JR日暮里駅から徒歩6分のところにある谷中墓地(旧称)は
東京都台東区谷中7丁目にある都立の霊園です。
面積は約10ha、およそ7,000基のお墓があります。
開園は明治7年(1874年)9月1日。
谷中墓地と称される区域には天王寺墓地と寛永寺墓地も含まれている。
墓地の通りには大木に育った桜並木から成り、桜の季節には花見客で賑わう。
特に中央園路は通称「さくら通り」とも呼ばれ、
園路を覆う桜の枝に花が咲くとまるで桜のトンネルのようになるという。
谷中墓地にはこのような古色蒼然とした墓が点在して多く見られる。
ここには徳川家御三卿、即ち田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家の墓地がある。
この2つの墓石にも徳川の家紋・三ツ葉葵があり、
徳川家の墓と思われるが、誰のだかわからない。
こちらは前述の御三卿の一つ、一橋徳川家の墓群。
一橋家は江戸幕府8代将軍・吉宗の四男宗尹を家祖とし、
徳川将軍家に後嗣がないときは御三家の他の2家とともに後嗣を出す資格を有した。
家名の由来となった屋敷、一橋邸は江戸城一橋門内、
現在の千代田区大手町1丁目4番地付近にあった。
一橋家は独立した別個の家ではなく、将軍家(徳川宗家)の家族として認識されていた。
この鳥居があるお墓は明治大学創立者・岸本辰雄法学博士の墓だ。
氏は鳥取藩の出身で明治9年に選ばれてパリ大学に留学。
帰国後、明治14年に宮城浩蔵、矢代操とともに明治大学の前身・明治法律学校を創立した。
俳優、声優、歌手、コメディアン、元NHKアナウンサーの森繫久彌氏のお墓。
氏は大正2年5月4日生まれで早稲田大学卒。
ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」、映画「社長シリーズ」などで活躍。
平成21年11月10日、96歳で没。
国民栄誉賞、文化勲章を受章した。
日本画家・杉山寧のお墓。
文化功労者、文化勲章を受章。
作家・三島由紀夫の岳父。
徳川慶喜墓所前の通り。
谷中墓地には前述したさくら通りという大きな通り以外に、
ぎんなん通り、ひょうたん横丁など、かわいらしい通り名が付けられている。
谷中基地にはブロック毎に番地があるので、比較的わかりやすい。
ここの霊園事務所では「谷中霊園案内図」が無料でいただけるらしい。
地図と著名人墓碑の一覧が載っているので便利だとか。
この霊園事務所前にも古い墓石が並んだ一群があり、
とても気になって事務所の方に尋ねたところ、
幕末の老中・備後福山藩主・阿部正弘と歴代の藩主(初代から10代まで)の墓所だとか。
谷中墓地の鉄道近くの御隠殿坂付近。
今回、渋沢栄一と徳川慶喜の足跡を訪ねて王子飛鳥山からここ谷中墓地に来て、
改めてその時代に思いを馳せることができたが、
墓マイラーとして谷中墓地に眠っている
300名ともいわれている著名人のお墓も巡ろうと思った。
しかし、かなりの疲労でそれは次回へとした。
ここで参考に谷中墓地に眠っている著名な方々を記してみます。
鳩山一郎一族、三木武吉、横山大観、佐々木信綱、横綱・柏戸剛、
宮城道雄、穂積重樹、重遠(渋沢栄一関係)、長谷川一夫、川上音二郎、鏑木清方、
そして伊達宗城(宇和島藩主)ほか、多くの各藩主。
御隠殿坂をさらに下っていくとJR京浜東北線、高崎線、宇都宮線、山手線の線路に出る。
その一帯はなぜかクリスチャンのお墓が多い。
この辺りは電車からよく見えるところだ。
遠くに見えるのが東京スカイツリー。
蛇足だが、谷中墓地の入口の所に時代の先端を行っている自動販売機を発見。
なんと新型コロナウイルスPCR検査キットだ。
新価格で4,800円だ。
売り主はレイクタウンたけのこ耳鼻咽喉科と書かれている。
なぜこんな所にこんなものが?
谷中墓地から帰路・日暮里駅へ向かう途中、都内の大動脈の鉄道を渡る歩道橋に、
ご覧のように多くの鉄道マニアのカメラマンがカメラを構えていた。
たぶんこの日、この時間に彼らにとって貴重な電車が通るのを待ち構えているのだろう。