gatagata道を行く

おばさんのよもやまばなし 食べる・歩く・俳句 by sino

南九州旅の食

2008-05-31 08:32:38 | たべもの
芋焼酎に始まり芋焼酎に終わる R結さんがご一緒だったら満足度200%だったかも
焼酎工場の見学はもちろん、薩摩揚げ工場、屋久杉工芸館などどこでも焼酎の試飲ができた
宿泊先ホテルでも、焼酎三昧 いわゆる日本酒はメニューになかった

さて、枕崎 かつを・マグロの遠洋漁業基地で、かつをの心臓やハラミなどを買った
でも、原油の高騰で今年になってから、枕崎では船が遠洋へ出ていないのだそうだ
来年から国産かつを節は、高級料亭とそば屋にしか届かないらしい
和食の味の基本、かつを節が入手困難では、いよいよ日本人の食文化が危ない

車窓から
茶畑、煙草畑、芋畑、そして枇杷が収穫時期を迎え そら豆は終わっていた
街路樹はよく刈り込まれた「槙」が圧倒的に多く、市街地や温泉街にはフェニックスも
花々は、ブーゲンビリア、ハイビスカス、栗の花、キンギョソウ、朝顔など

天ぷら事情
関西より西で庶民が「天ぷら」と言ったら、それは「はんぺん」のことである
薩摩揚げも「天ぷら」の類
最終日、南九州の濃く甘い味付けに飽きてきて、名古屋の味が恋しくなってきた頃

「さぁ お昼は飫肥の街で自由散策です。昼食も自由に召し上がってください。
ここの名物は「オビ天」です。」と九州訛でガイドさん
同行のご婦人が「「エビ天」が食べられるの?」と嬉しそう・・・
すかさず私、「ここの天ぷらは薩摩揚げだよ」 
するとガイドさん「オビ天は薩摩揚げとは違います」 
ご婦人「えっじゃぁ普通の「エビ天」!」

まったく話しがかみ合わない  ガイドさんからすれば、薩摩揚げと飫肥天は違うもの
確かに素材の魚、味付け、黒砂糖などが違う でもやっぱり、練り物で
江戸前の「天ぷら」とは異なる
結局皆、練り物のおび天を食べた 小皿に付いてきた「厚焼き卵」は、ちょっと堅めのプリンで、
デザートにはなってもビールのつまみになるものではなかった

おび天  油津港に水揚げされる新鮮な魚をすり身にした揚げ物。黒砂糖や豆腐、
味噌などを隠し味に入れてあるため、風味が濃く、口当たりもふっくら。

薩摩揚げ  魚肉のすり身を成型し油で揚げた魚肉練り製品。薩摩地方の名産品。
九州南部、関東でこの呼び方で売られる。上方で言う「(かまぼこの)てんぷら」に類似。
「はんぺん」とも呼ばれる。

写真 おび天定食(松) 左奥がおび天 小鉢は切り干し大根 お椀は蟹汁
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮崎へ一歩

2008-05-30 00:19:12 | Trip&Bike
3日目 大隅半島を南下 入手困難な「森伊蔵」(芋焼酎)店の前をとおり・・・
店に寄ったところで、購入は抽選だそうだ・・・
鹿屋の自衛隊基地の中にある「航空史料館」へ
ここは、万世・知覧の旧陸軍基地とは違い、旧海軍基地
史料館も自衛隊が開設しているので、イメージや館員さんの解説もかなり違う

万世(ばんせい)知覧(ちらん)鹿屋(かのや)と3箇所の特攻資料館を見学したわけだが
万世は遺族や地域の人々の手作り資料館、館長さんの解説は一言一言がずしりと重い

知覧は南九州市など自治体が整備した公園内、立派な施設 解説用の紙芝居のようなパネルなども準備されており、説明員さんの話術もなかなかで修学旅行生などを多く見かけた

鹿屋は玄関ホールに平山郁夫さんの絵から興した桜島の巨大ステンドグラスがある
解説は自衛隊の方、展示物も旧海軍の博物館かと思わせるものが多い

3館それぞれ趣が違い、同じ歴史の一幕を伝える資料館も、伝え方によりこうも違うものかと考えさせられた

3館に共通するものは、若くして、志願して散っていった命と家族や知人の思い
それと、彼らの最期を懸命に支えた南九州の人びとの心

 当方も至極元気で歌の如く「今日は東へ明日は西へ」と飛び廻って居りましたが
 いよいよ時が到りました
 五月早々を命日と御覚悟下さいませ
                           御両親様
 
 殉皇に生く 我に続け

どちらも万世の展示室で転記した

番外エピソードだが、彼らの意識高揚のため麻薬や覚醒剤が使われていたとの情報もある
そう聞くと何だか納得してしまう

鹿屋の後は、宮崎県に入り都城で焼酎「霧島」の工場見学、続いて小京都「飫肥」(おび)へ
霧島市は鹿児島県だが、霧島連山の麓の一部は宮崎県
都城は島津家発祥の地で、宮崎といえども鹿児島の文化圏らしい
飫肥は町を囲うように三方が川、山口の萩を小さくしたような城下町だった

旅の最後は、高千穂峡の外れで小林ICからすぐの「生駒高原」
お花畑はポピーが満開だった
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知覧と桜島

2008-05-29 17:20:10 | Trip&Bike
2日目 指宿から池田湖へ 池田湖畔から開聞岳を望む
池田湖は「イッシー」という恐竜が棲むといわれている

そして知覧へ 「特攻記念会館」を見学 昨日の万世より、規模も大きく設備も立派
会館へ続く道は、ここから飛び立った1036人に因んで、1036塔の灯籠が続く
灯籠には散華した兵士達の像が刻まれている
全身あるものは、ご遺族の寄進 上半身のものは一般の方からの寄進だそうだ

午後は鹿児島市内、島津の別邸仙厳園(磯庭園)は桜島を借景にした名勝、
計算し尽くされた庭園は島津家の力を量るに十分なものであった
次は「篤姫館」 鹿児島港近くNHKの南側に位置する 大河ドラマ「篤姫」の資料館
篤姫の居室のセットがあり、打ち掛けを着て写真を撮ることができるのでもちろん挑戦
出来上がった写真を見て・・・私はデカイので、頭が鴨居より上に出ている
なんともしまりのない写真だ こういうときは小柄な方が絵になる

そして、鹿児島港からフェリーで15分 錦江湾を「桜島」へ渡る
溶岩道路を大隅半島へ 桜島と大隅半島は大正3年の噴火までは400メートルの海峡で隔てられていたそうだ

 初蝶の溶岩につき当たりつき当たり  高野素十

垂水で「日本一長い足湯」に浸かり、2泊目は南霧島
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戻りました

2008-05-28 23:19:17 | Trip&Bike
旅の5月の締めくくり、「鹿児島平和ツアー」25-27、事務所友の会の旅行で参加者26名
25日はフライトの都合で5時半に家を出発したので、お知らせする間もなく・・

平和ツアーと名を付けての旅は、「千畝記念館と岩村城跡」「沖縄南部・壕と戦跡巡り」
「無言館と松代大本営・別所温泉」「靖国神社と東京湾一周」「広島平和公園・毒ガスの大久野島と呉」そして今回「鹿児島」

鹿児島は初めて あっ屋久島、奄美大島、沖永良部島(?って鹿児島だっけ)へは行ったことがある

ツアー代金を値切ったため、焼酎工場や土産物店に何度も立ち寄る行程となった
初日、鹿児島空港に降り立つと、そのままバスで金山廃坑を利用した焼酎工場の見学から
薩摩半島を南下し、「万世平和祈念館」もちろん特攻の町
万世から飛び立ち、海の浅瀬から引き上げられたボロボロの飛行機が展示してあった
驚いたのは、「補助燃料タンク」 1m程度のカプセルだが、なんと竹を編んで作られていた

あとは観光、枕崎から長崎鼻、指宿泊
砂風呂は、海岸の天然温泉「砂楽会館」まで出かけた
運良く干潮、快晴 天然の砂風呂を堪能できた
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

総会

2008-05-24 09:34:56 | イラク関連~待っていても平和は来ない
セイブ・イラクチルドレン・名古屋の年次総会をだった
2003年2月に俄仕立ての会則をつくった
銀行や郵便局に会の口座を開設するためだった
その時、「年に一度総会を開く」という一文を載せたので、開催せねばならない

形だけの総会とはいえ、会計を締め、一年の活動を振り返り、次年度の方針を確認するという
ことでは、必要不可欠な行事であるようにも思う

イラクから人びとの関心が失せていく
それでも年間350万円の支援金が集まり、医師の研修や医療品支援など450万円を支出した
収入より支出が多いので、繰越金が減った
この調子で使っていくと、あと5~6年で資金が枯渇する
それまでにイラクの復興に目処が立てばよいのだが

つい4日前に校了した「ニュースレター」も刷り上がった
来週から支援者の方々への発送作業を始める
これがまた一仕事!
とりあえず2000通ほど

午後から月例支部句会
欠席投句が沢山届いているので、出席者が少ないということのようだ

沖縄での吟行は、季感が先取りできて案外いいのかもしれない
寒い地方だと、2ヶ月先の季題での作句は実感がなく難しいが
暖かい地方だと、その場でスケッチした句が季題先取りになる
あぁ、でも冬に向かう時期はその逆か
結局本州の真ん中あたりで、ふらふら作っているのがいいのかな
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラオケ only サザン

2008-05-23 00:04:06 | それ以外
カラオケに行った 2ヶ月前から参加者4名の日程調整をして一昨晩
4名は同業者 私を除く3名は過去に数度このカラオケ会をおこなっていた

遅刻厳禁 カラオケボックスで3時間 
「サザンオールスターズ・桑田佳祐・原由子及びサザンのメンバー」の曲のみを歌う
皆、筋金入りのファンで、3時間ずっと合唱状態
ライブで培った振り付け、かけ声というか合いの手などカンペキ
サザンは全部で254?曲あるらしい、懐メロになってしまったものもかなりある

ライブならたいてい 3時間立ちっぱなしで歌い続ける
カラオケボックスでは座っているから、体力は温存
同業者によくある「愚痴」や「歓談」は一切なし ただただ歌い続けた

サザンの活動休止宣言翌日、所属プロダクション「アミューズ」の株価は11%下落した

写真は、オキナワの名物「黒糖ぜんざい」
黒糖で炊いた小豆を使ったかき氷り 地域、制作者により豆の種類や大きさ、味に違いがある
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やんばるエコ・ツアー

2008-05-22 07:58:39 | Trip&Bike
うれしい 初日に寄ったコザの「50'sCAFE」から
コメントが届いた
お店の紹介記事が載っていた「ブルータス・トリップ」を、買いそびれたママさんに送ったのだ

辺野古を後に、名護市を東海岸から西海岸へ横断
沖縄の動脈 R58を北上 大宜見から国頭へ
環境省の「やんばる野外生物保護センター」を見学

翌日(最終日)は、早起きして「モーニング・エコ・ツアー」に参加
6時半から8時までのやんばる散歩 ネイチャーガイドのお兄さんが引率
比地川上流の長尾橋まで4WDで上がる
深い谷の上にかかる長尾橋は、米軍関係者達の「バンジージャンプ」スポットだったらしく
英語と日本語で「飛び降り禁止」と書かれていた

鳥類・は虫類・昆虫・植物・・・歩きながらレクチャーを受ける
私は昨日野外センターで買った「やんばる生きもの図鑑」と首っ引き
やんばるの植物は何しろデカイ
薇(ゼンマイ)の、あのクルクルしたところは直径が5~6センチ
枝になろうとする部分に至ってはクルクル部分が30センチほどある
「くわず芋」の葉はどれでもトトロの傘になりそうだ

森には赤いテープの下がった木々がある
マングース捕りの罠が仕掛けてあるところ という印だそうだ
ハブ退治のために3頭放たれたマングースが増え、今やヤンバルクイナを激減させている

森林浴をしながら、ガイドのお兄さんがお茶を提供してくれた
ポットで持ってきた「さんぴん茶」(ジャスミンティ)と「紅芋タルト」
紅芋タルトがこれほど美味しく感じたことはない タルトは「お菓子のポルシェ」社製だった

沖縄の旅もそろそろおわり
空港へ戻る途中で「首里城」に寄って行こう
レンタカーを市内の営業所で返し、空港まで沖縄唯一の鉄道「ゆいレール」(モノレール)に乗ってみよう

写真は、「ヒカゲヘゴ」巨大なシダ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辺野古テント村

2008-05-21 00:23:47 | Trip&Bike
平和丸は正午過ぎに漁港へ戻った
ここで東恩納さんとお別れ 辺野古のテント村へ向かう

この「座り込みテント村」へは4年前に一度来ている
だいぶ様子が変わった
テント村への路は舗装されて、近くに公園もできていた
公園のジャングルジムは天辺に愛嬌のあるシーサーが描かれ、それを見るだけでも沖縄を感じる

この日は、平和行進スタートの日で、全国から大勢の人が集まった
(平和行進の終点は8月6日のヒロシマと8月9日のナガサキ)
私はこの平和行進が普天間に向かってスタートした後で辺野古に到着したのだが
それでも東京の9条の会の人たちや、見学の人びとを乗せた観光バスも入っていた
テント村のボランティア説明員さんたちは少々お疲れ気味のようだった

テント村前事務所と呼ばれる小屋で「篠原さん」に会う
辺野古の管理人的存在の女性で、毎日「NO BASE」という日記を書いている
伺うことは連絡してあったので「ああ いらっしゃい」と
30分ほど立ち話、情報交換をして、ジュゴンのペンダントを買い
名古屋から預かってきたボランティアさん用「朝食限定カンパ」をお渡しした

熱心に篠原さんの話を聞いていた学生らしき若い女性は
「またここへ来たいです。来ます。」と言いながら、これまた熱心に資料を読んでいた

篠原さんは、辺野古で孤軍奮闘している
彼女らの活動を知る遠来の客の励ましが、また次の活動源になるのだそうだ
全国からの「応援しているよ」というメッセージがうれしいと

東恩納さんも言っておられたが
なにしろ行動を起こし、埋め立て工事を1日でも遅らす
一日、一月、一年と遅らすうちに、それが10年となり20年となり
結果として辺野古が埋め立てられずにすめばいいと

写真は、2ヶ月ほど前一度焼かれた鉄条網と結ばれた応援リボン
鉄条網の向こうは「キャンプ・シュワブ」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

磯あそび

2008-05-21 00:11:10 | Trip&Bike
突然の通り雨を避け、次の目的地「無人島・平島」へ上陸
平和丸は少し沖で待っていてくれる しばらく島の散策と磯あそび

なんという贅沢だろう
青い海、青い空 ほかに人間はいない
潮の引いたリーフの波打ち際で、小さな魚や貝、ヒトデたちと遊んだ
チャパチャパ程度、海にも入った 
買ってきたサータアンダギーとオリオンビールを少しいただく

東恩納さんは平和丸でお昼寝のようだ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャンプ・シュワブを眺める

2008-05-20 08:19:19 | イラク関連~待っていても平和は来ない
船長が船の準備をしている間に、近くの共同売店で昼食を買うことにした
共同売店には日用品から食材、お弁当、お酒まで揃っている
私は、サータアンダギーとポークタマゴおにぎりなどを買った そして指示のあった漁港へ 
どこの漁港にも目印となる「氷」と書かれた背の高いビルが建っている
牧場なら「サイロ」といったところだが、漁船が使う「氷」を作っているようだ
漁港で待つこと10分、沖から「平和丸」がやってきた
突堤には先客があり・・近くの「カヌチャベイホテル」(今沖縄で一番人気&高額リゾートホテル)
からやってきた客たちでヨットクルージングに出るらしい・・平和丸は別の突堤に着いた

さぁ 出発
まずは水深のある大浦湾 深い藍色をしている 最近青珊瑚群がみつかった
しばらくするとキャンプシュワブから出てきたゴムボート3隻とすれ違う
向こうが手を振っているように見えたので、こちらも手を振ろうかなと思ったが、よく見ると
その手は「シッ シッ」と私たちを追い払う動作をしていたのだ
そうだ訓練をしようとしている米兵が、私たちに好意的なはずはない
平和丸は陸のキャンプからずっと監視されているのだろうし・・
海岸から100m以内に近づくと、すぐにジープが出てくるそうだ

近づけるだけキャンプに近づいて、施設の概要を教えてもらった
プライベートビーチ、宿舎、音楽ホール、ゲストハウス、28面あるテニスコート、丘の上には火薬庫
全て我が国の「思いやり予算」で作られている

そして船は1番目の無人島「長島」に着いた
錨をおろして上陸、灯台を目指す 灯台まで5分とかからない 灯台からは薄をかき分けてすすむ
突然前方が開き、岬へ出た
水深があるため大型の船舶が入港できる大浦湾 軍港にもってこいだ
少しずれてリーフにかこまれたエメラルド色の浅瀬が広がる
この浅瀬にジュゴンが好む「アマモ」が生えている
そして、普天間基地移転計画で埋め立てられようとしているのがこの浅瀬、ぜ・ん・ぶ!
この岬は、それらが一望できる絶好のスポットだった

キャンプ・シュワブは、本国のブートキャンプで訓練を終えた若い兵士たちが来る
そして、ここからイラクへ飛び立つのだ
基地の設備などは全て日本の税金でまかなわれているから、アメリカの税金を使わない
よって、アメリカの議員や議会・一般人は、遠いオキナワの基地問題に興味を持たない
だからここでジュゴンが生活をしており、国際的にもこの環境を守らねばならないという
認識がないのだ

写真は、沖から見た「キャンプ・シュワブ」の施設群
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする