興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

不快な気分を選んで経験しているということ

2010-09-12 | プチ精神分析学/精神力動学

 何かどうでもいいこと―しかししばしば引っかかることに―
うっかりとらわれてはならない。無意味なことだ。
無意味で、非生産的なことだ。

 しかしとらわれないためには、その引っかかった気持ちを
無視して抑制して他のことを考えるのではなくて、
なぜそこにとらわれているのかについて
しっかりと考えて見ないといけない。
とらわれるのは、「とらわれたいから」とらわれているのだ。
そのぬかるみに嵌って、抜け出して振り返りもせずに
逃げ出しては、何度でも同じぬかるみに嵌ることだろう。
反省するだけでは、ひとは変わらない。
同じことで100万回反省して何にも変わらないのは、
問題の本質を、見たくない自分をみていないからだ。

 そこには必ず、見たくない隠れた気持ちがある。
劣等感だとか、自分のなかで未解決な問題とか、不安とか、
恐怖とか、嫉妬とか、いろいろな、「非理想的」な感情が
いろいろとあるはずである。
 そういうものから目を反らしているから、
つまらない時につまらない理由でとらわれたがるのだ。
とらわれて、どっぷりつかって、気持ちがくさくさする。

 恐怖という感情を克服する唯一の方法は、逆説的なもので、
その恐怖感情をきちんと経験することなのだ。
それをリラックスしてできたら、それはどうでもよくなるのだ。

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2009年10月に別のところで書いたものを、
タイトルだけ変更してコピペしたものです。

 ひとはもちろん、不快な気分を「意識的に選ぶ」わけではありませんが、不快な気分というのは精神活動の容量を一気に一杯にするパワフルなもので、ゆえに「本当に考えなければいけないこと」、「本当に向き合わねばならないこと」、「本当に見つめなければならないこと」、などから一時的に回避できる、精神的に非常にエコノミカルな防衛です。

 エコノミカルだけれど、長い目でみるといろいろと精神的コストが多く、決してエコノミカルではないのだけれど、「とりあえず楽なもの」に、ひとは無意識に惹かれてしまうものです。それが不快な情緒経験でも、もっと不快な感情、恐怖などを経験するよりはましだということです。

 でも本当に根本的な問題を解決したいとき、本当によい気分になりたいときは、そんなものに精神的エネルギーを浪費している状態は脱出しないといけませんね。