松尾芭蕉
前編 いかに生きるか 2014.02.19
松尾芭蕉が記した「おくのほそ道」。俳句が随所に散りばめられた旅のドキュメントというイメージがあるかと思いますが、実はそうではありません。
伊賀に生まれた芭蕉は、武士の家に奉公人として仕えていた時に俳諧連歌に出会い、俳諧師になりました。
俳諧とはもともと“滑稽”を意味し、上の句と下の句を複数の人が読みあうもので、遊びの要素が強く、芸術といえるほどではありませんでした。
芭蕉は、この俳諧を和歌に匹敵する文学へと磨き上げようとしました。
そして“蕉風”と呼ばれる独自の境地を開きます。
これが後の俳句へとつながっていくのです。
46歳の時、芭蕉はある大きな決意をします。
古くから和歌に読み込まれてきた景勝地「歌枕」の宝庫であるみちのくを訪ね、理想の句を生み出そうとしたのです。
その旅が「おくのほそ道」でした。
Cora Vaucaire - La Complainte de la Butte
松尾芭蕉の「奥の細道」の最後の句
『旅に病で夢は枯野をかけ廻る』
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