今回は、謙虚であることが重んじられる日本文化圏にとくに多く、多くの人が多かれ少なかれ陥りがちな認知のゆがみ、「ポジティブの無効化」(Disqualifying or discounting positive things)について説明したいと思います。正確には、「ポジティブなことの無効化、あるいは割引」ですが、覚えやすくするために、「ポジティブの無効化」とします。「多かれ少なかれ」、といいましたが、この思考パターンが強い人は、鬱や自信喪失に陥る危険があり、また、今臨床的なうつを経験している人には、この思考パターンが習慣化してしまっている人が多いです。また、この思考パターンにはまると、なかなか鬱から抜け出せません。
これは、具体的にどういうことかというと、あなたが経験した何かよいもの、たとえば、成功、達成などを、何らかの理由をつけて無効化したり、割り引いて捉えてしまう傾向です。
たとえば、佳恵さんは、今回のお客様との取引がうまく行き、契約にたどり着きました。佳恵さんと仲の良い同僚の恵子さんは、佳恵さんがこのところずっと不調続きで落ち込んでいたことを知っていたこともあり、嬉しくなり、「すごいじゃん!やったね!」、と励ましの声をかけました。しかし、佳恵さん本人はあまり嬉しそうでもなく、「ありがとう。でも今回はたまたまうまくいっただけだよ。最近ずっと駄目だったし、運がよかったんだよ。お客さん話しやすい人だったし」と、どこかそっけなくいいました。
しかし実際のところ、佳恵さんの今回のお客さんは、特に話しやすいわけでもなく、どちらかというと気難しいところのある人でした。交渉内容も、結構な知識と根気とソーシャルスキルを必要とするもので、「たまたまうまくいく」ような性質のものではありませんでした。つまり、今回の佳恵さんの成功は、彼女の実力に起因するところが大きかったのですが、彼女はこの認知のゆがみのために、それをうまく認識することができません。この他にも、スランプ気味のスポーツ選手の成功、テストの良い結果、コンクールの当選などにおいて、こうした認知のゆがみのために、そこで喜びを経験することができない人がいます。
ここでも、前回触れた、「自分の最大の批判者は自分自身である」、という事実が見られます。他人である恵子さんからは、佳恵さんの実力による成功であるとはっきり見えることが、本人には、「ただの偶然」になってしまっているのです(脚注1)。そして、前回と同様に、この認知からの脱却の第一歩は、まず、自分がこの認知のゆがみに囚われていることに気づくことです。
あなたが何か成功したり、何か良い経験をしたときに、「ラッキーだった」、「たまたまだ」、「運がよかっただけ、自分には能力はないんだし」、などと咄嗟に思ったら、ちょっと立ち止まってください。本当にそれはただの運や偶然などの外的要素だけによるものだったのでしょうか。もちろん、ものごとには運はつきものですが、成功が「幸運」のみによって起こることはそうそうありません。運もあったかもしれませんが、そうでない、何かあなたご自分の内的な起因について考えてみてください。ひとつでも良いです、あなたによる成功の要素です。この作業はじつは非常に大切で、実際、自分の成功を見つめてあげる、それにクレジットを与えられることは、あなたの幸福度、良いセルフイメージ、自己評価に直接つながるもので、逆にこれができないと、ひとは低い自画像や、うつを経験します。
今あなたがこの認知のパターンにはまってしまっていると思ったら、今回のあなたの成功を、あなたの大切な他の誰かがしたとして、考えてみてください。あなたは、どのような言葉で彼らをほめてあげますか。彼らを上手に正直に褒めることは、それほど難しいことではないでしょう。そのようにして、少しでも自分をほめてあげてください。
(脚注1)この傾向を、専門的には、External locus of control(外的統制型)と呼びます。統制型 (Locus of control)とは、ロッター(Rotter)という心理学者が、1966年に提唱した有名な理論で、この「外的統制型」(External locus of control)と、「内的統制型」(Internal locus of control)の2種類あります。ロッターによると、人間には、自分の経験において、この2通りの認知のタイプがあり、「内的統制型」の人は、自分の経験において、自分自身の才能、能力、努力などといった、「内的」な、自分の性質、特性などによる「統制」として認知するのに対し、「外的統制型」の人は、自分の経験は、自分自身の才能、能力、努力などとはあまり関係ない、運や偶然など、「外的」な統制によってもたらされるものだと認知します。この2つの統制型が、その人の行動における信念となります。お分かりのように、佳恵さんは、「外的統制型」(External locus of control)の認知型で、このタイプの人は、自分の生活や人生において、「自分の行動や努力次第で状況は変えられる」といった、Sense of control、ものごとのいくつかは自分でコントロールできる、変えられる、という感覚に欠けます。この認知タイプは、現在鬱を経験している人にも非常によく見られるもので、実際、鬱のひとが、無力感などを感じるのはこの認知によるところが大きいと言われています。また、自分の行動次第で状況が変わるという感覚が持てないため、ものごとに対して消極的になりがちで、そのため、変えられることも行動しないために変わらず、悪循環になりがちです。