興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

small win

2006-10-15 | プチコミュニティー心理学

「変わりたい」と思う人は世の中溢れているし、多くの人々は、変われるように、多かれ少なかれ努力する。その中で、大きな変貌を遂げる人もいるが、「変わりたいけど変われない」と、フラストレーションを感じながら生きている人も多い。

  同様に、酷い世の中の酷い有様や酷い仕組みを嘆き、「なんとかならないかな」と思う人は多く、実際人々は様々な方法で世直しを試みるものである。そのような試行錯誤の中で劇的な変化を遂げた事象もあれば、全く変わらなかったり、悪化していく物事も多い。

  それでは何故、多くの試みは、多くの努力は、なかなか実を結ばないのだろうか。そこには様々な要因が考えられるけれど、その中の一つに、「我々人間は得てして多くを望みすぎる傾向がある」、ということが考えられる。月並みな言葉だけれど、「高望みのしすぎ」である。

  「そんなことはない。理にかなった、現実的な計画だ」と言う人もいるけれど、そうしたものは、確かに現実だけれど、それでもやはり無理がある場合が多い。冷静に、論理的に、実行可能な計画を練ったつもりで、人間やはり「少しでも効率よく」とほとんど無意識に欲をだしてしまうのが人情だと思う。

  それでは一体どうすればいいのだろうか。

  どうすれば変えられるのか、変わっていけるのか。

  ここに、"Small Win"という言葉がある。これは、コミュニティ心理学の概念で、「小さな勝利」「小さな成功」などと邦訳することができると思う。

  コミュニティ心理学の究極の目的は、Social Change(社会のよい変化)だけれど、この学問の根底にある強みは、(メンタルヘルスの専門家だけではなく)全ての人々の社会参加とソーシャルネットワークだ。ある意味、国民全員が参加者であるのが、コミュニティ心理学だ。

  社会の変化を目指すコミュニティ心理学が実際にターゲットにするのは、多くの場合、法律の改正などではなく、学校などの地域施設、ホームレス問題、麻薬問題、売春問題など、各地域に見られる一つ一つの問題である。こうした一つ一つの問題は、介入可能な規模になるまで、さらに細かい単位に微分されていく。

  例えば全体で100ぐらいある問題を一度に解決しようとするとそれは到底無理だけれど、それを50X2に分けたり、さらに、25X4,10X10.5X50、1X100と、より消化しやすい大きさに分けるとずっと解決しやすくなる。そうした中で、例えば10X10として、「10の解決」という、いわば「小さな成功」を10個重ねることで、100の成功が得られることになる。

  もっと具体的な例を挙げると、重度の対人恐怖症で引き篭もりの生活をしている人がいきなり就職を目指すのは無理があることだけれど、一日30分外にでるところから始めて、友達を作ることなど、小さな成功を味わいながら、アルバイトというさらに大きな成功を体験して、最終的に就職するのは、或いは可能であろう。

  もちろんその中でいろいろ失敗をするわけだけれど、守備範囲内での失敗からは、人は立ち直れるものである。人間無理をすると、それだけ失敗した時のダメージは大きい。それよりも、どんなに小さなことでもいいから、小さな成功を一つ一つ経験してそうした経験を積んでいくことが大切である。そうした中で、人は程よい自尊心(self-esteem)や自信を身につけていくものだ。

  人間が変わっていくのは、こうした小さな成功による小さな変化の蓄積によるものだと思う。歯の矯正などにも同じことが言える。一気に短期間(例えば10日)で直そうとしても、痛くて危険なだけで、何もいいことはない。時間を掛けて、ゆっくりと、最小単位で変えていくから、あのようなきれいな歯並びが可能になるのだ。

  そういうわけで、自分の性格や性質や習慣などで、なんとか変えたいと思うことがあったら、それらをよく分析して、「これはちょっといくらなんでも簡単すぎるんじゃないの」というくらい実行可能な大きさまで分けて、一つ一つ消化して小さな成功を重ねていくのが、「急がば回れ」で、長い目で見たときに一番確実だと思う。少なくとも、自分に鞭打って無理な計画を立てて挫折して自己嫌悪や挫折感を味わうよりずっといいと思う。

「地上にもともと道はない。歩く人が多くなるから
 道になるのだ」

と言った魯迅はやはり偉大だと思った。


二種類の変化:First Order Change Vs. Second Order Change

2006-10-05 | プチコミュニティー心理学

アメリカには、コミュニティ心理学(community psychology)
という、とてもユニークな、応用系の心理学が
あるのだけれど、臨床心理学などの従来の心理学に
対するアンチテーゼ的な要素の多いこの心理学は、
人間の「強さ」や「可能性」に重点を置く傾向があり
大変示唆に富んでいる。

活動家と呼ばれる心理学者にはこのスタンスをとっている
人が多い。フェミニストのコミュニティ心理学者が
多いのも、必然的なことのように思える。

コミュニティ心理学にはいくつかの中核となる
コンセプトがあり、以前紹介した、victim-blaming
(被害者を責めることの問題点)も、そのうちの一つだ。

今回の、first order changeとsecond order changeも
コミュニティ心理学の基本原理の一つで、これは、私たちの
日常生活のあらゆる場面に応用できる有益な概念に思える
ので、一緒に考えていただけたら幸いだと思う。

私たちの人生には、大小さまざまな変化が起こる。
変化とは、実に多岐に渡るもので、日々の比較的
小さな変化(コンピュータが壊れた、自転車が壊れた、
パチンコで1万円勝った、社内の配置換え、
スケジュールの変更、恋人や配偶者との喧嘩、
インターネットプロバイダーの交換、車がパンクした・・・)
から、人生に大きな影響を与えるような変化
(長年勤めていた会社を辞める、宝くじで1億円当てる、
離婚、長年付き合っていた恋人と別れる、大きな事故に
遭う、大きな病気にかかる、大切な人の死、長年
住んでいたところから全然知らない土地への引越し・・・)
と、本当に枚挙にいとまがないけれど、このように、
私たちの人生は、ある意味で変化の蓄積だったりする。

これだけ多くの変化があるけれど、特に、私たちが
選んで起こす変化は、次元的に捉えると、2種類に
分類することが出来る。

first order changeとsecond order changeだ。

first order changeとは、どちらかと言うと、日常的で、

1)現在のシステムや構造内での変化や調整、
2)どちらかというと元に戻せる変化
3)崩れたバランスの調整
4)システムそのものには変化なし
5)元来のルールに基づいた変化
6)新しく何かを学ぶことは必要ない
7)さじ加減の変化(労力を増やしたり減らしたり)

などの特徴がある。

一方、second order changeは、より根本的な変化で、

1)システムそのものの変化
2)不可逆的な変化
3)一見馬鹿げて見えたり、ナンセンスに見えたりする
4)いろいろな学習が要求される
5)新しいルールに基づく、
6)全く新しい価値観や物の見方
7)比較的大きなエネルギーが要求される

といった特徴がある。

少々抽象的だけれど、たとえば、10年以上結婚して
いるけれど、常に夫婦仲の悪いカップルが居たとする。
このカップルが、「このままでは良くない」と思い至って
マリッジカウンセリングなどを利用して、夫婦仲を
改善していく試みは、「現在のシステム(結婚)内での
変化」であり、first order changeと言える。

逆に、このカップルが、「やっぱり私たちはどうしたって
合わないのだから、ここらで思い切って別れよう」と離婚
(システムそのものの崩壊と新しいシステムの形成)する
のは、2nd order changeだ。

他にも、長く勤めている会社で、慢性的な問題が
起きているときに、姿勢や態度などを改善して、
その職場でやっていこうという試みがfirst order change
だとすると、やはり自分には今のところは合わないのだ、
まだ余力があるうちに、辛いけど思い切って他のところに
移ろうと、会社を辞めるのは、2nd order changeだ。

心理療法でも、現状を維持して、なんとか日常生活が
出来るように、それ以上悪くならないようにといった
ことを目的とする、Supportive Therapyと、
問題となっている人格そのものを改善していく、
精神分析などの、根本的な変化を目指すものがある。
これは精神科医の投薬療法と臨床心理学者の精神療法の
違いでもある。

この他にも、first order changeとsecond order changeの
例はいくらでもあるけれど、基本的に、私たちが普段体験
している変化と言うのはfirst order changeだ。

人は、大きな変化を嫌う傾向があり、多少悪くても
現状を維持したい気持ちがあるので、個人レベルでも、
グループや組織や、さらに、社会レベルでも、基本的に
私たちはfirst order changeを選ぶ。

もし、first order changeで事が足りるならば、それに
越したことはない。大きな犠牲もなければ、エネルギー的に
みても非常に経済的で、大きな危険もない。たいした
リスクを背負わずにとりあえず調整して、「まあこれで
しばらくはだましだましやっていけるだろう。これでまた
駄目になったら微調整していけばいいんだ」と、ほとんど
無意識的に、私たちは選択し、行動する。会社で、誰かが
大きな変化を伴う企画を出したときに、それがなかなか
通らないのは、この傾向と関係している。

しかし、世の中には、本当に壊さなければならない、
機能不全なシステムというものは存在する。

例えば、 先程の例で、夫婦仲が本当に悪いカップルが、
「子供のためだから」と言って離婚しないケース。

多くの場合、これは子供にとって非常に悪影響で、
それよりもむしろ、離婚して幸せになった親と暮らす
方が子供の精神衛生上ずっといいことが知られている。

離婚は本当に大きなエネルギーや痛みや傷を伴う
けれど、思い切ってそこへ踏み出す価値があることは
決して少なくない。

では、First Order ChangeとSecond Order Changeという
概念はどのようにして日常に役立つだろう。

その一つとして提案してみたいのは、私たちが、
自分の生きている環境を見回してみて、さまざまな問題を
発見した時、それらの問題点の質や次元を見極めるための
目安としての使いかたがある。

現存するシステム内で十分に修復可能な問題もたくさん
あれば、何度も何度も同じところで躓いている、慢性的な
問題もあるかもしれない。これは別に大袈裟なことじゃなく
例えば、本当にしょっちゅうフリーズするガタガタな
コンピュータをだましだまし使い続けるか、それでは
あまりにも効率が悪いと、思い切って新しいPCを購入
するかといった、比較的小さなfirst order changeと
Second Order Changeの選択もある。


お気づきの方も多いと思うけれど、捉え方によっては、
ある人や状況下においてはfirst order changeであるものが、
別の人や物事においては、Second Order Changeだったりも
するので、これらの概念はあくまで相対的なものであって、
絶対的な基準はない。


Victim-Blaming (被害者を責める周りの人々)

2006-07-14 | プチコミュニティー心理学

周りで誰かが何かで傷ついているときに、
そばにいる人間がついついしがちなことのひとつに、
Victim-Blaming (被害者を責めること)というものがある。
心を痛めている人を前にして、「何とか励まさないと」とか、
「なんとかアドバイスしなきゃ」とか思って、ついついさらに
追い討ちをかけるようなことを言ってしまう傾向で、
これは誰でも両者の立場において多かれ少なかれ経験のある
ことだと思う。

Victim-Blamingとは、具体的にはどんなことかと言うと、
たとえば、性暴力の被害者の友達が、本人に向かって、
またはその人のいないところで、

「なんでそんな時間にそんなところにいったのよ?」 
「そんな格好してるからだよ」 「不注意だったんだよ」、
「これから気をつけなよ」

などと、被害者を知らず知らずのうちに責めてしまうのは
良くある話だ。いかなる理由があっても、性暴力は
絶対にあってはならないことであって、被害者に非はないのに、
ついつい人はそうしがちだ。

だれかがいじめられたり、差別されたりするのを、
その人の個人的な問題のせいだと非難するのもそれである。
問題は差別意識や偏見そのものの方なのに。

問題なのは、私たちは被害者を責めようとして
そうしているのではないということだ。被害者を救おうとして、
助けようとして、慰めようとして、実のところ被害者を責めている。
いじめられっ子に、

「そんな格好してるからいけないんだよ。もっと他の格好しようよ」

と言ったり、

「暗いからいじめられるんだよ。もっと明るくなろうよ」

と言ったり。

でも言われた本人からしてみたら、自分のライフスタイルや
性格や、存在そのものを否定されているようで、余計に罪の意識を
抱いたり、自己嫌悪に陥ったり、自信を喪失したり、自責の念に
さいなまれたりして、そこには良いことなんて何もない。

人は傷ついたときに、別にアドバイスが欲しいわけではない。
ただ、親身になって、話を聞いてほしいだけかも知れない。

大切なのは、共感である。カール・ロジャースの、来談者中心療法の
根本にあるのは、「人は、共感してもらうこと自体によって癒される」
という考えだけれど、「本当の意味」で話を聴いてもらっていると
感じたとき、人は癒しを経験することは、広く知られている。

周りで誰かが泣いてるとき、傷ついているとき。
その人の気持ちを、こころの痛みを、経験している葛藤や感情を、
まず親身に聴いてあげることが、その人の回復を助ける第一歩だと思う。

でも、「本当の意味で人の話を聴く」というのは、なかなか難しいことだ。
アドバイスするほうがずっと楽だからだ。なぜなら、人は物事に答えや論理を
見出したい動物で、そうしないことには不安や居心地の悪さが伴うからだ。

でも、VICTIM-BLAMINGを避ける努力をすること、相手の気持ちを
理解しようとすること、即座の断定や判断を避けることは、より深く
相手の話を聴くことに繋がり、そうした姿勢の人間が回りにいることは、
こころを痛めている人にとって、なによりのサポートであり、
こころの回復への確実なきっかけとなるものだと思う。