よくアメリカ人の日常会話で使われる面白い表現に"Passive aggressive"(消極的に攻撃的)というものがあります。Passive(消極的)と、Aggressive(攻撃的)という、ほとんど正反対の言葉がひとつに結び付いた、一見ありえないような形容詞ですが、これは会社でも学校でも、良く聞く言葉です。たとえば、「うちの上司は本当にPassive aggressiveなのよ」(My boss is so passive aggressive)とか、「彼女は今Passive aggressiveになっている」(She is being passive aggressive now)という感じです(脚注1)。
それで、Passive aggressive (パッシブ アグレッシブ) とはいったい何でしょうか。
パッシブアグレッシブとは、「消極的」に、また、間接的に、不満や怒り、「攻撃性」を表現することです。
ダイレクトでオープンなコミュニケーションが社会的に美徳とされるアメリカ社会において、間接的で、まっすぐでない(Indirective、インディレクティブ)コミュニケーションは、特にアメリカ人の間では不快感を感じるもので、彼らの普段のコミュニケーションのあり方にはそぐわない異質なものです。このため、その現象が起こっているとき、彼らは敏感にそれを察知します。
しかし、この言葉が良く使われることからもわかるように、この現象は、アメリカ社会のあらゆるところで、よく起こります。しかし、スタンダードなアグレッションとは性質が異なるため、それと区別するために、このような面白い言葉があるのです。
日本語には、これに該当する言葉がありません。なぜでしょう。日本人はダイレクトなコミュニケーションが大好きで、曲がったことをする人はどこにもいないからでしょうか。残念ながら、それは違います。周りとの調和、礼儀を重んじる日本社会では、ダイレクトな表現がなかなか難しく、敬遠されるため、怒りや不満を消極的、間接的に表現する人が多すぎて、この現象が、あまり人々の間で異質に映らないのです(脚注2)。
それでは、パッシブアグレッシブ、消極的攻撃性は、日本人のあいだでは、問題にならないのかというと、そんなことはありません。消極的攻撃性は、人間関係においてとても有害なもので、実際、日本人にも、これを常套手段とするひともいれば、これを滅多に使わないひとも多いです。社会において、これを使う人の割合が、日本ではアメリカと比べてずっと高い、ということであり、これを普段使わない日本人は、たくさんいます。
さて、消極的攻撃性とは、具体的に、どういった行為でしょうか。これは、本当にいろいろな例があります。
たとえば、あなたが誰かに用があって、メールをします。しかし、相手は、あなたに怒りを抱いていたり、あるいはその要件に不満があります。ここで、適切なのは、その不満について、返信のメールにおいて、適切にあなたに伝えることですが、消極的攻撃性のある人は、あなたへの返信を怠ったり、ものすごく日を置いて返信したり、あなたが挙げた重要な要件については何も触れずに別の内容で返信してきたりします。それであなたは気になるので、何気なくどうしたのか聞いてみると、「ごめん、携帯が壊れちゃってて」、とか、「コンピュータがウイルスに感染しちゃって」、とか、「すごく忙しくってすっかり忘れちゃってたんだ、ごめんねぇ」、と言った反応をするわけです。でもあなたとしたら、「へぇ、1週間も携帯壊れてたんだ」とか、「1週間、インターネット使えるところはどこにもなかったんだ?」と、疑問に思うわけです。疑問というよりも、相手が嘘をついていて、不満を間接的に表現しているのだと、普通にわかるわけです。
同様に、いくら電話しても電話に出なかったり、期限の迫っているプロジェクトで、協力が不可欠であるのに、いろいろと非協力的だったり、という表現もあります。
これよりかはいくらかましなもので、直接不満を言葉にする代わりに、間接的に相手を批判する、という場合もあります。たとえば、あなたが、他の4人の同期の人と、ひとりの上司と一緒に、小さな部署で働いていて、その上司があなた達にそれぞれ提出するように言っていた書類があり、あなた一人だけまだ提出していないとします。このとき、上司はまだあなたが提出していないことに不満があるのですが、それをあなたに直接いう代わりに、みんながいるところで、「皆さん、タイムリーに提出してくれてありがとう。助かるよ」、と言ったりします。これはあなたにとっては、結構じわじわくるものですが、相手としては、あなたに直接立ち向かうよりも楽なのです。それでいて、自分の不満も表現できるので、ストレスもたまりません。
嫌煙家のひとが、無作法に喫煙する人の横で、その人に注意するかわりに、ゴホゴホと大きな咳をし始めます。
遅刻の多い部下に不満のある上司が、その部下に注意する代わりに、その人の前で、他の皆を褒めはじめます。
などなど、枚挙に暇がありませんが、このように、消極的攻撃性は、日本社会に溢れています。
気になった方も多いかと思いますが、消極的攻撃性は、必ずしも悪いわけではなく、特に後者の例(間接的に言葉にして伝える)などは、場合によっては、その問題の相手を直接責めることを避けつつ、その問題について汲み取ってもらう、という良い意図が存在することもあるからです。上司は、部下を傷つけることなく、間接的に、フィードバックを与えているのかもしれません。
喫煙家の前でゴホゴホと咳をしはじめる嫌煙家においても、ダイレクトに注意するのが現実的に困難であったり、危険であったりする場合、このようにでも表現することで、相手に自分の意図が伝わり、ストレスがたまることもなく、これが最善の選択、ということもありえます(ところで、この例は、消極的攻撃性のなかでも、一番消極的でない、直接的な攻撃性に近いもので、割とダイレクトなコミュニケーションともいえます)。
また、前者の例でも、メールの送信を始める側に問題があり、たとえば、そのプロジェクトそのものが、間違ったことであったりして、しかし、力関係により、相手はダイレクトに反対はできないため、せめてもの抵抗として、また、それ以外に選択肢がないゆえに、しかたなく、返信を遅らせたり、怠ったりしている、というシナリオもありえます。
つまり、消極的攻撃性は、場合によっては、必要悪であったり、ある種の好ましくない状況下で最善の選択であったりもするわけです。どんなに健全な人格の持ち主で、公平でオープンなコミュニケーションを好むひとでも、たまにこうした手段を使わざるを得ない事態は存在します。
問題は、先にも述べたように、消極的攻撃性を、その人の人間関係の常套手段として使う人たちです。消極的攻撃性は、本人はそのようにして怒りを出しているので良いですが、それをされた相手はとても嫌な気持ちになるし、傷つきます。それはフェアでなく、気分の悪いものだからです。
そして、この最大の問題点は、消極的攻撃的である人は、他者とのきちんとしたコンタクトを取れないひとである、ということです。
どんな人間関係においても、気まずい局面、難しい対峙、というのは存在します。しかし私たちは、こうした難しい局面において、自分の気持ちに向き合い、相手ときちんと向き合って、互いに正直に話し合うことで、衝突はあるかもしれませんが、その結果、さらなる相互理解ができて、人間関係が深まります。
ダイレクトなコンタクトは、相手と親密になることです。
つまり、消極的攻撃的なひとは、他者と親密になることができません。きちんと他者と繋がれないのです。何しろ、他者とのコンタクトを回避しているわけですから。また、周りは、自分のことを相手が避けながら、悪意のあることをしているのが良く分かるので、とても嫌な気持ちになり、周りもその人を避けるようになります。また、周りは、その人が何かで怒っていたり、不満があるところまでは分かるものの、コミュニケーションを回避されているため、その人が実際に何を考えているのか分かりません。相互理解の断絶、悪循環です。
お分かりのように、消極的攻撃性は、ある意味非常に効果的です。怒りや不満を表現し、相手をコントロールしたり、自分の思い通りにしつつ、口論や話し合いといった、面倒くさいことを避けられるわけですから、当人は、たいしてストレスもたまりません。実際、社会的にとても成功していて、消極的攻撃的なひとはたくさんいます。
しかし、こういう人たちは、多くの人にとって、まず一緒に働きたくない人たちです。
まとめますと、消極的攻撃性は、その程度問題であり、使用頻度の問題です。また、これは対人関係における癖のようなものです。それがゴールを達成することにおいて効果的であれば、その行動パターンは、強化されます。そのため、なかなか見えにくくなっているかもしれません。
しかし、今のあなたの人間関係を見つめてみて、なんだかよく分からないけどこじれているところがある、何かが気持ち悪い、と思ったら、この消極的攻撃性の存在の可能性について考えてみてください。あなたがしているかもしれないし、相手がしているかもしれないし、お互いにしているかもしれません。
それに気づいたら、どのようにして、より素直に、自分の気持ちを相手に伝えられるか、その方法を模索して、試していきましょう。また、相手が、あなたに直接気持ちを伝えることに難しさを感じているかもしれません。思い当たるふしがあれば、少し踏み込んで、その人と話してみましょう。何か気になっていることはないか、実は困っていることはないか、上手に、でもストレートに、聞いてみましょう。そのような試行錯誤のなかで、その人間関係は、少しずつ、良くなっていくことでしょう。
(脚注1)正確には、Passive (消極的)の反義語は、Active(積極的、活発な)です。日本では、アグレッシブという言葉が、「もっとアグレッシブにならないと」とか、「アグレッシブに仕事に取り組む」などと、「アグレッシブ=積極的」というような、ポジティブなニュアンスで使われていますが、これは和製英語であり、あなたがアメリカ人と会話するときにこの言葉を使うのは注意が必要です。たとえば、「僕は積極的な女性が好きなんだ」、というときに、"I like agressive women"などというと、相手はびっくりするかもしれません。これは、アメリカ人には、「僕は攻撃的な女が好きなんだ」という風に聞こえます。積極的、であれば、"assertive," "proactive"などが適切ですし、また、"active"(活発な)も使えます。しかし、Aggressiveではありません。もちろんこれは文脈にもより、本当に引っ込み思案で消極的であることで、職にありつけない仲の良い友達を叱咤激励するときに、「もっとアグレッシブにいけ」"Be more aggressive”などのようには普通に使われます。つまり、アグレッシブという言葉は、英語圏では、あまりポジティブな意味合いでは使われません。ところでpassive aggressiveは「受動的攻撃性」とも訳されますが、「消極的攻撃性」のほうがこの言葉の持つニュアンスや面白さを良く表しているので私はこのように呼んでいます。
もうひとつ余談ですが、Naive(ナイーブ)という英語(語源はフランス語ですが)も、日本では、どちらかというと、ポジティブな意味合いで使われていますが、これは誰かを褒めたいときには絶対使うべきではありません。和製英語のナイーブは、「素朴な」とか、「素直な」というような良い響きがありますが、英語Naiveは、「世間知らずの」、「無知な」、「騙されやすい」という意味であり、誰かを批判するときに使われるものです。
さらに関係ない話ですが・・・Naim(ナイーム)とは、ヘブライ語で、「心地よい」という意味で、Lo Naim(ロ ナイーム)は、「不快感な」、「居心地の悪い」、という意味です。Loは、ヘブライ語で、No(ちなみにYesはKenです)、つまり、「ない」+「心地よい」=「居心地よくない」(Lo Naim)ということになります。
(脚注2)これはどこか、日本語の「腋臭(わきが)」に該当する言葉が英語には見当たらないのと似ています。日本人のあいだでは、わきがである人は少数派であるため、気を付けないと、人目を引くもので、そのため、この症状に、名前があるわけですが、西洋では、腋臭のひとが、そうでない人よりもずっと多いため、このような言葉自体が必要ないのです。