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自給自足というけれど

2011-06-24 | 思うこと
子供の頃、何でも作り出す母の手が子供心にに不思議でたまりませんでした。
足踏みミシンを駆使して出来上がる家族の服や、編み物で作るセーターは、いつか自分も同じように作りたいという思いの元になりました。
長じて私も服飾に関する趣味を持つようになったものの、衣服を完成させるのは大変なことなのだと分かります。

花好きの人と話していると共通の話題が、人に草取りを任せたら花の苗まで抜かれてしまったという話です。
私も自宅の庭はほとんど全て自分ひとりで管理しています。
どうしても出来ない事だけ家人に説明して手伝ってもらいますが、それは年に一度あるかないかの力仕事だけ。
雑草にもたくさんの種類がありますし、花にも多くの種類があり、そのどちらも花が咲く前の形状を見て判断できないと草取りはできません。
簡単そうな草取りであっても、それなりの知識は必要です。
山野に自生する植物を食べるために採ってくるには、まず食べられる植物を覚えていなければ採取できませんし、どの時期にどの部分をどのように調理して食べるかや保存の知識が必要になります。
収穫期の長い山菜や野菜を育てるとすれば、栽培法にも通じていないと駄目でしょう。

薪を使った火で調理するのであれば、火の管理の技術や薪割りの技術などが必要ですし、乾燥した薪を見分ける眼力も。
暑さ寒さに順応した身体能力もないと、冬に凍死してしまいます。
ほんの20年ほど前まで北国の人は寒さに強かった。暖房の充分でない家で育つことが、寒い時に体温を作る能力を伸ばしていたのか、若い頃のダイビング仲間で青森出身の青年は、冬場の低い海水温でも薄いウエットスーツで平気でした。

現代人は知識が豊富と思うのは錯覚で、知識や技術の総量は縄文時代の人々の方が上だったのかもしれません。
横井庄一氏が自給自足生活できたのも、まだまだ生活の手仕事が重要であった時代に生まれたからで、現代の電化生活で育った世代には不可能な事でしょう。
個人的にスキャナープリンターとパソコンの接続ができず、息子に頼んで繋げてもらったので、ちょっと悔し紛れにこんな事を考えていました。






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2 コメント

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マルチな能力 (やじろじゃ)
2011-06-27 10:00:52
ってなかなか持ちえないんですよね。

ある程度は一人で出来るのですが、専門にやっている人には敵わない。
一人ひとりの能力が高い事に越した事はありませんが、役割分担も家族という組織においては大切ではないかと思います。その能力が秀でているから、彼の存在意義も高まる。

アワビ漁って真冬の行事なんですよ。
雪の降る中、スーツきて素潜りです。
私はコンペティションな泳ぎが専門でしたが、親戚のコマーシャルベースの泳ぎには全く歯が立ちませんでした。
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やじろじゃさま (shouske0)
2011-06-27 20:59:48
専門化についても、たとえば鋳物師や木地師や山家のように日用品や農機具を専門に作る人々もいるのですが、縄をなったり草鞋を編んだりは多くの人がこなしていたと聞きます。
農家なら材料も豊富ですが、町で生活していればワラの入手からなので、やはり専門で作る人も必要ですね。
庶民生活を調べるのは楽しいですが、たとえば真冬の雪山を着物で歩く話など、なぜ凍死しないのか不思議です。
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