日が暮れてしばらくしてから、息子が「しゃぼんだま、やりたい」と言った。
もうすぐお風呂だったし、暗闇のシャボン玉というアイデアもあまり乗り気になれず、「シャボン玉は光のある昼間にやるから綺麗なんだよ。昼間にやろうよ」、と伝えても、「いまやりたい!いまやろうよ!」、と言ってきかないので、それならちょっとだけやってみようかと、リビングの縁側のウッドデッキに立ってやることにした。
風のない夜で、雨上がりでひんやりと肌寒く、辺りはコオロギの声だけが賑やかに聞こえている。
不思議なものだなと思った。
このコオロギの何匹かは昨夜まで我が家の室内で飼っていたものだ。夏の初めに息子と一緒に庭で捕まえてリビングルームで育てていたのが成体になり、彼らの鳴き声はテレビの音声を干渉する程に大きくなり、風情どころではなくなってきたので、昨夜息子が寝た後で夫婦で話し合って数匹を元いた庭に逃す事にしたのだ。ちなみに息子は個体数の減少に気づいていない。
息子がシャボン玉で遊び始めてすぐに気づいたけれど、夜のシャボン玉も、光が入る薄暗がりだとその光たちが反射してはっとするほどきれいだった。無風のため、シャボン玉が1箇所に長くとどまるのも良かったのだろう。やはりなんでも試してみるものだ。夜のシャボン玉、よくよく考えると素敵な感性だ。つくづく自分の固定観念は邪魔なものだと思う。
夜空には久々に星も見えて、空気はひんやりと肌に気持ちよく、コオロギたちは元気で、息子は無邪気に大はしゃぎしていて、それはなんだか思いがけずとても贅沢なひとときだった。