わたしのあしあと - 2nd half -

私の人生の後半戦の記録です。突然降りかかった病気をキッカケに、与えられた私の残りの人生を楽しんで過ごしたい!

[GIST] 食べ物を受けつけずリセット入院

2019年08月26日 | 闘病家族

お盆休みの間に家族でファミレスに行って食べ過ぎた模様の父。

「お別れのときがきたのかなぁ・・・」

とボソっとこぼしていたのが気になっていました。

 

私が帰ってから、なんだかんだ生活することができて、救急車にも病院にもお世話にならずに済みました。

と思った直後。

腎のう胞の手術のあれこれのために、予約日に病院に行きました。

すると、母から

「栄養不足で点滴するために入院になりました」

と母から連絡がありました。

あぁ、前の週にあんまり食べられなかったのが影響したのかな・・・と思いました。

一旦入院で点滴して、消化器系をリセットするそうです。

前回の検査で、逆流性食道炎とも言われていたので、それを抑えるための入院ともいえるみたいです。

 

入院して1日経過。

「なんだかトイレまでスタスタ歩けるよ~!」

とすぐに元気になったそうです。

家にいた時は、わずか5m先のトイレに行くのもしんどかったのに、点滴したらこの調子。

栄養が不足していたのでしょうね・・・

 

今回の入院は3.5日で終わりました。

1日は点滴。

その後は5分粥での食事で慣らして、退院。

ようやくすっごい暑い日々から徐々に涼しくなりかけていたので、ちょうどよかったかもしれません。

 

ちなみに、腎のう胞の手術は10月まで先延ばしになりました。

命に関わるような重篤なものではないのでしょう。

それまでの間にまた入院!なんてことがないといいのですが、、、


乳がん

2019年08月16日 | つらつら

昨日の知らせ。

大学時代の友人が乳がんで手術をした、と。

そして、すでに骨にもリンパにも転移している、と。

 

驚きのあまり、言葉を失った。。。

あの子が乳がんで闘病してるなんて・・・

 

それを知らせてくれた友人は、飼い犬が乳がんを患い今年の春に亡くなっている。

そして、2ヵ月ほど前、一緒に仕事をする身近な同僚が乳がんに罹っていると。

その同僚も、骨に転移して、会社に来たり来なかったりの日々と言っていた。

 

2人の乳がん、しかも他の部位への転移あっての闘病者。

自分の父親も闘病しているが、年齢が親と子も離れているわけで、、、

若過ぎる。。。

こうも病人が続出すると、自分の体内にある腫瘍のことも心配になってくる。

 

人生は一度きり。

長短それぞれ。

私は長寿家系に育っているので、メンタルの病以外の大きな病気をしておらず、きっと長生きの部類に入ると思ってる。

ならば、せめて健康体で過ごしたい。

健康であれば何でもできる。

その健康のためにやるべきことをしっかりと取り組まなくちゃな、と思った次第。


[GIST] 「そろそろお別れの時がきたのかなぁ・・・」

2019年08月15日 | 闘病家族

この前の3連休。

久しぶりに家族5人が揃いました。

ファミレスに食事に出かけ、お子様用のハンバーグを注文。

それをしっかり食べていた父。

この調子ならば、来月ロボットの手術をしても、すぐに退院して戻ってくるだろうな・・・

なんて思っていました。

 

翌朝。

「調子が悪い。お腹が痛い。。。」

と、起きてきません。

暑いので、熱中症が気になってお茶を運んだのですが、

「いらない。飲めない。」

と言い、飲まず食わず。

そして、午前9時頃に

「救急車呼んでもらうかも・・・」

と言い始めました。

こちらは慌てて出かけられる準備。

そして入院の可能性もあるので、最低限の入院用の物を袋に入れて待機。

 

昼過ぎ。

「もう少し横になってる。」

せめて水分だけでも摂ってほしいのに、飲みたくないと言って一切口にしない。

 

「もう救急車呼んだほうがいいんじゃない?」

と言っても、

「もう少し様子見てみる」

 

そうして夕方になってしまいました。

休日ということもあって、病院に行っても簡単な措置しかしてもらえません。

だけど、痛いと言ってるし、朝から何も口にしていないから、せめて点滴だけでも打てば、少しは楽になるんじゃないか・・・と家族は思っていました。

 

結局、救急車も呼ぶことなく、夜になりました。

夜はなんとか具なしのスープを飲んでました。

その食卓でひとこと。

「そろそろみんなとお別れの時がきたのかな・・・」

とボソっとこぼす父。

本人、そして家族も、一応それなりの覚悟。

 

そして翌日。

父からのLINEが入りました。

「あ~れ不思議。回復したよ!」

なるメッセージが!!!

もー!

あんなに心配した昨日が無駄になった気分。。。

 

一度大きな病になると、痛み苦しみがやってくるたびに、死期を覚えるのだと思います。

特に年齢も後期高齢者の部類に入るわけですし。

ただ、心臓がある程度強いと、なかなか最期がこないという現実もいくつかみてきています。

だからすぐにどうのこうの・・・はないと思うのですが、父が苦しむたびに、

"あぁ最期かなぁ・・・"

と感じて、覚悟するのは、人としての条件反射なのでしょうか。。。


[メンタル] 6年経った今

2019年08月06日 | 身体のうつ
「もう普通の生活は送れないのかもしれない...」

そう思う程、身体に異変が生じてから6年が経った。

もう何度も書いているけれども、おさらい。

きっかけは夏風邪。
休んでも、風邪薬でも治らず、病院に行っても回復しない。
そのうち目が痛くなり、眼下に行ったら耳鼻科を勧められ、そこで見つかった急性副鼻腔炎。
抗生物質を服用して1週間経っても、身体がおかしい。普通じゃない。
そのうち身体の背面が痛く、平衡感覚が失われ、会社にも行けなくなった。

精神的なものだといわれで精神科を受診したところ、脳神経を疑われ、検査入院。
しかし、ここでも検査での異常はなく、大病院の神経内科に行くようにと言われ・・・
大病院では予約がないと診てもらえず、やっと取った予約日まで約1ヵ月の間、自宅の天井を眺めながら、
「死んだ方が楽・・・」
と思いながらも、懸命に痛みを我慢した。
やっと大病院での検査を受けたら、やっぱり異常なし。
そこでついたのが

身体表現性障害(身体症状症) とかヒステリーというもの。

https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/10-%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%81%A5%E5%BA%B7%E5%95%8F%E9%A1%8C/%E8%BA%AB%E4%BD%93%E7%97%87%E7%8A%B6%E7%97%87%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E9%96%A2%E9%80%A3%E7%97%87%E7%BE%A4/%E8%BA%AB%E4%BD%93%E7%97%87%E7%8A%B6%E7%97%87

要は、、、
死ぬような病気じゃない、ということ。

だから
 "いつか良くなる!"
" いつか元のカラダ、感覚に戻る!"

そう信じて暮らした。

一旦ひとり暮らしを引き上げて実家に戻り、家族のサポートの下で生活。
その間、大雪が2度降って、年老いた両親が雪かきをするのに、私ができないなんて・・・と心苦しくなったこともあった。

両親の介護が必要になった時、いったいどうするのだろう???
私はきっと収入がないし・・・
なんとか元に戻ってくれ!

そう願い、自分なりの努めをしながら日々時間が過ぎるのを待った。

ようやく温かくなり始めた初春。
思い切って再度ひとり暮らしに生活をしてみることに・・・
そして、精神科に併設するデイケアにも通うことにしてみた。

身体の痛みを主とする異変はあまり変わらない。
でもどうにか生活はできる。

ここで一旦リセットしよう。
人生の折り返し。
すべてやり直してみよう。

計1年半の休みを経て、勤めていた会社に戻ることが自分の負担になるとも思い、退職することに。
さらに、精神障害者手帳も取得。

精神障害者枠での雇用を今勤めている会社にしていただき、新たな人生をスタートさせた。


すべての始まりから6年。
かなりの回復をしてる。
普通に会社にも行ってる。
身体に表れる特殊なうつ病ということで、周りの理解も得られてる。

時々襲ってくる身体の痛み。日々の疲労感。
それらを背負いながらやっていくことは、以前の私からしたら、とってももどかしい。
悔しい、と言った方がいいかもしれない。

欲を張らずに、生きていること、現状に大きな悩みがないこと、小さな幸せを感じられること。
そういうことを考えながら、今を過ごしている。

最近、仕事がつまらない。
障害者枠での業務は、与えられたことをこなして、できないことは怒られて。
誰からも褒められない。

なぜつまらないか、、、
いろいろと考えたら、成果物がないことがひとつ挙げられると思った。
ルーチンワークはできて当たり前。
ならば、このルーチンができたことをひとつの成果と思い込むことにしている。最近から始めたことだけど。


月日はどんどん過ぎていく。
イヤでも年をとる。
どんなこともポジティブに!
好きなことをしよう。
つらくても、その裏側を考えてみよう。

メンタルの病というものは、完治という目安があるようでない。
一旦治ったかと思っても、再発することが多々ある。
だから、私もそれを認識しながら過ごしている。

今更・・・って思う。政府による就職氷河期世代支援プログラム

2019年08月02日 | つぶやき


政府が就職氷河期世代への支援プログラムを打ち出した。
この世代の生まれ。
そして、まさしくこの波に飲み込まれて人生をちょっと狂わせられた当事者。

この政府の支援に対する思いは、
「今更、何言っちゃってんの???」
ということ。

ちょうど35~44歳くらいが該当する。
が、企業にとってみれば、この年齢に求めるスキルはかなりハードルが高いはず。
今更支援されたって、企業のニーズとマッチするのか?
そして正規雇用になるように推進していくようだが、ただでさえ大手しか給与は上がっておらず、中小企業に至っては景気がいいと感じられていると思っているところはあまりない様子がうかがえる。。。
となると、、、
正規雇用で働けるようになるなんて、すっごく難しいと思われる次第。

当時は、
就職 = その会社で一生働く
と考えられていたので、一度失敗するとやり直しが一切効かなかった。
氷河期ゆえに、起業するなんて、よっぽどの優秀な規格外の人にしかできそうになかったと記憶する。

もしあの時氷河期でなければ・・・
何度も何度も、悔しい気持ちがふつふつとわいてくる。
特に、アルバイトの学生さんが早々に内定をもらって、大手企業に就職していく姿を毎年見ていると、うらやましいなぁ・・・と正直思うわぃ。

現在、非正規雇用社員であります身。
ムリ無理。