心筋梗塞のリハビリ日記

退院後のリハビリ経過

1.17

2018-01-17 17:17:25 | 日記
朝から雨の、うっとうしい日です。
今日は、リハビリのウオーキングをする事が出来なかったので、23年前に使っていた
システム手帳を引っ張り出して、当日の行動を久しぶりに振り返ってみました。

当時は官舎に住んでいましたので、自宅のガス・電気を確認して、直ちに登庁しました。
テレビの情報では、まだ犠牲者の数も少なく、火災の映像も有りませんでした。
県庁と直接つながっているフェニックス装置も遮断されて、連絡のつかない状態でした。

神戸に行く手段は、空が一番早い。
それが決定された後、大阪からヘリを呼んで、県庁へ飛びました。
須磨の山を越えた時に見えた黒煙、あの光景は忘れる事は出来ません。

県庁の屋上に着陸後、エレベーターが使えないため、階段で降りて、2号館の会議室へ急ぎ
当時の貝原知事へ、派遣能力の報告をしました。
県庁内の各局長も集まっていましたが、情報が錯綜し、正確な犠牲者数は少ないものでした。

震災の1ケ月前に携帯電話を購入していましたが、不通の状態で、使える電話は1階の公衆電話
だけでした。
県庁を出て付近のコンビニへ行ってみましたが、見事に棚は空の状態。
想像を絶するものでした。

翌朝まで県庁で会議に出席しましたが、食べる物は殆ど無し。
寒さに震えながら、会議室で仮眠をしましたが、当時は43歳。まだ、体力は強いものが有りました。

翌日からは王子公園に移動し、広報室長として勤務しましたが、悲惨なご遺体や捜索の現場を連日目にし
又、住民のエゴに対応をしたため、これについては、まだ話すのは止めようと思います。

今年も慰霊祭が行われましたが、風化させず忘れない事が大事になると思います。