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~能面師大月光勲さんのお話から~
簡単な歴史 <面(おもて)を主に>
能(江戸期までは猿楽)は、奈良時代に唐からやって来た伎楽が基となっている
当時の面はヘルメット型で後頭部から覆う大きなものだった
その後、舞楽と散楽が渡来
舞楽は宮廷の芸能、散楽は今でいう雑技団のような存在
この散楽が、猿楽へと変遷
猿楽は、寺社で保護され、当初は僧や神官が演じていた → 翁
寺社の祭りや式典で披露され、客寄せ的部分もあった
僧や神官が演じた翁を、一般の楽師が演じるようになり、翁猿楽となる
翁猿楽は、座を組んで諸国をまわる
この翁猿楽が能と狂言へ進化する
当初「翁」だけだった能は、徐々に演劇化され、
世阿弥の時代には17種の面を使い分けるほど演目が増えている
江戸末期には300種の面が使われており、当時能面師は出目家(三系統)の家元制だった
明治維新で猿楽・能は絶滅の危機に瀕する
明治政府の井上馨らが欧州視察の際「オペラ」を観て、日本文化の重要性を確認し能を復活させる
これ以降は猿楽と言わず「能」という
復活の際、能面師出目家の家元制度はなくなっており、現在に至る
明治の能面師は、寺社などに保管されていた古い面を手本に、新しい面を打った
現在、能楽師が推薦する(実舞台で面が使用されている)能面師は20名
簡単な歴史 <面(おもて)を主に>
能(江戸期までは猿楽)は、奈良時代に唐からやって来た伎楽が基となっている
当時の面はヘルメット型で後頭部から覆う大きなものだった
その後、舞楽と散楽が渡来
舞楽は宮廷の芸能、散楽は今でいう雑技団のような存在
この散楽が、猿楽へと変遷
猿楽は、寺社で保護され、当初は僧や神官が演じていた → 翁
寺社の祭りや式典で披露され、客寄せ的部分もあった
僧や神官が演じた翁を、一般の楽師が演じるようになり、翁猿楽となる
翁猿楽は、座を組んで諸国をまわる
この翁猿楽が能と狂言へ進化する
当初「翁」だけだった能は、徐々に演劇化され、
世阿弥の時代には17種の面を使い分けるほど演目が増えている
江戸末期には300種の面が使われており、当時能面師は出目家(三系統)の家元制だった
明治維新で猿楽・能は絶滅の危機に瀕する
明治政府の井上馨らが欧州視察の際「オペラ」を観て、日本文化の重要性を確認し能を復活させる
これ以降は猿楽と言わず「能」という
復活の際、能面師出目家の家元制度はなくなっており、現在に至る
明治の能面師は、寺社などに保管されていた古い面を手本に、新しい面を打った
現在、能楽師が推薦する(実舞台で面が使用されている)能面師は20名
後白河法皇の今様に関心を持ったのがきっかけで、雅楽や能にも、とても興味があります。
熱田神宮の舞楽や、名駅ツインタワー前でやる薪能など、一度観に行きたいと思っています。
先日ボストン美術館に行き、その後海外に流失した美術品に関する本も読んだのですが、猿楽や能も明治維新の際には一掃される怖れがあったのですね。
「静」の動きで心情や怨念まで描く能の奥深さは、日本人ならではのものですよね。大事にしていってほしいですね。
私も明治維新の危機については初めて知りました。