皆さんにとって、バレンタインはどんな日ですか?
私はバレンタインは結構好きな日ですが、元々好きだったわけではありません。
私がバレンタインを好きになったのは、アメリカに行ってからでした。それまで正直どうにも日本のバレンタインには馴染めず、バレンタイン、それからホワイトデーは、違和感のある苦手な日でした。
渡米してまもなく、日本のバレンタインがとても独特なものであったと気づいて驚きました。さらには、ホワイトデーが諸外国には存在しないのだと知って驚愕しました。ある日韓国系アメリカ人の友人とカフェで話をしていて、ホワイトデーと言ったら周りの人たちが怪訝そうに見てきて、これは後ほど気づきましたが、英語圏の人たちにはwhite dayは「白人の日」と聞こえますね。
いずれにしても、アメリカ人たちのバレンタインは自分にとってとてもしっくりいくもので、バレンタインに対する違和感はなくなりました。
帰国してちょうど1年後の1月に今の妻と出会い、ふたりで過ごす最初のバレンタインの日。横浜元町のお店でディナーの約束をして、彼女にはお店で待っていてもらって、サプライズで、お店の近くのお花屋さんで、奮発して1万円ぐらいの真っ赤な薔薇だけのブーケを作ってもらって持っていったらすごく喜んでくれました。彼女も素敵なプレゼントを用意して待っていてくれました。
もともと2人ともアメリカ好きというところで意気投合したところがあったので、ホワイトデーはこの最初の年を最後に廃止して、以来私たちの間では、バレンタインは毎年私が花束とスパークリングワインなどを買って帰り、妻はチョコレートをくれる日となり、今日に至ります。
今ではバレンタインがとても好きな日になっていますが、私がバレンタインを好きなのは妻がいてくれるからであり、そんな妻に感謝です。
昨日ネットで見かけたアメリカの4コマ漫画に、こんなものがありました。
ある男性が、ある女性に、”Be my Valentine.”(僕のバレンタイン/恋人/特別な人になって)というカードを手渡します。女性はカードを受け取ると、なにやらそのカードに書き込んでいます。そしてそのカードを男性に返しますが、見るとそこには、”Be my Valentine”のValentineが横線で消され、代わりに”everyday”と書かれていました。”Be my everyday” 、私の毎日になって、と。
夜。
妻と歯を磨きに洗面所へ行った息子がひとりでリビングのドアを開けてツカツカと珍しい足取りで歩いてきて、私の前まで来ると、
「ねえ、たかさん?」
と、どこか毅然とした様子で尋ねてきた。どこかで見覚えのある表情だった。
息子は状況に応じて、私の事を「パパ」とも「たかさん」とも言う。通常は「パパ」で、恐らく意識をして使い分けているわけではなさそうだが、そこには一定の法則があり、決してランダムではないのが面白い。
「ん? どうしたの、◯◯?」、
と応じると、
「◯◯のいちごのスースーするはみがきこ、たかさんつかった?」、
と言うので、ああなるほどと思い、
「ああ、うん。使ってるよ。だってほら、◯◯、あの歯磨き粉スースーして嫌いって言ってたじゃん。それで今の歯磨き粉使ってるでしょ?」
「つかっちゃダメ」
「え、ダメだったの? 嫌いって言ってたから、誰も使わないし、捨てるのももったいないと思って」
「こんどつかうからだめ」
「そっか、わかった。ごめんね。必要だったんだね」
「うん」
といったやり取りが繰り広げられたところに妻が笑いながら入ってきて、
「◯◯、私の言い方にそっくりだね」
と言うので、確かにそっくりだなと思い、私も笑った。そういえば表情も妻のものだった。ちなみに息子は妻の事も、通常は「ママ」と呼ぶけれど、彼女のファーストネームに「ちゃん」を付けて呼ぶ事がある。私が妻に話しかける時の呼び方だ。
今夜息子はなんらかの理由で、「スースーするいちご味の歯磨き粉」に久しぶりに注意が向いたようだった。
息子に使われなくなったいちご味の歯磨き粉を私はいつしか使い始め、「この歳になってまさかいちご味の歯磨き粉を使うことになるとは思わなかった。人生何が起こるか分からない」などと思い、それは懐かしくも新鮮な感覚で、最近は夜の密かな楽しみとなっていた。しかしその終わりも突然やってきた。残念。人生本当に何が起こるか分からない。
朝。
冷蔵庫の上に置いてあるバスケットに入っていたミラーボールの箱を息子がたまたま見つけて、
「ミラーボールやりたい!ミラーボールとる。パパだっこ!」
と言った。それは1年ぐらい前に彼と一緒に出かけた時にAwesome Storeで買ったもので、1000円ぐらいだったのであまり期待しないで買ったら電池式ではなくまさかの電源式で、結構本格的なものだった。
妻がすかさず
「箱だけだよ。中身はないよ」
と言ったら、
「なかみ たしかめてみる。パパだっこして」
と言うので、抱っこして自分で箱を取らせた。なんでも自分でやりたがる。
箱は確かに空っぽだったけど、その奥にミラーボールの本体があったのを彼は目敏く見つけてしまった。
「あったあった!ミラーボールあったよ!」
とはしゃぐので、
「本当だ。あったね。でも、○○これからAに(一時保育に)出かけるし、Aから帰ってきたらやろうよ」、妻も、「そうだよ。帰ってきてからやろう」
と言うと、彼は、
「かえってきてからはやだ!いまやりたい!」
と言ってきかないので、こちらも少し考えて、
「そうだねえ。今やりたいよねえ。でもね、○○、見て!部屋の中、こんなに明るい。これが朝なんだよ。こんなに明るいとミラーボールやってもあんまり楽しくないよ」
と伝えてみた。
まだシャッターは1箇所しか開けていなかったがそこから入ってくる朝日がリビング全体を明るくしていた。
息子は無言で部屋を見渡して、なるほどいう表情をしたので、よかった、納得した、と思っていたら。
彼はおもむろに金属の踏み台を「よいしょよいしょ」と運んできて、そのリビングの大きなガラス戸の前に置いた。結構重い踏み台だが、いつしかこれは我が家では彼の手足の一部のようになっている。
不思議なところに踏み台を置くものだな、と思い、次の瞬間にハッとした。
もしかして、と思い、とりあえず彼を静観してみることにした。
すると彼はまずレースのカーテンを開け、ガラス戸の鍵を開け、その引き戸を開けると、用意しておいた踏み台に乗り、床から150センチぐらいの高さに垂れているシャッターの紐をしっかり掴んで、ゆっくりとシャッターを下ろしてしまった。
部屋は再び真っ暗になった。
私は彼の知恵と諦めない姿勢に感動してしまい、
「やれやれ、パパの負けだ。○○の勝ちだよ」
と言った。妻もやはり感心していた。
彼は嬉々として、
「パパのまけ?○○のかち?」
と言うので、「うん、そうだよ。○○の勝ち。シャッターを閉めたら部屋は暗くなってミラーボールが楽しいね。すごいアイディアだよ。じゃあ、ちょっとだけだよ。これから出かけるんだし」
と言うと、彼は「やった!やったぁ!ミラーボール!ミラーボール!」
と大はしゃぎになり、ミラーボールを自分で電源に繋いだ。
晴れた朝なのに部屋は真っ暗で、カラフルなミラーボールの光は確かにきれいだった。
昨夜の節分で部屋中まだ豆だらけだし、2月に入ったのに大きなクリスマスツリーも健在で、朝なのに80年台のディスコのようなミラーボールがくるくる回っていて、そこにはハイテンションの3歳児がいて、なんとも不思議な異空間だった。