平和丸は正午過ぎに漁港へ戻った
ここで東恩納さんとお別れ 辺野古のテント村へ向かう
この「座り込みテント村」へは4年前に一度来ている
だいぶ様子が変わった
テント村への路は舗装されて、近くに公園もできていた
公園のジャングルジムは天辺に愛嬌のあるシーサーが描かれ、それを見るだけでも沖縄を感じる
この日は、平和行進スタートの日で、全国から大勢の人が集まった
(平和行進の終点は8月6日のヒロシマと8月9日のナガサキ)
私はこの平和行進が普天間に向かってスタートした後で辺野古に到着したのだが
それでも東京の9条の会の人たちや、見学の人びとを乗せた観光バスも入っていた
テント村のボランティア説明員さんたちは少々お疲れ気味のようだった
テント村前事務所と呼ばれる小屋で「篠原さん」に会う
辺野古の管理人的存在の女性で、毎日「NO BASE」という日記を書いている
伺うことは連絡してあったので「ああ いらっしゃい」と
30分ほど立ち話、情報交換をして、ジュゴンのペンダントを買い
名古屋から預かってきたボランティアさん用「朝食限定カンパ」をお渡しした
熱心に篠原さんの話を聞いていた学生らしき若い女性は
「またここへ来たいです。来ます。」と言いながら、これまた熱心に資料を読んでいた
篠原さんは、辺野古で孤軍奮闘している
彼女らの活動を知る遠来の客の励ましが、また次の活動源になるのだそうだ
全国からの「応援しているよ」というメッセージがうれしいと
東恩納さんも言っておられたが
なにしろ行動を起こし、埋め立て工事を1日でも遅らす
一日、一月、一年と遅らすうちに、それが10年となり20年となり
結果として辺野古が埋め立てられずにすめばいいと
写真は、2ヶ月ほど前一度焼かれた鉄条網と結ばれた応援リボン
鉄条網の向こうは「キャンプ・シュワブ」
ここで東恩納さんとお別れ 辺野古のテント村へ向かう
この「座り込みテント村」へは4年前に一度来ている
だいぶ様子が変わった
テント村への路は舗装されて、近くに公園もできていた
公園のジャングルジムは天辺に愛嬌のあるシーサーが描かれ、それを見るだけでも沖縄を感じる
この日は、平和行進スタートの日で、全国から大勢の人が集まった
(平和行進の終点は8月6日のヒロシマと8月9日のナガサキ)
私はこの平和行進が普天間に向かってスタートした後で辺野古に到着したのだが
それでも東京の9条の会の人たちや、見学の人びとを乗せた観光バスも入っていた
テント村のボランティア説明員さんたちは少々お疲れ気味のようだった
テント村前事務所と呼ばれる小屋で「篠原さん」に会う
辺野古の管理人的存在の女性で、毎日「NO BASE」という日記を書いている
伺うことは連絡してあったので「ああ いらっしゃい」と
30分ほど立ち話、情報交換をして、ジュゴンのペンダントを買い
名古屋から預かってきたボランティアさん用「朝食限定カンパ」をお渡しした
熱心に篠原さんの話を聞いていた学生らしき若い女性は
「またここへ来たいです。来ます。」と言いながら、これまた熱心に資料を読んでいた
篠原さんは、辺野古で孤軍奮闘している
彼女らの活動を知る遠来の客の励ましが、また次の活動源になるのだそうだ
全国からの「応援しているよ」というメッセージがうれしいと
東恩納さんも言っておられたが
なにしろ行動を起こし、埋め立て工事を1日でも遅らす
一日、一月、一年と遅らすうちに、それが10年となり20年となり
結果として辺野古が埋め立てられずにすめばいいと
写真は、2ヶ月ほど前一度焼かれた鉄条網と結ばれた応援リボン
鉄条網の向こうは「キャンプ・シュワブ」
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