普段私たちは「ストレス」という言葉を何気なく使っていますが、ストレスとは実際何のことでしょう。「ストレスが溜まる」とか、「ストレス発散」とか、「ストレスフリー」とか、「慢性的ストレス」とか、いろいろな使い方がありますが、これらの語感からはなんとなく、「心の負担」と捉えてみることができそうです。上記の例の「ストレス」を、「心の負担」に置き換えて読んでみても似たようになると思います。しかし、具体的に「ストレス」とは何を意味するのでしょう。現代は「ストレス社会」とまで言われていますし、ここはひとつ、ストレスについて一歩踏み込んで考えてみてもよさそうです。このなんとなく漠然とした存在に洞察ができたら、それはより具体的なものになり、効果的な対方策を立てるのも容易になります。
実際、さまざまな精神的、一般的疾患とつながりの深いストレスにおける臨床心理学/精神医学的研究は実際に盛んで、その定義もいろいろありますが、ひとつのコンセンサスとして、「人は、『何かを失う可能性、何かに変化が発生する可能性における恐怖や不安を経験』しているときに、大きなこころの負担、つまりストレスを感じる」というものがあります。
何かとは、現在の人間関係、恋愛関係、自己イメージ、仕事、今の会社での地位、家、アパート、お金、健康など、実に様々な可能性があります。
たとえば人は、失業の可能性、金銭的損失の可能性、離婚の危機、失恋の可能性、左遷の可能性、大きな病気(健康を失うこと)などで、大きなストレスを経験します。人が人生において経験する最大のストレスになる経験として、配偶者の死、離婚などが挙げられるものこのためです。
ストレスについて意外と知られていないことで、「人はポジティブな経験、たとえば結婚、仕事の昇進、家を買う、旅行に行く、などの経験をするときにもストレスを経験する」、という事実があります。新しい恋人とのはじめてのディナーの予定は、心弾むものであると同時に、その時間が楽しいものになるか、何か気まずくなったりしないか、その後にどうなるのか、つまり、関係が進展する可能性と同時に、関係が失墜する不安も多かれ少なかれあるわけで、これがストレスとなるわけです。面白いもので、「適度なストレス」、「適度な不安」というものも存在し、それはパフォーマンスを促進したり、こころにとって良い刺激だったりします。100%楽勝なものに人は物足りなさ、退屈などを経験します。
最後に、私たち人間は、人生において何かを得るときに、常に何かを失っています。たとえば、家を買うと決めた人は、長年住んでいた、愛着のあるアパートを去らなければならない、という喪失体験をしますし、これから結婚する人は、今までの生活環境はもとより、独身時にあった自由時間、ひとりの時間、異性の友人との気兼ねない友好関係を失うかもしれないし、仕事の大幅な調整などをしなければならないこともあり、やはり、喪失体験も伴います。このように考えると、ストレスとは、人生における(大小の)変化における心の負担、と理解してよさそうです。
実際、さまざまな精神的、一般的疾患とつながりの深いストレスにおける臨床心理学/精神医学的研究は実際に盛んで、その定義もいろいろありますが、ひとつのコンセンサスとして、「人は、『何かを失う可能性、何かに変化が発生する可能性における恐怖や不安を経験』しているときに、大きなこころの負担、つまりストレスを感じる」というものがあります。
何かとは、現在の人間関係、恋愛関係、自己イメージ、仕事、今の会社での地位、家、アパート、お金、健康など、実に様々な可能性があります。
たとえば人は、失業の可能性、金銭的損失の可能性、離婚の危機、失恋の可能性、左遷の可能性、大きな病気(健康を失うこと)などで、大きなストレスを経験します。人が人生において経験する最大のストレスになる経験として、配偶者の死、離婚などが挙げられるものこのためです。
ストレスについて意外と知られていないことで、「人はポジティブな経験、たとえば結婚、仕事の昇進、家を買う、旅行に行く、などの経験をするときにもストレスを経験する」、という事実があります。新しい恋人とのはじめてのディナーの予定は、心弾むものであると同時に、その時間が楽しいものになるか、何か気まずくなったりしないか、その後にどうなるのか、つまり、関係が進展する可能性と同時に、関係が失墜する不安も多かれ少なかれあるわけで、これがストレスとなるわけです。面白いもので、「適度なストレス」、「適度な不安」というものも存在し、それはパフォーマンスを促進したり、こころにとって良い刺激だったりします。100%楽勝なものに人は物足りなさ、退屈などを経験します。
最後に、私たち人間は、人生において何かを得るときに、常に何かを失っています。たとえば、家を買うと決めた人は、長年住んでいた、愛着のあるアパートを去らなければならない、という喪失体験をしますし、これから結婚する人は、今までの生活環境はもとより、独身時にあった自由時間、ひとりの時間、異性の友人との気兼ねない友好関係を失うかもしれないし、仕事の大幅な調整などをしなければならないこともあり、やはり、喪失体験も伴います。このように考えると、ストレスとは、人生における(大小の)変化における心の負担、と理解してよさそうです。
期待しない、依存しない、希望を抱かない、選択しない、そうすればストレスも皆無でしょうね。
だけどそれはもう社会生活をおくってないのと同じで
マトモな人間としては機能してない状態なのではないでしょうか。
そういうことですね。Optimal stress levelというものがあるわけです。
僕は愛知県です。
精神分析療法って誰でもできないですよね。
来談者中心療法みたいのは効果ないですか?
転移乗り越えたらよくなりますか?
いま、おかしいじょうたいです。
こんにちは。確かに日本は現在のところ臨床心理士が修士レベルの民間資格で、国家資格が存在しない状況ですが、それでも良い心理士は少なくないと聞いています。精神分析にしても、ひどい人だとフロイドとかユングの古典的なものをそのまま使っていたりしますが、自己心理学、対象関係論、交流分析など現代の精神分析のトレーニングと経験のある心理士もいるようです。来談者中心療法は、あらゆる心理カウンセリングの基本姿勢とされているもので、必要不可欠なものですが、それだけでは人格障害の治療には十分ではありません。しかし、それでも治療を受けない人と比べたらずっと良いです。転移と逆転移は、クライアントと治療者の共同作業で乗り越えていくもので、その繰り返しでよくなっていきます。長い道のりではありますが。以下のリンクから、あなたのところから最寄の有資格の心理士を探せると思います。http://www.jsccp.jp/near/電話をして、どのような治療をその先生がしているか聞いてみるものよいかもしれませんね。
また、面談継続してくれるそうです。
修正的情緒体験という言葉は臨床心理士なら
みなさん知ってるのでしょうか?
心理の先生に嫉妬するのも転移なんでしょうか?
やめれるときは、一時的な感情で、やめれるんでしょうか?回復したときは転移は消えてるんでしょうか?
僕は身体醜形障害(医師はSAD)も患ってます。
僕を担当することになった心理の先生は不幸だと思います。
治療の再開、何よりですね。よかった。修正的情緒体験は、Corrective emotional experienceの訳語で、アメリカの治療者なら誰でも知っている言葉ですが、日本ではどうでしょう。知っている方は多いと思うのですが。何しろどの種類の良いセラピーで起きる非常に重要な現象です。
先生に嫉妬するのも転移ですね。ただ、転移は非常に大事なものです。転移の起きないセラピーに良いセラピーはありません。また、転移は、現代の臨床心理学では、クライアントがセラピストに抱くありとあらゆる感情を広義に指すもので、治療を通して何かしらの転移は起きるのですが、その種類がどんどん発達的に高いものに変わっていきます。古い種類の転移は、そのクライアントが成長すると共に消えたり、変容します。
身体醜形障害と社会不安障害は、実際非常に繋がりも深いもので、両方の診断名がつくことも決して珍しいことではありません。それで治療者が不幸ということはまずないですよ。