次男はアスペルガー症候群です。
この発達障害は会話によく現れます。
言葉と人の感情の関係性について理解し難い部分があり、相手の感情などお構いなし、といった印象を受ける会話になってしまいます。
相手の発言を理解し、それに対して自分の意見を述べるという会話の基本形が上手くできずに、自分の話したいことだけを話す傾向もあります。
また、冗談が通じ難く人の言葉に非常に傷ついたりします。
小学3~4年までは会話が成り立たず悲しい思いもしました。
その頃まで、私はこの子に求めるものが多かったのだと今は思っています。
心から子供を受け入れるという事が出来ていなかったのだと。
4年生の時に当時の校長先生から受診を勧められ医療機関へ子供を連れて行きました。
各種のテストなどを受け、日を変えて診断結果を私一人で聞きに行った時、医師からはアスペルガーの診断結果と励ましの言葉が。
「よい子供に育てましたね」
それは違う。この言葉を聴いた時そう感じました。
この子がまだ小さかったときの人を笑わせる面白さや笑顔を思い出して、この子は元々とても楽しくて可愛い良い子だったのだと。
私がその事を忘れていただけなのだと。
この時から子供は急速に変わっていきました。
出来ない事も多くありますが、それでももう大丈夫だと確信が持てるようになったのは1年も経たない頃のことです。
それが子供の大きく成長する時期だったからなのか、親の気持ちの持ち方が変わったからなのかは分かりません。
でも私は親に受け入れられることで子供は変わると信じています。
それほどその時の変化は劇的で大きかった。
不登校の三男も、今同じように大きく変わってきています。
この発達障害は会話によく現れます。
言葉と人の感情の関係性について理解し難い部分があり、相手の感情などお構いなし、といった印象を受ける会話になってしまいます。
相手の発言を理解し、それに対して自分の意見を述べるという会話の基本形が上手くできずに、自分の話したいことだけを話す傾向もあります。
また、冗談が通じ難く人の言葉に非常に傷ついたりします。
小学3~4年までは会話が成り立たず悲しい思いもしました。
その頃まで、私はこの子に求めるものが多かったのだと今は思っています。
心から子供を受け入れるという事が出来ていなかったのだと。
4年生の時に当時の校長先生から受診を勧められ医療機関へ子供を連れて行きました。
各種のテストなどを受け、日を変えて診断結果を私一人で聞きに行った時、医師からはアスペルガーの診断結果と励ましの言葉が。
「よい子供に育てましたね」
それは違う。この言葉を聴いた時そう感じました。
この子がまだ小さかったときの人を笑わせる面白さや笑顔を思い出して、この子は元々とても楽しくて可愛い良い子だったのだと。
私がその事を忘れていただけなのだと。
この時から子供は急速に変わっていきました。
出来ない事も多くありますが、それでももう大丈夫だと確信が持てるようになったのは1年も経たない頃のことです。
それが子供の大きく成長する時期だったからなのか、親の気持ちの持ち方が変わったからなのかは分かりません。
でも私は親に受け入れられることで子供は変わると信じています。
それほどその時の変化は劇的で大きかった。
不登校の三男も、今同じように大きく変わってきています。