興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

認知のゆがみ その12 ラベリング、レッテル貼り (Labeling)

2014-03-08 | プチ臨床心理学

 「あいつは馬鹿だ」とか、「私は負け組」とか、「これだからゆとりは」とか、「俺はどうせニートだし」、とか、人はしばしば自分や他人に何か特定のネガティブで固定した概念を当てはめて、その狭い概念を通してしか考えられなくなってしまいます。これが他人に向けば、人格攻撃になるし、自分に向けば、自虐、自己卑下になります。このように、あなたが何かしらネガティブで固定したラベルを他者やあなた自身に貼り付けてしまい、その人が持っているいろいろなポジティブなものを見ることができない認知のゆがみを「ラベリング」とか、「レッテル貼り」と呼びます。これは、以前紹介した「一般化」(Overgeneralization)のさらに極端な例で、たとえば、誰かのあるひとつの行動を、その人の人格に当てはめてしまったりするものですが、そのとき人は、そのひとの置かれていた環境や、外的状況などを考慮にいれることをしません。

 たとえば誰かがどこか入りやすそうな会社の入社試験に落ちたときに、その周りのひとが、「あいつは駄目だ」、とか「あいつは馬鹿だ」とか決めつけてしまうもので、しかしその人は、試験直前に身内に不幸があって、夜も眠れず、最悪な精神状態で、試験中も頭が真っ白だった、という場合だってあるのです。あるいは、長年付き合っていた恋人との破局の直後だったかもしれないし、インフルエンザで熱もあり、体調は最悪で、全然集中できなかったのかもしれません。

 「私のいとこの彼氏は負け犬よ」、と言うひとは、その彼氏が実は持っている、いろいろな良い面を認識することができません。いとこの彼氏という人格を、「負け犬」の一言に削減してしまうようなラベリングを還元主義(Reductionism)と呼びますが、これは本来複雑な対象を、過度に簡素化してしまう思考法で、レッテル貼りをしてしまったそのときから、その対象との間に良いものは生まれません。ある教育世代の人たちをひとくくりに「ゆとり」と呼ぶのも、高校を卒業してあらゆる理由で大学に進学しなかった、あるいは中退した人を「高卒」と呼ぶのも、様々な理由で現在教育や就労や訓練に従事していない人を「ニート」と呼ぶのも、こうしたレッテル貼りの還元主義の現れです。以前書いた記事「他人化」(Othering)の心理がこれに当たります。ステレオタイプの心理です。

 レッテル貼りの最大の問題は、本来存在している外的な要素を無視したり否定したりすることで、その人を間違った方向に決めつけてしまうことです。残念ながら、これは日本人の間に非常によく見られる認知のゆがみで、実際、日本社会はこうした様々な「レッテル」で溢れています。お分かりのように、このレッテル貼りが自分自身に向いたとき、ひとは自己卑下や、低い自己評価、うつ、不安など好ましくない精神状態に陥ります。

 この間受けたTOEICの得点がいまいちだった、勉強したのに、私は馬鹿なんだ。と思ったら、ちょっと立ち止まってください。世の中に、「馬鹿」という人は存在しません。それは、勉強の仕方に問題があったのかもしれないし、勉強時間が足りなかったのかもしれないし、試験前に何か不快なことがあって、集中力がいまいちだったのかもしれませんし、他に何か理由があるかもしれません。「あなたのひとつの行動や、結果」と、「あなたの人格」は、別のものです。また、あなたが「馬鹿」であることと相反する事実は、ゆっくり探してみれば、いろいろ見つかるはずです。次にあなたが他者やあなた自身を何かネガティブな固定概念で呼び始めたら、注意してみてください。ラベリングしたその瞬間から、その認知を修正するまで、対象は固定化されてしまい、それでは何も変わらず、良いものは生まれません。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。