スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

武内英樹映画監督 PART Ⅱ

2022-08-09 06:05:18 | レポ
  • 大ヒット作品・映画「翔んで埼玉」の監督を務めた武内英樹監督のお話は

以前あるパーティでのインタビューを通じてブログにアップ

させていただきましたが(2019-6-8付ブログを参照してください)、

今回、本格的な講演を聞く機会があったので再びご紹介いたします。

武内秀樹氏は1966年(昭和41年)生まれ。

千葉県千葉市出身で早稲田大学卒。

90年フジテレビジョン入社。

制作部で96年にドラマ初演出。

その後「神様もう少しだけ」(1998)、「電車男」(2005)、

「のだめカンタービレ」(2006)、「デート ~恋とはどんなものかしら~」(2015)など

数多くのテレビドラマを手がけドラマアカデミー賞での監督賞などを複数回にわたり受賞。

世界のドラマの祭典「ソウルドラマアワード2007」でも

「のだめカンタービレ」が日本人初の最優秀監督賞を受賞。

映画製作では「テルマエ・ロマエ」(2012)、「テルマエ・ロマエⅡ」(2014)、

「翔んで埼玉」(2019)がイタリアの映画祭でマイ・ムービーズ賞を受賞。

「翔んで埼玉」では日本アカデミー賞・最優秀監督賞を受賞。

今春、フジテレビを退社。

この日の演題は「翔んで埼玉ができるまで」と称して

同作品にまつわる制作秘話を中心に大いに語ってくれた。

3年前、同映画は日本にとどまらず世界でも注目を集めました。

どこに居を構えたにせよ存在する地域をめぐる

優劣感情や差別・区別意識そのものの滑稽さを露わにし、

自虐的観念までも打ち破るような痛快なストーリー展開で

多くの人々に勇気や感動を与えたほか、キャスティングも話題を呼びました。

それでは、どのような経緯でこの映画ができたのか、お話してみましょう。

バラエティ全盛時代、フジテレビに入社。

バラエティを志望していたのは私だけ、1/3は営業、1/3は報道という時代でした。

コメディというジャンルは難しい。

笑わせようとしてスベるとダメージが大きい。

その流れの中、2010年に古代ローマのお風呂をやらないか、との話があり、

これが「テルマエ・ロマエ」となった。

「翔んで埼玉」作品の原点との出会いが青山ブックセンターであった。

「翔んで埼玉」この漫画すごい。

コンプライアンスの時代にこんなこと許されない。

出身の千葉ではディスられる。

埼玉がうらやましい。

この企画をフジテレビに冗談半分で出したら通ってしまった。

それから埼玉の取材をすごくした。

草加の友人、埼玉新聞社の紹介、

昔付き合った北浦和の女性、与野在住の女性デスク、

行田出身の沖縄・宮古島のゲストハウス好き等々の人から色々話を聞いた。

その結果、埼玉の良いところはあまり出てこないが、でも住みやすい。

意外に郷土愛がある。

印象的なのは駅を離れると道は真っすぐで真っ平、そして空が広く、ほとんど同じ景色。

海への憧れが強く、何でも揃い、東京に行く必要がない。

以上、埼玉県を取材した結果、どれだけディスっても埼玉は大丈夫。

ということで石橋を叩くように作っていった。

さらに、どうやったら怒らないか考え、ファンタジー・おとぎ話風にした。

宝塚みたいにすればリアリティがなくなる。

そのためにGACKTみたいな浮世離れした俳優が必要だった。

ところがクランクイン20日前に大変なことが起きました。

配給会社の東〇の会長が「この作品には配給できない」と言ってきて

途方に暮れてしまった。

埼玉企業の東武、西武、しまむら、安楽亭などの会社にもほとんど断られてしまった。

また、埼玉県もコバトンは神聖なものだから出せないといわれた。

千葉のチーバくん、深谷のふっかちゃんはOKだったのに。

幸い配給会社はヤクザ映画を手掛けている東映が

危険な映画になっていないという理由で受けてくれた。

いよいよ公開。

埼玉県内はものすごくお客が入った。

東京も入った。

ダメだったのは関西と神奈川。

結局、興行収入は37億6,000万円。

そのうち埼玉が10億円と局地的豪雨のような記録になった。

MOVIXさいたまは始まって以来の売上となった。

また、各地域でどんな反応するか心配で各映画館へ随分行った。

熊谷、深谷は郷土愛が強いのがわかった。

春日部は牧歌的に大ウケ。

ただ、浦和は私たちは関係ないといった冷ややかさ、プライドの高い街だ。

そんな中、一番盛り上がったのは池袋。

笑い放し、拍手喝采、都民のフリをした埼玉県人だ。

公開中、海外でも大反響。

ニューヨーク、ニュージャージー、バルセロナ、ベネチア、

上海では1,500名収容の劇場が4回満席。

中国人がゲラゲラ笑った。

成都もウケた。

埼玉県の上田前知事、大野知事も公認。

嬉しかったのは知事選のポスターに「翔んで埼玉」を

貸してほしいと依頼があったこと。

そして日本アカデミー賞にノミネート。

これは取ってはいけない作品で、最優秀監督賞をいただいた。

おかげさまで人脈が増え、先日、宮崎県の音楽祭へ親と旅行した時、

知事から「翔んで宮崎」の話もいただいた。

また、先日亡くなった安倍晋三ご夫婦に河口湖でお会いし、

DVDを見てこれはおもしろい、ゴルフ、バーベキューを共にしながら、

「仁義なき戦い」が好きで、映画監督になるのが夢だったと聞いた。

そんなことがあって奈良に献花しに行ってきた。

ぜひ安倍元総理の映画を作りたいと思っている。

映画をやって良かったことの一番は拍手などの映画を見ての反応を感じること。

現在コンプライアンスがキツ過ぎる。

今、表現の自由を奪い過ぎではないか。

「翔んで埼玉」はそのアンチテーゼ。

今年3月末、32年間勤務したフジテレビを早期退職した。

現在20作品ほど制作依頼が来ていて、フリーになって選べるのが嬉しい。

また、「翔んで埼玉Ⅱ」はGACKTが元気になったら再開するかもしれない。

ぜひ見終わった時は笑ってほしい。

笑いは街を住みやすくする。