随分前に、「異性が自分に抱いているかもしれない好意」における感覚の進化心理学的男女差について書いた。
進化心理学的視点とは簡潔に述べると、個体の生存及び、その遺伝子がいかに確実に次世代に続いていくか、という観点における適応とその脳へのプログラミングである。その「進化心理学的」観点において、妊娠を経験してその間身重になり、パートナーの物理的、精神的サポートが不可欠になる女性は、自分に好意を抱いている男性に対して、その好意の真偽やコミットメントの深さについて懐疑的であることが適応的である。この能力を欠く女性は、ただセックスがしたいだけの非支持的で無責任な男と子供を作ってしまう可能性が高く、支持的で責任感の強い男性と子供を作った女性に対してその子供を健全に育て上げることに大きなハンディを持ち、その遺伝子は淘汰されてしまったと考えられている。
つまり、今現在の女性は、男性のコミットメントの本質について見極める能力が高かった女性の子孫だということだ(これとは逆に、妊娠を経験せず、「いかにたくさんの種を蒔くこと」そのものが自己の遺伝子を次世代に残すことに直結する男性は、「自分に気があるかも知れない女性を見逃してしまう」ことのダメージのほうが高く、そのため女の自分に対する好意に対して過敏である必要があったため、その子孫である現在の男性も、女性と比べて、「勘違い」が多いのだとされている)。
このようにして、異性の誠意の真偽について見極める能力をもともと兼ね備えているのが女性であるのだけれど、それにも関わらず、無責任でモラルの低い男性に騙されてしまう女性は世の中にたくさんいる。
前置きがだいぶ長くなったけれど、本題はここからで、それではなぜ、ある種の女性は良くない男に騙され続けるのだろうか、ということについて考えてみたいと思う。彼女たちは、この能力がないのだろうか。
結論からいうと、彼女達にこの能力がない、というわけではない。
問題は、彼女達が、進化心理学的、つまり生まれ持っての傾向であるその能力を打ち消すような環境で育った可能性が高いということだ。
生まれつきの傾向があったところで、環境における学習の影響力とは非常に大きなもので、つまり彼女達は、何らかの理由によって、親から、周りから、自分の気持ちや感情を大切にしてもらえなかった、という可能性が高い。また、自分の気持ちを抑制したり無視することが、その環境における適応であった可能性がある。自分の気持ちに向き合うことが苦痛な環境だったり、相手にあわせることが極端に強化される環境では、自分の気持ちに敏感であることが難しい。こういう環境で生きていると、異性に限らず、同性の好意の真偽についても見極められなくて、悪意のある同性を受け入れてしまって利用されたり傷ついたりするひとも多い。自己評価が低くて、自分の気持ちを大切にできないという問題もある。
このような問題を抱えた女性に精神療法の現場で出会うことは多い。サイコセラピーをはじめてすぐに彼女達が気付くのは、誰かと交流していて、「何か直感的に変だなと感じることは確かにあるし、なんだか嫌だな、と感じることもある」、ということだけれど、そのときに彼女達は、「人を疑っちゃ駄目だ」とか、「もしかしたらいい人かもしれない」、とかほとんど自動的に自分に言い聞かせて、自分の気持ちを無視してしまうことが多い。
ここで治療の中心になってくるのは、いかにして彼女達が、自分の気持ちを大切にしてあげられるか、敏感になってあげられるか、という課題だ。サイコセラピーの美徳は、こうした人たちが、セラピールームという安全で守られた環境の中で、セラピストに自分の気持ちを首尾一貫して大切にしてもらう、という体験をすることで、その交流のなかで、彼女達は、自分の気持ちを大切にすることを学んでゆく。大切にしていいのだ、ということを経験的に知るのだ。これは専門的に、修正感情体験(corrective emotional experience)と呼ばれるもので、このような体験を重ねるなかで、彼女達は問題の根本的な解決をしていくことになる。
良いサイコセラピーを経験することに越したことはないけれど、現在そのような金銭的、時間的な余裕がなかったり、準備がなかったりするひとでも、自分でできることはある。
まず一番大切なのは、自分の気持ちに敏感になる練習とその習慣付けである。自分の気持ちをきちんと認識することなしに、相手の気持ちの真偽を読むことはできない。自分の気持ちを大切にして、そこに敏感になる習慣が付いたら、「なんとなく直感的に嫌」だと思ったときに、その気持ちを大切にして相手ときちんと線引きをすることもできるようになるし、交流していて本当に幸せな相手も見極められるようになる。
進化心理学的視点とは簡潔に述べると、個体の生存及び、その遺伝子がいかに確実に次世代に続いていくか、という観点における適応とその脳へのプログラミングである。その「進化心理学的」観点において、妊娠を経験してその間身重になり、パートナーの物理的、精神的サポートが不可欠になる女性は、自分に好意を抱いている男性に対して、その好意の真偽やコミットメントの深さについて懐疑的であることが適応的である。この能力を欠く女性は、ただセックスがしたいだけの非支持的で無責任な男と子供を作ってしまう可能性が高く、支持的で責任感の強い男性と子供を作った女性に対してその子供を健全に育て上げることに大きなハンディを持ち、その遺伝子は淘汰されてしまったと考えられている。
つまり、今現在の女性は、男性のコミットメントの本質について見極める能力が高かった女性の子孫だということだ(これとは逆に、妊娠を経験せず、「いかにたくさんの種を蒔くこと」そのものが自己の遺伝子を次世代に残すことに直結する男性は、「自分に気があるかも知れない女性を見逃してしまう」ことのダメージのほうが高く、そのため女の自分に対する好意に対して過敏である必要があったため、その子孫である現在の男性も、女性と比べて、「勘違い」が多いのだとされている)。
このようにして、異性の誠意の真偽について見極める能力をもともと兼ね備えているのが女性であるのだけれど、それにも関わらず、無責任でモラルの低い男性に騙されてしまう女性は世の中にたくさんいる。
前置きがだいぶ長くなったけれど、本題はここからで、それではなぜ、ある種の女性は良くない男に騙され続けるのだろうか、ということについて考えてみたいと思う。彼女たちは、この能力がないのだろうか。
結論からいうと、彼女達にこの能力がない、というわけではない。
問題は、彼女達が、進化心理学的、つまり生まれ持っての傾向であるその能力を打ち消すような環境で育った可能性が高いということだ。
生まれつきの傾向があったところで、環境における学習の影響力とは非常に大きなもので、つまり彼女達は、何らかの理由によって、親から、周りから、自分の気持ちや感情を大切にしてもらえなかった、という可能性が高い。また、自分の気持ちを抑制したり無視することが、その環境における適応であった可能性がある。自分の気持ちに向き合うことが苦痛な環境だったり、相手にあわせることが極端に強化される環境では、自分の気持ちに敏感であることが難しい。こういう環境で生きていると、異性に限らず、同性の好意の真偽についても見極められなくて、悪意のある同性を受け入れてしまって利用されたり傷ついたりするひとも多い。自己評価が低くて、自分の気持ちを大切にできないという問題もある。
このような問題を抱えた女性に精神療法の現場で出会うことは多い。サイコセラピーをはじめてすぐに彼女達が気付くのは、誰かと交流していて、「何か直感的に変だなと感じることは確かにあるし、なんだか嫌だな、と感じることもある」、ということだけれど、そのときに彼女達は、「人を疑っちゃ駄目だ」とか、「もしかしたらいい人かもしれない」、とかほとんど自動的に自分に言い聞かせて、自分の気持ちを無視してしまうことが多い。
ここで治療の中心になってくるのは、いかにして彼女達が、自分の気持ちを大切にしてあげられるか、敏感になってあげられるか、という課題だ。サイコセラピーの美徳は、こうした人たちが、セラピールームという安全で守られた環境の中で、セラピストに自分の気持ちを首尾一貫して大切にしてもらう、という体験をすることで、その交流のなかで、彼女達は、自分の気持ちを大切にすることを学んでゆく。大切にしていいのだ、ということを経験的に知るのだ。これは専門的に、修正感情体験(corrective emotional experience)と呼ばれるもので、このような体験を重ねるなかで、彼女達は問題の根本的な解決をしていくことになる。
良いサイコセラピーを経験することに越したことはないけれど、現在そのような金銭的、時間的な余裕がなかったり、準備がなかったりするひとでも、自分でできることはある。
まず一番大切なのは、自分の気持ちに敏感になる練習とその習慣付けである。自分の気持ちをきちんと認識することなしに、相手の気持ちの真偽を読むことはできない。自分の気持ちを大切にして、そこに敏感になる習慣が付いたら、「なんとなく直感的に嫌」だと思ったときに、その気持ちを大切にして相手ときちんと線引きをすることもできるようになるし、交流していて本当に幸せな相手も見極められるようになる。