銀座の物件の地鎮祭があり、ギリギリはまずいと早目に
銀座に来てしまった為、時間調整で銀ブラと洒落込んでみた
数寄屋橋から晴海通りを歩いて行くと「はたっ」と閃いた
銀座にはやたらとブランドショップが目に付くが
具体的にどんなショップがどこにあるのだろう?
時間を見ると充分時間がある。ということで
数寄屋橋から晴海通りを銀座4丁目交差点まで
それから銀座中央通りを1丁目から9丁目まで歩いてみた
今回は3回に分けた大作となった
最近アップした東急プラザ銀座1階に入居している
「バリー(Bally)からスタート
(2017-2-14付ブログ参照)
「バリー」は1851年スイスでカール・ブランツ・バリーが創業した
当時はリボンメーカーだった。パリに出張した際に見た
パリジェンヌの靴に魅了され、靴の開発をスタート。効率的な生産のみならず
素材の品質、洗練されたデザインでバリーの靴は高級品として
取り扱われた。1976年アパレルとハンドバッグ及びレザー製品の
アクセサリーをブランドのラインナップに追加。
1988年に日本でバリージャパンを設立した
2001年に新CEOが就任してインターナショナルデザインチームを
結成し「最上の日常着」をテーマに
全世界のイメージを統一した
又、バック、プレタポルテを含めたトータルファッションブランドへ
進んで行く。バリーは都会的なイメージのブランドへと変わり出した。
晴海通りに面した(銀座5-6-1 銀座5丁目中央ビル)
「クリスチャン ディオール銀座店」。2012年4月22日
リニューアルオープンした。Diorはフランスのファッションデザイナー、
クリスチャンディオールが1946年に創立したファッションブランドを
展開する企業。服飾、バッグ、宝飾品、時計、コスメ、香水とその展開分野は広い。
1957年ディオールが死去後、イブ、サンローランが
21歳の若さでディオール社の主任デザイナーに抜擢された。
日本では1950年代、東京でショーを開催。
日本でショーを行った欧州ハイブランドはディオールが
初めてであった。2003年12月7日に表参道に店をオープン。
全国各地のデパートに店舗を展開し、コスメ・香水においては
シャネル、パルファム、ジバンシィと並ぶ海外コスメブランドの代表といえる。
ディオールと道を隔てて並びにあるのが2007年オープンした
「ジョルジオ・アルマーニ」銀座タワー。1975年にアルマーニ氏によって
設立されたファッションブランド。レジャーブランドで本部は
イタリア・ミラノにある。ファッション業界で最も権威ある
ブランドでメインブランドのほか、複数の姉妹ブランド、化粧品
リゾート、高級レストランなど多彩な事業を展開している。
ジョルジオ・アルマーニは1934年生まれで82歳、
イタリアビアンチェンツァで誕生ジャンフランコ、ツェッレと
ジャンニ・ヴェルサーチと共に「ミラノの3G」として世界にその名を轟かせている。
「あくまでもナチュラルで着心地がよく、現代生活の
マッチするもの、そんなデザインを追求していくと
自然とシンプルなものになっていく。ファッションでも、
いささか奇抜なディテールで人を驚かせようとする意図がはっきり
感じられるのは無意味だと思う。意味がないし、
不安にさせられる。」と彼は言っている。
ディオールの向かい側にアメリカのブランド「COACH」(銀座5-4-3)
がある。コーチは1941年ニューヨーク、マンハッタンで創業された
アメリカ合衆国の高級皮革製品メーカーである。
社名の頭文字であるCのモノグラム柄のハンドバックや財布
パスケースなどが代表的商品だ。日本では20歳~30歳前後の
女性の購入単価や購入頻度の高さが特徴。
社名は「乗り物」を意味しており、馬車の代名詞であったハンガリーの
コーチ(Kocs)という都市名からきている。高級品を出す一方で
アウトレット店などの経営によって中低所得層にも
商品を販売しており、「全ての層を相手に商売できる」という
評価がある。日本にはバブル期の1988年に初出店、
2001年住友商事と合併で日本法人「コーチ・ジャパン」を設立した。
コーチよりちょっと数寄屋橋側にある「GAP」。アメリカ最大の
衣料品の小売店の1つで2011年(平成23年)新たな
旗艦店としてGAPはフラッグシップ銀座店を開業した。
1969年にユダヤ系アメリカ人のドナルド・フィッシャーと
ドリス・フィシャー夫婦によって始められたGAPはヒッピー運動と
関連して注目されるようになってきた。1986年GAPが提唱した
概念「自ら製品を企画し自社製品として委託生産させ、自らの
チェーン店で販売する製造小売業という形態」で
子供と大人の間、ティーン世代をターゲットにした洋服を手掛けることで
急成長した。GAPの名前の由来はドンとドリスが友人たちと
ジェネレーションギャップについて討論したときに思いついた名前だと言う。
GAPの企業ロゴは1988年から使用。
サンフランシスコに本社があり、日本、カナダ、ヨーロッパに
支社があり、他にオールド・ネイビーとバナナ・リパブリックという
小売ブランドも傘下に持っており、世界中で3100店(2008年)を持っている。
ソニースクエアの先にあるガラスブロックの塊の建物が
2001年6月にオープンした日本での旗艦店「メゾンエルメス」。
(20172-14付参照)。外壁に4500mm角のガラスブロック13,000枚を
めぐらした11階建てのビルでレンジ・ビアノが設計した。
この中にはブティックのほか、製品の修理工房、ギャラリー、
パリ以外で初となるエルメス社常設ミュージアムそして
エルメスジャポンの本社が入っている。フランスのエルメス社は
馬具工房として創業したが、自動車の発展による馬車の衰退を予見し、
鞄や財布などの皮革製品に事業の軸足を移して成功した。
現在でも馬具工房に由来するデュックとタイガーが
ロゴに画かれている。デュックは四輪馬車でタイガーは
従者のこと。主人が画かれていないのは「エルメルは最高の
品質の馬車を用意しますが、それを御すのはお客様
ご自身です」という意味が込められているため。
エルメス社の母体を作ったティエリー・エルメス(1801年-1878年)が
1837年にパリに聞いた馬具工房でナポレオン3世や
ロシア皇帝などを顧客として発展した。
COACHの並びにある「グッチ銀座店」。イタリア・フィレンツェで
生まれた。グッチオ・グッチ(1881年~1953年)が
1921年に創業したイタリアのファッションブランド。バッグ、靴
サイフなどのをはじめ、服、宝飾品、時計、香水などを
幅広く手掛けている。ケリンググループ(旧グッチグループ)の
中核をなすブランドで同系列にサン・ローラン、プーマなどの
ブランドがある。ブランドの元祖と呼ばれ、世界が初めて
品質保証のためにデザイナーの名前を商品に入れたことでも知られている。
1990年代に創業者のお家騒動(パトリツィアによるたくらみと
グッチ一族の崩壊、暗殺事件)と外資の買収に翻弄された
経緯が関係し、フランスの流通大手企業であるPPK
(社名変更してケリンググループ)の所有会社となった。
クリスチャン・ディオールの右隣、間口の狭い「ロンシャン。」
1948年、ジャン・キャスグランが設立したロンシャンは1957年に
メーヌ・エ・ロクール地方のセグレに工場を設立した後、
地方に散在していた職人たちを当所に集め、本格的に
活動を開始した。ラムスキンの旅行鞄やナイロンと革が
コンビになったラゲージラインなどがロンシャンスタイルとして
広く知られている。ナイロンの折りたたみバックxtra-bagを発表し
これが評判になるとコピー商品が出回るほどにその名を知らしめた。
そして1975年、新たにソフトで優しい雰囲気のスタイルが
誕生した。これがヴォーネフローネという今でも愛され
続けるロンシャンの代表的定番ラインだ。
晴海通りから四丁目交差点を右折、銀座中央通り5丁目にある
「プラダ(PRADA)」。プラダはミラノに本社を置き、
イタリアを代表する高級ファッションブランドを展開する
アパレル企業。プラダ(レディー、メンズ)のなか
ミュウミュウ(レディース)を展開している。いずれも
デザイナーは創業家3代目のミウッチャ・プラダだ。
1913年創業者のマリオ・プラダとフラテッソ・プラダ兄弟が
ミラノの中心にあるガレリア・ヴィットリオ・エマヌエールⅡ世に
プラダ第1号店として皮革製品店Frafelli Pradaを
開業する。世界から珍しい素材や質の高い皮を集めて
製品を作っていた。それが評判となりイタリア王室のご用達となった。