スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

ブランドショップ IN GINZA(1)

2017-03-15 07:22:25 | 建物

銀座の物件の地鎮祭があり、ギリギリはまずいと早目に

銀座に来てしまった為、時間調整で銀ブラと洒落込んでみた

数寄屋橋から晴海通りを歩いて行くと「はたっ」と閃いた

銀座にはやたらとブランドショップが目に付くが

具体的にどんなショップがどこにあるのだろう?

時間を見ると充分時間がある。ということで

数寄屋橋から晴海通りを銀座4丁目交差点まで

それから銀座中央通りを1丁目から9丁目まで歩いてみた

今回は3回に分けた大作となった

最近アップした東急プラザ銀座1階に入居している

「バリー(Bally)からスタート

(2017-2-14付ブログ参照)

「バリー」は1851年スイスでカール・ブランツ・バリーが創業した

当時はリボンメーカーだった。パリに出張した際に見た

パリジェンヌの靴に魅了され、靴の開発をスタート。効率的な生産のみならず

素材の品質、洗練されたデザインでバリーの靴は高級品として

取り扱われた。1976年アパレルとハンドバッグ及びレザー製品の

アクセサリーをブランドのラインナップに追加。

1988年に日本でバリージャパンを設立した

2001年に新CEOが就任してインターナショナルデザインチームを

結成し「最上の日常着」をテーマに

全世界のイメージを統一した

又、バック、プレタポルテを含めたトータルファッションブランドへ

進んで行く。バリーは都会的なイメージのブランドへと変わり出した。

晴海通りに面した(銀座5-6-1 銀座5丁目中央ビル)

「クリスチャン ディオール銀座店」。2012年4月22日

リニューアルオープンした。Diorはフランスのファッションデザイナー、

クリスチャンディオールが1946年に創立したファッションブランドを

展開する企業。服飾、バッグ、宝飾品、時計、コスメ、香水とその展開分野は広い。

1957年ディオールが死去後、イブ、サンローランが

21歳の若さでディオール社の主任デザイナーに抜擢された。

日本では1950年代、東京でショーを開催。

日本でショーを行った欧州ハイブランドはディオールが

初めてであった。2003年12月7日に表参道に店をオープン。

全国各地のデパートに店舗を展開し、コスメ・香水においては

シャネル、パルファム、ジバンシィと並ぶ海外コスメブランドの代表といえる。

ディオールと道を隔てて並びにあるのが2007年オープンした

「ジョルジオ・アルマーニ」銀座タワー。1975年にアルマーニ氏によって

設立されたファッションブランド。レジャーブランドで本部は

イタリア・ミラノにある。ファッション業界で最も権威ある

ブランドでメインブランドのほか、複数の姉妹ブランド、化粧品

リゾート、高級レストランなど多彩な事業を展開している。

ジョルジオ・アルマーニは1934年生まれで82歳、

イタリアビアンチェンツァで誕生ジャンフランコ、ツェッレと

ジャンニ・ヴェルサーチと共に「ミラノの3G」として世界にその名を轟かせている。

「あくまでもナチュラルで着心地がよく、現代生活の

マッチするもの、そんなデザインを追求していくと

自然とシンプルなものになっていく。ファッションでも、

いささか奇抜なディテールで人を驚かせようとする意図がはっきり

感じられるのは無意味だと思う。意味がないし、

不安にさせられる。」と彼は言っている。

ディオールの向かい側にアメリカのブランド「COACH」(銀座5-4-3)

がある。コーチは1941年ニューヨーク、マンハッタンで創業された

アメリカ合衆国の高級皮革製品メーカーである。

社名の頭文字であるCのモノグラム柄のハンドバックや財布

パスケースなどが代表的商品だ。日本では20歳~30歳前後の

女性の購入単価や購入頻度の高さが特徴。

社名は「乗り物」を意味しており、馬車の代名詞であったハンガリーの

コーチ(Kocs)という都市名からきている。高級品を出す一方で

アウトレット店などの経営によって中低所得層にも

商品を販売しており、「全ての層を相手に商売できる」という

評価がある。日本にはバブル期の1988年に初出店、

2001年住友商事と合併で日本法人「コーチ・ジャパン」を設立した。

コーチよりちょっと数寄屋橋側にある「GAP」。アメリカ最大の

衣料品の小売店の1つで2011年(平成23年)新たな

旗艦店としてGAPはフラッグシップ銀座店を開業した。

1969年にユダヤ系アメリカ人のドナルド・フィッシャーと

ドリス・フィシャー夫婦によって始められたGAPはヒッピー運動と

関連して注目されるようになってきた。1986年GAPが提唱した

概念「自ら製品を企画し自社製品として委託生産させ、自らの

チェーン店で販売する製造小売業という形態」で

子供と大人の間、ティーン世代をターゲットにした洋服を手掛けることで

急成長した。GAPの名前の由来はドンとドリスが友人たちと

ジェネレーションギャップについて討論したときに思いついた名前だと言う。

GAPの企業ロゴは1988年から使用。

サンフランシスコに本社があり、日本、カナダ、ヨーロッパに

支社があり、他にオールド・ネイビーとバナナ・リパブリックという

小売ブランドも傘下に持っており、世界中で3100店(2008年)を持っている。

ソニースクエアの先にあるガラスブロックの塊の建物が

2001年6月にオープンした日本での旗艦店「メゾンエルメス」。

(20172-14付参照)。外壁に4500mm角のガラスブロック13,000枚を

めぐらした11階建てのビルでレンジ・ビアノが設計した。

この中にはブティックのほか、製品の修理工房、ギャラリー、

パリ以外で初となるエルメス社常設ミュージアムそして

エルメスジャポンの本社が入っている。フランスのエルメス社は

馬具工房として創業したが、自動車の発展による馬車の衰退を予見し、

鞄や財布などの皮革製品に事業の軸足を移して成功した。

現在でも馬具工房に由来するデュックとタイガーが

ロゴに画かれている。デュックは四輪馬車でタイガーは

従者のこと。主人が画かれていないのは「エルメルは最高の

品質の馬車を用意しますが、それを御すのはお客様

ご自身です」という意味が込められているため。

エルメス社の母体を作ったティエリー・エルメス(1801年-1878年)が

1837年にパリに聞いた馬具工房でナポレオン3世や

ロシア皇帝などを顧客として発展した。

COACHの並びにある「グッチ銀座店」。イタリア・フィレンツェで

生まれた。グッチオ・グッチ(1881年~1953年)が

1921年に創業したイタリアのファッションブランド。バッグ、靴

サイフなどのをはじめ、服、宝飾品、時計、香水などを

幅広く手掛けている。ケリンググループ(旧グッチグループ)の

中核をなすブランドで同系列にサン・ローラン、プーマなどの

ブランドがある。ブランドの元祖と呼ばれ、世界が初めて

品質保証のためにデザイナーの名前を商品に入れたことでも知られている。

1990年代に創業者のお家騒動(パトリツィアによるたくらみと

グッチ一族の崩壊、暗殺事件)と外資の買収に翻弄された

経緯が関係し、フランスの流通大手企業であるPPK

(社名変更してケリンググループ)の所有会社となった。

クリスチャン・ディオールの右隣、間口の狭い「ロンシャン。」

1948年、ジャン・キャスグランが設立したロンシャンは1957年に

メーヌ・エ・ロクール地方のセグレに工場を設立した後、

地方に散在していた職人たちを当所に集め、本格的に

活動を開始した。ラムスキンの旅行鞄やナイロンと革が

コンビになったラゲージラインなどがロンシャンスタイルとして

広く知られている。ナイロンの折りたたみバックxtra-bagを発表し

これが評判になるとコピー商品が出回るほどにその名を知らしめた。

そして1975年、新たにソフトで優しい雰囲気のスタイルが

誕生した。これがヴォーネフローネという今でも愛され

続けるロンシャンの代表的定番ラインだ。

晴海通りから四丁目交差点を右折、銀座中央通り5丁目にある

「プラダ(PRADA)」。プラダはミラノに本社を置き、

イタリアを代表する高級ファッションブランドを展開する

アパレル企業。プラダ(レディー、メンズ)のなか

ミュウミュウ(レディース)を展開している。いずれも

デザイナーは創業家3代目のミウッチャ・プラダだ。

1913年創業者のマリオ・プラダとフラテッソ・プラダ兄弟が

ミラノの中心にあるガレリア・ヴィットリオ・エマヌエールⅡ世に

プラダ第1号店として皮革製品店Frafelli Pradaを

開業する。世界から珍しい素材や質の高い皮を集めて

製品を作っていた。それが評判となりイタリア王室のご用達となった。