興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

finding a small win in a failure

2009-10-10 | プチ臨床心理学
 長いこと習慣化してしまった問題行動を変えていくときに―
それを何か新しい建設的な行動にしていこうと思ったときに―
すぐに古い行動パターンが新しいものに取って代わることなど
まずないわけで、そこにはいろいろなステップが存在することが
多い。
 
 でも、新しいことを試してみて失敗したり
思うようにいかなかったとき、ひとは往々にして、
「やっぱり駄目だ、うまくいかない」、と、不適応だけれど
よく馴染んだ心地よい行動パターンに戻ってしまう。
「失敗した」ときの、周りの反応や、ネガティブな感情が
条件付けられて、再びチャレンジすることが難しくなるのだ。
腰が重くなる。きっとまた失敗するだろう、不快感を味わうだろうと。

 このようにして、せっかく何か新しいことをしようと
思えたにも関わらず、すぐにやめてしまうことが多いので、
ひとはなかなか変わらなかったりする。

 しかし、チャレンジして「失敗した」ときのその行動を
冷静に見つめてみると、「すべてが失敗」で、
全然良くなかった、何も進歩はなかった、ということも
実は少ないものだ。「失敗」した経験を振り返って
見つめてみるのは決して愉快なものではない。
しかし、そこであえて振り返ってみると、何かしら
小さな進歩、小さな成功が、その失敗の工程のなかに
存在していることは多く、そういうものをきちんと自分で
見つけて、認めてあげることで、
「今回は結果はいまいちだけど、Aまではうまくできた。
つぎはBまでできるように挑戦してみよう」とか、
「Aをとりあえず行動に移せたけど、ぎこちなかった。
でも行動に移せたのだから、次は、もうちょっと
スムーズにできるように練習してみよう」、などと、
小さな成功を認識して重ねていくこともできる。

 そのようにして重ねていったSmall winが、
やがては新しい建設的な行動へと確実に繋がっていくので、
ものごとをそのときの感情だとか、結果だけで一緒くたにして
短絡的に駄目だったとしてしまわないことが大切だと思う。
そういう積み重ねが、自己容認、自分を受け入れることに
繋がっていくのだろう。

論理と感情

2009-10-04 | プチ臨床心理学

 議論が行われている最中に、「あれ?」と思うことがときどきある。
それは、今まさに問題とされている論点が、論者の本当の気持ちや、
本当にいわんとするところから、根本的に異なるところにあることに
気付いたときだ。
 あれ、こんなに熱く語っているのに、何かが伝わってこない。
本当は全然違うことが言いたいんじゃないのか。
不平や不満や本当の問題は、議論されている内容ではなくて、
その人間関係的な問題にあるのではないのか。
 
 そんな風にして続いていく議論からいささかの距離を置いてみると、
本質的なものが見えてきたりする。
 大人は言葉によって論理的に秩序立てて攻撃したり
防衛したりするけれど、その論理の奥にずっとシンプルな感情があることを
忘れてしまうことは少なくない。

 論理と感情は、水と油のように、相容れないものなのだ。
そのことが常に頭にあったら、時間とエネルギーの無駄になるような
非建設的な議論は回避とまではいかなくても縮小できるし、
そのような議論以上の相互理解も深まるものと思われる。