普段人々は、「~と話す」という意味の英語で、
talking to と、talking with を、ほぼ同じ意味で
相関的に使っているけれど、臨床心理学的には
そこには大きな違いがあるようです。
これは、今日、ある臨床心理学者と話していて
聞いた話なのだけれど、Talking withは、
「~『と』話す」ことに対し、Talking to は
「~『に』話す」ことであり、しいて言えば、
前者は「~と一緒に」話すけれど、後者は
「~に向かって、~に対して」話すという
ニュアンスがあるようです。
これは、普段の会話ではわりと相関的に用いられる
けれど、「話し方」の姿勢において考えるときに、
とても示唆的な表現です。
そういうわけで、今回は、「話し方」について
少し考えてみたいと思います。
人間、人それぞれ、他者との繋がり方は異なるけれど
その人の「他者との繋がり方」つまり、
「対象との関係性」について分析するときに
とても重要な指標の一つに、「その人が普段どのような
スタイルで他者とコミュニケーションをとっているか」
ということがあります。
普段私たちの周りにいる人々のコミュニケーション
スタイル、すなわち、聞き方や話し方や非言語的な
コンタクトなどを見ていると、それは本当に様々です。
例えば、聞き役に回ることが多い人もいれば、
ほとんどの場合、話の中心にいる人もいるし、
人をひきつけて楽しませる話し方をする人もいれば
その人が話し始めるだけで、周りはうんざりする
ような人もいます。
ここで面白いのは、前者の人が、特別に話術に
長けていたり、特別なユーモアのセンスがあったり、
特別に面白い話題を豊富にもっていたりする必要は
ないことと、逆に、どんなに話が面白くて、話題性に
事欠かない人でも、人から回避される人も
多いということです。
これが、冒頭の、Talking with と、Talking to との
違いなわけで、前者の、Talking With の話し方を
する人というのは、常に相手の反応(表情や、相槌の
トーンなど)を見ながら、その反応に応答しながら
話します。その結果、聞き手は、「自分が話しの中に
含まれている」という安心感や満足感があるので
その人と話しているのが楽しいものです。
逆に、後者の、Talking to の話し方をする人は、
「極端な場合」ですが、相手の反応にはまったく
お構いなしで、延々に、自分のしゃべりたいことを
話し続けます。相手の反応に、驚くほど無頓着で
鈍感だったりします。まるで、壁に向かって
話すかのように、自分中心に話し続けます。
一種のモノローグです。
どんなに面白い話でも、聞き手は、その時の
気持ちや状況などで、聞きたくなかったり、聞く
時間や余裕がなかったりするものだけれど、そうした
相手の事情に全く無頓着に話します。また、こういう人は
相手が聞きたくないこと、言われたくないことも、
知らず知らずのうちに話して、相手の気持ちを害したり
します。
また、前者の人は、人の反応に敏感なので、
相手の話にもきちんと耳を傾けます。いわゆる、
「聞き上手=話し上手」、「良い聞き手=良い話し手」
ということですね。
逆に、後者の人は、人の話を全然聞かない傾向にあります。
人の話を横取りして自分が話し始めたり、人の質問などを
無視して自分の話したいことを話します。聞き手は、
話の中に「含まれていない」ので、話を聞いていて、
退屈だったり、居心地が悪かったり、疎外感を感じたり
します。
そこまで極端でなくても、Talking to のスタイルの
人は、人の目や表情を見ないで、下を向いて話したり、
全然違うところを向いて話したり、説明したり、
話したりすること自体に夢中になっていて、相手の
反応を見ていないことが多いです。
それでは、自分の話ばかりする人の問題点は何かと
いうと、「自己中心性(Ego-centricity)」です。
これは、「共感性の欠如」とも言われるもので、
こういうと、ものすごく酷い響きがあり、特別な
ことのように聞こえるけれど、「共感性の欠如」
とはつまり、他者の反応に鈍感だったり無頓着な
人のことで、一見すると、すごく親切で世話好きの
ように見える人の中にも、こういう人はたくさんいます。
相手が欲しくないものを強引に与え続けようとする人や
相手が聴きたくもないアドバイスを一方的にし続ける人
など、いわゆる、「独善的」な人たちです。
その行為によって、彼らの自分自身における
「良い人」のイメージは強化され、ナルシズムは
満たされます。この傾向が病的に酷い人は、
「自己愛性人格障害」と呼ばれますが、
自己愛性人格については別の機会にまた書いてみようと
思います。
いずれにしても、「話し方」、「コミュニケーションの
取り方」というものは、日々のちょっとした注意や
努力の積み重ねで変わっていくもので、最初は
表面的な変化でも、習慣化することで、本物の違いに
なります。その結果、その人の「他者との関係性」
そのものにも違いがでてくるので、「To」と「With」の
違いは、一考に価するように思うのです。