お婆さんが守っている社と巨木があって、
[公にせず静かにしておいてください」
という巨木は見ずにはいられません。
どこにあるかの記載もできませんが、そんな巨木に出会った時の感動はひとしおです。
社も、後ろにたたずむ巨木も個人の持ち物なので、知る人のみが鑑賞できる巨木です。
ディープな青森を見たいと思っていますが、一般に言われるディープさとはまた違う北東北の何かを見たような気がします。
幹周は5mを超え、データベースでは上位になるはずの巨木ですが、管理者の意向によって公表されない巨木もいままで見てきました。
公表されなくても、その木の神々しさというか迫力というか、その素晴らしさにに変わる事はありません。
小さい社を見ると、この木が山の神として祭られていたことがうかがえます。
[公にせず静かにしておいてください」
という巨木は見ずにはいられません。
どこにあるかの記載もできませんが、そんな巨木に出会った時の感動はひとしおです。
社も、後ろにたたずむ巨木も個人の持ち物なので、知る人のみが鑑賞できる巨木です。
ディープな青森を見たいと思っていますが、一般に言われるディープさとはまた違う北東北の何かを見たような気がします。
幹周は5mを超え、データベースでは上位になるはずの巨木ですが、管理者の意向によって公表されない巨木もいままで見てきました。
公表されなくても、その木の神々しさというか迫力というか、その素晴らしさにに変わる事はありません。
小さい社を見ると、この木が山の神として祭られていたことがうかがえます。
神様のこと(マナー)を学びながらお掃除をやりました。とても勉強になりました。多くの生き物に遭遇したり、自分の傲慢さが見えたりしました、涼しくなったらまた行きます。淡々とやる作業は森と一体化している気分をあじわいました。
すぐ隣にいる神様に対して怖れの気持ちを持つ事は、自然に対する畏怖というか大切にする気持ちと通じる様にも思うのですよ