これは日本の諺、「恩を仇で返す」に類似する英語の諺だ。
直訳すると、「食べ物を与えてくれた人の手に噛み付く!」、
となるけれど、「犬は人間の親友」という
大の犬好きのアメリカ人たちにとっては
いかにも馴染み深そうな言い回しだと思う。
余談だけれど、「恩」という概念は、厳密には日本文化固有のものであり、
たとえば英語のobligationなどとは微妙に異なるものだ。
「恩」という事象は、「甘え」の概念の考察において土井が触れているけれど、
実際、甘えの文化、以心伝心、暗黙の了解の日本において、
「恩」という関係性がはぐくまれていったのは興味深いことだと思う。
話がいきなり大幅に逸れたので強引にもとに戻すけれど、
「恩を仇で返す」とは、自分にとってなかなか耳が痛い言葉だ。
ダイレクトに、具体的に何かをして、仇で返す、ということこそないものの、
たとえば過去に自分によくしてくれた人のことを
いつの間にか忘れかけていたり、その後のことを報告できていなかったり、
なんらかの行為を持って好意を返したり、礼をしたりする、
ということを怠っていたり、そういうことは少なくない。
そういう自分は、間接的に、恩を仇で返しているように思えることがある。
「恩知らず」という言葉があるけれど、それは誠に恥ずかしいことだと思う。
食べ物をくれた手は、せめていつでもきちんと覚えていたいと思う。
直訳すると、「食べ物を与えてくれた人の手に噛み付く!」、
となるけれど、「犬は人間の親友」という
大の犬好きのアメリカ人たちにとっては
いかにも馴染み深そうな言い回しだと思う。
余談だけれど、「恩」という概念は、厳密には日本文化固有のものであり、
たとえば英語のobligationなどとは微妙に異なるものだ。
「恩」という事象は、「甘え」の概念の考察において土井が触れているけれど、
実際、甘えの文化、以心伝心、暗黙の了解の日本において、
「恩」という関係性がはぐくまれていったのは興味深いことだと思う。
話がいきなり大幅に逸れたので強引にもとに戻すけれど、
「恩を仇で返す」とは、自分にとってなかなか耳が痛い言葉だ。
ダイレクトに、具体的に何かをして、仇で返す、ということこそないものの、
たとえば過去に自分によくしてくれた人のことを
いつの間にか忘れかけていたり、その後のことを報告できていなかったり、
なんらかの行為を持って好意を返したり、礼をしたりする、
ということを怠っていたり、そういうことは少なくない。
そういう自分は、間接的に、恩を仇で返しているように思えることがある。
「恩知らず」という言葉があるけれど、それは誠に恥ずかしいことだと思う。
食べ物をくれた手は、せめていつでもきちんと覚えていたいと思う。