わたしのあしあと - 2nd half -

私の人生の後半戦の記録です。突然降りかかった病気をキッカケに、与えられた私の残りの人生を楽しんで過ごしたい!

生で観戦した母校の敗戦試合が一番印象に残っている高校野球

2016年08月14日 | スポーツ

私が高校3年生、受験生で受験勉強真っ盛りの時に、母校が甲子園出場を決めました。

入学当初から、3年間のうちに甲子園に行けたらいいなぁ・・・と思っていたので、これは本当にうれしかったです。

県大会の決勝戦。

夏期講習の合間をぬって応援に行き、精一杯の声援を送った結果、見事優勝!

そして、甲子園出場となったわけですが、、、

さて、いつ甲子園まで行くか?

というのが、受験生の私たちの悩みでした。

どこまで勝ち進むか?

ある種の賭け。

対戦相手を見ながら、応援に行く試合を決めることにして、結局3戦目に行くことに。

3戦目ということで、勝ち進んだ場合は決勝まで居残って応援する or その試合だけ観て帰る というに2択を迫られました。

当時、相当な受験生だった私たちは、悩みぬいた揚句にその試合だけ観て帰る選択をしました。

 

試合当日。

たしか、3試合目。

ところが、その前の試合が延長戦に入って、なかなか終わらない。。。

応援席に入る私たちは、甲子園の外野と内野の分かれ目のところで待機。

ひたすら待機。

私はラジオを持っていたので、延長戦の模様をまわりに知らせて、まだまだ終わりそうにない前の試合にソワソワしながら、母校の試合を待ちました。

そして、前の試合が劇的な幕切れを迎え、いざ、アルプススタンドへ・・・

甲子園のアルプススタンドって、強い日差しの中、汗だくになって声援する制服をきた在校生・・・というイメージをみなさん持っていらっしゃるかと思います。

ところが、延長戦だったため、私たちがアルプススタンドに入った時には、気温も少し下がって、日差しも夕焼け気味。。。

なんか違う。

それが一番の思い出かもしれません。

 

肝心の母校の試合は、抜きつ抜かれつの接戦。

最後は同点で最終回を迎え、サヨナラヒットで敗戦。

あの白い白球がライトに描いた放物線は、今でも鮮明に覚えています。

 

私にとっての甲子園の思い出、本当に貴重な経験になっています。

野球を好きでよかった・・・



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