Adele - Hello / Lacrimosa (Mozart) – The Piano Guys
功名心を漢詩「述懐」から見る
漢詩では、唐の時代の太宗の時の、魏徴 「述懐」(*参考参照)が有名だ。
太宗の期待に応え、忠誠心を詠っている。ある意味。
ゴマすりの詩と言えないこともない。
ゴマすりが悪いとは言わないが。書き下し文(訓読文)は、参考を読んでもらうとして、
若干の流風の解釈を加えた概略の意味は次のように示しておこう。
「天下は乱れ、群雄割拠している。彼らは、天下の座を狙っている。
私、魏徴も筆を捨て、戦争に身を投げる。
蘇秦や張儀の如く、弁舌で天下を取ることを献策したが、それは成すことができなかった。
しかし、この強い情熱は変わらない。」
まあ、机上での理論と実際は大きく異なることが多い。
石田光成のような茶坊主では、現場の信頼を得ることは難しい。
机上の理論を確立して、現場に出れば、それに越したことはない。
問題は、机上と同様、現場で冷静な心を持ち続けられるかどうかであろう。
「そうだからこそ、杖をついてでも、天子にお目通りし、臣下になり、馬を駆って函谷関の門を出て行く。
頂いた冠のひもで南粤(なんえつ)王を縛って、
かつての酈食其(れいいき、漢の人)のように武力を使わず、策謀で東方の国々を攻め落とした人々のような功績をあげよう。」
要するに、武力と知略で功績を挙げると言っている。
また酈食其の手法は、いわゆる調略で、秀吉が得意としたものと似ている。
武力で無理やり征服しても、征服者と被征服者の関係は微妙で、その後の統治を誤まれば、元の木阿弥だ。
ただ調略で、味方につけても、一時的で脆いという見方もある。
「曲がりくねった道を、高い峰を登っていき、緩やかな平野を見渡すと、古木には、冬の鳥が鳴き、人気のない山の夜には、猿が啼いている。
私も人の子、はるかかなたを見やるのも、心は痛み、故郷への思いも強い。
しかしながら、この難儀をどうして厭えるだろうか。国士として遇していただいた恩を思い、いかに報いるか。」
やっと、漢詩的な情感のこもった表現になっている。望郷の念を強くしつつも、それを乗り越え、王のために戦うと決意表明。浪花節的?と言えないこともない。
「季布は、一度言ったことは決して違えなかったし、候嬴も、一言の約束を重んじた。
人間、人生、意気に感じたら、男と男の約束を守るためなら、成功して得られた功名など、どうでもいいことだ。」
先人の有名な事例を挙げながら、太宗との約束は違えないと、さらに表明。
しつこいなあ。やはり裏には、太宗に本当に信用されているか心配なのだろう。
この詩を通読すると、太宗への忠誠心を表明すると共に、功名心を隠している詩と言えよう。
これには複雑な背景がある。というのは、彼は、かつて皇統を争った太宗の兄の方に仕えていた。
太宗は、そういうわだかまりを捨て、彼を重用してくれた。それが故に、改めて忠誠心の表明している。
魏徴の立場は複雑だっただろう。人間の心理は、微妙に詩にも表れる。
こういったことはサラリーマン社会でも同様のことがあるだろう。
ライバル会社から転職したり、敵対派閥が主導権を握った場合の処世術としては、当然求められよう。
そして、この詩が、『唐詩選』の第一番に挙げられていることに注目したい。
編者は、どういう気持ちで、この詩を選んだのだろうか。
*参考 『唐詩選』魏徴 「述懐」
中原 還た鹿を逐い 筆を投じて戎軒を事とす
縦横の計は就らざれども 慷慨の志は猶お存せり
策に仗(よ)りて天子に謁し 馬を駆りて関門を出ず
纓(えい)を請うて南粤(なんえつ)を繋ぎ 軾に憑(よ)りて東藩を下さん
鬱紆(うつう) 高岫(こうしゅう)に陟(のぼ)り 出没 平原を望む
古木に寒鳥鳴き 空山に夜猿啼く
既に千里の目を傷ましめ 還た九逝の魂を驚かす
豈艱険を憚らざらんや 深く国士の恩を懐う
季布に二諾無く 候嬴(こうえい)は一言を重んず
人生 意気に感ず 功名 誰か復た論ぜんや
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます