを付けると今度は松永商店で同じことをしています。松永さんは誉くんと同じクラスの女の子の家です。

そして、そのまた翌日は桜井商店にいくんですが、そこは1組の本郷さんの家なんです。

酒屋さんの裏に積まれている空きビンがゴミではないことくらい憲ちゃんは知ってると思います。そしてそこは友達の家なんです。

憲ちゃんがすごいのは、そうやって集めた雑瓶をハイヒンカイシュウギョウシャに売ってお金を貰って、

しばらく経ってまだその瓶が道に置いていたりすると、それを別のハイヒンカイシュウギョウシャに持って行くのです。

憲ちゃんは誉くんの家でのことを全く反省していないようです。

憲ちゃんは捕まってしまえばいいのです。
いつかバチが当たればいいと思いました。