興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

ストレス

2011-06-25 | プチ臨床心理学
 普段私たちは「ストレス」という言葉を何気なく使っていますが、ストレスとは実際何のことでしょう。「ストレスが溜まる」とか、「ストレス発散」とか、「ストレスフリー」とか、「慢性的ストレス」とか、いろいろな使い方がありますが、これらの語感からはなんとなく、「心の負担」と捉えてみることができそうです。上記の例の「ストレス」を、「心の負担」に置き換えて読んでみても似たようになると思います。しかし、具体的に「ストレス」とは何を意味するのでしょう。現代は「ストレス社会」とまで言われていますし、ここはひとつ、ストレスについて一歩踏み込んで考えてみてもよさそうです。このなんとなく漠然とした存在に洞察ができたら、それはより具体的なものになり、効果的な対方策を立てるのも容易になります。

 実際、さまざまな精神的、一般的疾患とつながりの深いストレスにおける臨床心理学/精神医学的研究は実際に盛んで、その定義もいろいろありますが、ひとつのコンセンサスとして、「人は、『何かを失う可能性、何かに変化が発生する可能性における恐怖や不安を経験』しているときに、大きなこころの負担、つまりストレスを感じる」というものがあります。

 何かとは、現在の人間関係、恋愛関係、自己イメージ、仕事、今の会社での地位、家、アパート、お金、健康など、実に様々な可能性があります。

 たとえば人は、失業の可能性、金銭的損失の可能性、離婚の危機、失恋の可能性、左遷の可能性、大きな病気(健康を失うこと)などで、大きなストレスを経験します。人が人生において経験する最大のストレスになる経験として、配偶者の死、離婚などが挙げられるものこのためです。

 ストレスについて意外と知られていないことで、「人はポジティブな経験、たとえば結婚、仕事の昇進、家を買う、旅行に行く、などの経験をするときにもストレスを経験する」、という事実があります。新しい恋人とのはじめてのディナーの予定は、心弾むものであると同時に、その時間が楽しいものになるか、何か気まずくなったりしないか、その後にどうなるのか、つまり、関係が進展する可能性と同時に、関係が失墜する不安も多かれ少なかれあるわけで、これがストレスとなるわけです。面白いもので、「適度なストレス」、「適度な不安」というものも存在し、それはパフォーマンスを促進したり、こころにとって良い刺激だったりします。100%楽勝なものに人は物足りなさ、退屈などを経験します。

 最後に、私たち人間は、人生において何かを得るときに、常に何かを失っています。たとえば、家を買うと決めた人は、長年住んでいた、愛着のあるアパートを去らなければならない、という喪失体験をしますし、これから結婚する人は、今までの生活環境はもとより、独身時にあった自由時間、ひとりの時間、異性の友人との気兼ねない友好関係を失うかもしれないし、仕事の大幅な調整などをしなければならないこともあり、やはり、喪失体験も伴います。このように考えると、ストレスとは、人生における(大小の)変化における心の負担、と理解してよさそうです。


嫌な記憶と良い記憶

2011-06-24 | プチ認知心理学

 以前、「なぜ私は良い思い出よりも嫌な思い出のほうをたくさん覚えているのでしょう」という質問を受けたことがあります。

 これにはいろいろな理由が考えられます。たとえばその人の人格や生育歴、精神状態などで、実際,鬱状態にいる人が、嫌な思い出ばかりに苛まれて良い思い出の影響力が無効化している、ということも良くあります。

 さて、このように個人差はありますが、人は多かれ少なかれ、ある出来事や行事において、嫌なことばかり覚えていて、良いことがあまり思い出せなかったりして、その嫌な記憶に苛まれる経験はあると思います。これが何故かといえば、人間は、認知の傾向として、「解決した事物よりも、未解決の事物のほうをよく覚えている」からです。

 あながたもし何かの出来事において(たとえばあるパーティー、飲み会、旅行、デート、イベント、誰かの結婚式・・・)嫌な思い出のほうをよく思い出すとすれば、それがまだあなたのなかで未解決であるからだと考えられます。

 ここで、思い出されるがままに悶々と嫌な回想をするのではなくて、「なぜ」その嫌な記憶が思い出されるのか、それが自分にとってどのような意味のあるものなのか、それと似たようなことが過去になかったか、それが今の自分の人生にどのような影響を与えているのか、それから、これが一番大事ですが、そのときに自分がどのような気持ちや感情を経験していたのか、(あまり愉快な作業ではありませんが)ゆっくりと自分と向き合って自己分析したり、文章にしてみたり、できれば信頼できる人にゆっくりと聞いてもらったり、それらの記憶とうまく折り合いがつけられるようになると、今まであまり意識していなかった、気に留めていなかった、その出来事における良い記憶をもっと思い出せるようになり、嫌な記憶に煩わされることも少なくなります。

 これは、精神分析学的にいうと、あなたの中で未解決であった問題が、解決、統合された、ということになります。その結果、嫌な記憶は記憶として残りますが、それが今まで持っていたあなたに対する影響力はなくなるか、激減するでしょう。また、それがそれほど「嫌」なものでなくなったりもします。