職場の人間関係の問題で心身に支障を来した方からのご相談は非常に多いのですが、セッションのなかで何を話しても非難や批判や否定などをされることがないとわかると、クライアント達は、少しずつ、よりプライベートなお話をしてくださいます。
こうしたなかで、しばしば出てくるのが、自分が現在「良くないと分かっているけれどやめられないお付き合い」をしている、という女性の方たちで、彼女たちはつまり、妻子持ちの既婚男性や、恋人のいる男性と、恋愛関係を持っている、ということです。
今まで誰にも話せなかった。親にも親友にも話せなかった。話したら絶対猛反対されるから。このように話す彼女たちはこの恋愛関係においては本当に孤独で、良心の呵責に苛まれながら、ひとりで苦しいんでいます。
いつも自分自身を責めていて辛いから、それ以上誰からも責められらくないし、それでもそれが問題になっていることもわかっているという葛藤から、セラピーが始まってもなかなかそれについて話せずに、自分にはそういう誰かがいると、非常に分かりにくい形でほのめかす方も少なくありません。
注意深く、私というセラピストがどういう人間なのか、確かめながら話しておられます。やがて、大丈夫だとわかると、実はと、こうしたお話になります。
もちろん私は彼女たちを責めません。責めるべきところでもないと思っています。そもそも私はどのようにしてそのような関係になったのか、その関係が維持されているのか、それは具体的にはどういう関係性であるのか、その関係性がどのような意味をもっていういるのか、その関係性がどのようにその人を蝕んでいて、また同時に、どのようにその人を助けているのか、こうしたことをまず深く理解したいと思っています。
こうしたことをクライアントと一緒に探索しながら、クライアントの情緒体験を促進していくうちに、その関係性の本質の理解が深まっていきます。
いろいろなケースがありますが、たとえばその人の父親との関係性が現在の恋愛関係で再現されていて、父親にかつて傷つけられていたのと同じように、今の男性に傷つけられている、ということが少なくありません(母親との関係性がベースになっている場合も多いです)。
はじめは、父親と恋人が全く違ったタイプで、全く異なった性格だと思っていた人も、対話を重ねるなかで、驚くべき共通点を発見することがよくあります。たとえば、父親は暴力的だったけれど、今の彼は一切手を挙げない、という場合で、良く見ていくと、暴力は振るわないけれど、父親と同じように、絶対に謝ってくれない人だったり、いつも自分だ正しいと思っている人だったり、同じように批判的だったりします。こうした過去の人間関係の再現は、それに伴うネガティブな情緒体験も同様なので、そうした父親のもとで、低い自己評価に苦しんでいた人が、時間を超えて、今の恋愛関係で同じように低い自己評価に苦しんでいたりします。
精神分析学の箴言に、"Remember! Not Repeat!"というものがあります。「思い出せ! 繰り返すのではなく!」。ここでいう「思い出す」とは、一般的な意味での思い出すこととは少し意味合いが異なります。ここでいう「思い出す」こととは、普段の生活の中では、無意識のなかに抑圧されていて、ひとりで努力しても思い出しようのないようなことで、つまり、無意識下で続いている人間関係のドラマです。無意識である以上、気づきようがないので、それはいつまでも繰り返されます。その無意識のドラマを、精神分析によって意識化して(Make uncouscious conscious)、理解することで、そのまずい流れに歯止めが利くようになり、さらには、新しい関係性を試して構築することができるようになるのです。
このようにして、無意識になったものが意識化されたところで問題がすべて解決するわけではありません。
そもそも、本人が、良くない良くないと思っていて、もし自分が相手の女性の立場だったら絶対に許せない、自分がしていることは人として最低だ、今の関係性に未来はない、自分は幸せにはなれない、そう思っていても、どうしてもやめられないのは、それでもその関係性に大きな意味があるからです。
これにもいろいろなケースがありますが、よくあるのは、その男性との関係性でしか満たすことのできない依存のニーズです。実家の家族や友達との関係が希薄だからという人もいれば、そうではなく、実家とも良好で、友達もいるけれど、恋人は会社の上司で仕事が非常によくできて、その仕事は専門性が高いので、友達も家族も助けることができない、それから、仕事を通じた専門的で知的な会話が楽しく、そういう会話をできる人が他にいない、というケースもあります。
いずれにしても、彼女たちに共通しているのは、低い自尊心や自己評価、ネガティブな自己イメージに苛まれていることです。慢性的な抑うつに苦しんでいる人も多いです。もともと自尊心が危うかったところに、このような不本意な人間関係が入ってくることで、さらに自尊心がダメージを受ける、というパターンです。
何はともあれ、現時点でその恋愛関係が彼女たちを「生かしている」のも事実であり、「良くないと思っているなら今すぐやめなさい。会いたいと思ってももう絶対に会っちゃだめ。メールもLINEもブロックして、FacebookもTwitterもインスタもフォローするのをやめなさい。電話も出ちゃダメ。辛くても耐えるのです。耐えているうちに、耐性ができて、克服できるようになります。それがあなたの成長に繋がるのです」などとアドバイスしてもなかなかうまくいきません。
それどころが、この無謀なアイディアを試してみたけれどできなくて挫折して、やっぱり自分はダメなやつなんだとさらに落ち込むことになるのは目に見えています。こんなことは、彼女たちは、友人や家族などからのアドバイスや、自分自身の思い付きで、さんざん試しています。試して、失敗しています。なかには、失敗して、落ちて、その彼に慰められ、やっぱり私にはこの人なしではダメだと結論付けてしまう方もいます。
それではどうすればやめられるのでしょう。
まずは、その人が本当にその恋愛を終わりにしたいのかについて、よく話し合っていく必要があります。私としては、誤解を恐れずにいうと、その人がその不倫関係を続けるかどうか、それ自体はあまり重要視していません。
私にとって重要なのは、その人が慢性的なうつ病や、不安障害、低い自己評価、低い自尊心などを改善し、できれば克服して、本当の意味で幸せになることです。もしその関係を続けることで、彼女たちが本当に幸せになれるなら、その可能性も追求します。
実際私はこのスタンスでセラピーをしています。つまり、ありとあらゆる可能性について、まずは現実的かどうかは傍らによけつつ検討していきます。
ただ、矛盾するようですが、彼女たち自身が容認できない、彼女たち自身の倫理観や価値観に反することを続けている限り、彼女たちはこうしたことに苦しみ続けますし、本当に幸せになることができません。ここからヒントになるのは、彼女たちが、どうしたら本当の意味で自分を大切にできるようになるかです。
そこで、やはり別れた方がいいという結論に達したとしたら、それではどうやったら無理なく確実に乗り越えられるか、考えていきます。もしその人が、友達や、実家の家族と疎遠になっていて、社会的に孤立しているならば、たとえその人を少しずつ蝕んでいる恋愛関係でも、現時点はその人が生きていくうえで必要です。少しずつ、それ以外の世界や人間関係を作りつつ、その恋人と会う頻度や連絡の回数を限定していくのもひつつのやり方です。これは以前にも紹介した、Harm reduction(有害なものの削減)という手法です。アルコール依存の人が、今夜からいきなり完全な断酒を宣言してもなかなか長続きしないけれど、毎晩ワインボトル一本空けていた人が、毎晩ハーフボトル、続いて毎晩グラス2杯、一杯、隔日にグラス一杯、という風に、長い時間を掛けて無理なく少しずつ減らしつつ、それ以外のストレス解消法や楽しみを見つけたり、同時に、飲酒のもとになっている慢性的な鬱やトラウマを解決していくことで、成功します。
このやり方で、少しずつその人の人生全体を改善していきます。友好関係が希薄であれば、そこを強化したり、実家との関係が改善可能であれば、そこも改善しますし、職場の人間関係も最善なものにしていきます。そのうえで、先ほど話したように、その人の生まれ育った家庭環境の未解決な問題を解決したり、自尊心や自己評価を改善したりして、自信をはぐくみ、心理面も改善していきます。同時に、もしこの方が多忙などで自己管理が行き届いていないようでしたら、栄養状態や、睡眠衛生などについても改善を試みます。
このように、「不本意だけれどやめたくてもやめられない恋愛関係」にはその人を生かしているところもあり、解決するためには、BioPsychoSocialな、つまり、生理学的(Biological)(体調など)、心理学的(Psychological)、社会的(Social, Sociological)と、総合的に改善していくことが、一番確実です。というのも、人間は本質的に社会的な存在であり、社会、つまり、他者との関りなしには生きられない存在であり、BioPsychoSocialと、すべてがつながっているのです。
今回の例では、冒頭に、職場の人間関係がありましたが、「職場の人間関係に問題がある」とお越しになったクライアントの主訴を四角四面に受け止めてそこだけ扱うのではなくて、こうした繋がりを意識して取り組んでいく必要があります。もちろん、サイコセラピーでメインに扱っていくのは、その人個人のこころであり、情緒体験ですが、そのこころがどのように人間関係で影響を受けているか、また、そのこころがどのように人間関係に影響しているのか、そして、その人間関係が、その人のこころと体にどのように影響しているのか、円環的な理解も重要です。