興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

bite the hand that feeds you

2009-04-26 | 戯言(たわごと、ざれごと)
 これは日本の諺、「恩を仇で返す」に類似する英語の諺だ。

 直訳すると、「食べ物を与えてくれた人の手に噛み付く!」、
となるけれど、「犬は人間の親友」という
大の犬好きのアメリカ人たちにとっては
いかにも馴染み深そうな言い回しだと思う。

 余談だけれど、「恩」という概念は、厳密には日本文化固有のものであり、
たとえば英語のobligationなどとは微妙に異なるものだ。
「恩」という事象は、「甘え」の概念の考察において土井が触れているけれど、
実際、甘えの文化、以心伝心、暗黙の了解の日本において、
「恩」という関係性がはぐくまれていったのは興味深いことだと思う。

 話がいきなり大幅に逸れたので強引にもとに戻すけれど、
「恩を仇で返す」とは、自分にとってなかなか耳が痛い言葉だ。
ダイレクトに、具体的に何かをして、仇で返す、ということこそないものの、
たとえば過去に自分によくしてくれた人のことを
いつの間にか忘れかけていたり、その後のことを報告できていなかったり、
なんらかの行為を持って好意を返したり、礼をしたりする、
ということを怠っていたり、そういうことは少なくない。

 そういう自分は、間接的に、恩を仇で返しているように思えることがある。
「恩知らず」という言葉があるけれど、それは誠に恥ずかしいことだと思う。
食べ物をくれた手は、せめていつでもきちんと覚えていたいと思う。




existential aloneness

2009-04-06 | 戯言(たわごと、ざれごと)
 午後、妻と二人で久しぶりに韓国系スーパーへ出かけた。

 そこはとても大きくて賑やかなマーケットで、
日本では見たこともなかったような珍しいフルーツや野菜が
市場のようにどっさりと置かれている。
スープやキンパや惣菜などの試食もあちこちで行われていて
韓国人でごった返すその空間に佇んでいると、
「ほんとうにここはLAなのか」、と不思議な気持ちになる。

 その果物、野菜売り場で、妻がうれしそうに、懐かしそうに、

「いいにおい!」、

と言った。それにつられて僕も鼻から大きく息を吸い、

「ホントだ、いいにおいだね!」、

と答えた。実際いいにおいがした。いろいろな果物の混ざった、
どこまでも甘く優しいにおい。

 でも妻がその匂いについて説明するのを聞いていたら、
どうやら二人は二つの異なる匂いについて、
「いいにおい」、と言っていたのだと気付いた。
ほとんど同じ場所に立っていて、二人で「いいにおい」という
知覚体験を同時にし、共感していたのだけれど、
実は二人が感じていた匂いのもとは別のものだったのだ。
それはちょうど、二人でお笑いを見ていて、
ほぼ同じ箇所で笑ったのだが、どこで笑ったのかが
微妙にずれていた、というのと似ている気がする。
「面白かったね!」、と声を揃えて、「笑い」という
楽しい刺激体験を「共有」するわけだけど、
厳密には、異なるところに面白みを見出していたことになる。
それは「共有している」という幻想に過ぎないのだろうか。

 そのとき自分は一瞬にしてこのように考えてみたけれど、
不思議と愉快な感覚は消えなかった。

 結局のところ、人間はひとりひとり全く別人格であり、
まったく同じ体験などありえなければ、
まったく同じ思考、感情、それにまったく同じ人生などあり得ず、
究極のところではみんな孤独なのだ。
これは心理学や哲学において、"existential aloneness"と
呼ばれるもので、すべての人間にとって不可避なものだ。
そしてひとは、この"existential aloneness"を
深いところで受け入れることで、
逆説的に、人と真に繋がれるし、分かり合うことができる。

 妻が苺の匂いに、しかし自分はメロンの匂いに感動し、
二人で「いいにおい」といって、互いがそれぞれの嗅覚経験の
対象の違いに気付かなくても、よくよく考えると
それは瑣末なことのような気がする。
大事なのは、「たくさんのいい匂いがする、日常の非日常空間に
二人一緒に出かけ、楽しい時間を共有した」という事実だと思う。
自分はそのとき、嬉しそうにはしゃぐ妻が嬉しく、
そこで彼女と同じように自分も楽しい経験をしていることが
また嬉しかった。

 それにしても、これはどこか不思議な感覚だった。
共有していると思っていた匂いを
実は共有していないことがわかったところで、
週末の午後を共有している、という感覚が強かったのかもしれない。