びわ湖・勝手気ままな日々!

温故知新!大切ですね、次代に生きる方々の知恵と活力となります。令和時代を健康で楽しみましょう。

昨年、今日は台湾台北で二・二八事件を振り返る記念式典を見させて頂きました。(少し離れた場所から)

2017年02月28日 | 台湾の旅

昭和二十年の敗戦で、台湾はGHQの命令を受けた中華民国軍
の進駐を受けた。そして中華民国は一方的に台湾の領土編入を
宣言。これで日本の統治は終焉した。

これは明らかに武力に基づく領土拡張。つまり立派な不法行為
である。台湾は東トルキスタン、チベットに先立ち、中国人の
侵略を受けたのだ。

戦後、真っ先に中国の侵略を受けたのが台湾だった。台湾領有
宣言を行った中国軍、かくして始まったのが、近代的な台湾人
に対する前近代的な中国人の過酷極まりない支配だった。

法治社会は一夜にして人治社会へと変わり、汚職、略奪、暴力
に満ちた。かくして近代的な社会、経済、産業、金融システム
は崩壊した。治安と衛生環境が悪化し、さらには食糧不足に陥
り、この豊かで先進的な島は暗黒世界と化したのだった。

中国人は日本人化(近代国民化)した「漢民族」を日本人以上
に憎み、蔑んだ。そのため台湾人は日本統治時代以上に不条理
な差別を受けた。

そうした中の昭和二十二年、圧迫に耐えかねた台湾人が怒りを
爆発させた。

契機は二月二十七日、貧しい煙草売りの女性が中国人役人に殴
打されたことにある。群集が役人に襲い掛かり、一人が銃撃を
受けた。翌二月二十八日、群集が抗議のために官庁に殺到。
憲兵隊の機銃掃射を受け、数十人が死亡した。

かくして二・二八事件が勃発した。市民はデモやストライキを
開始した。この抗議行動は翌三月一日、全島各地に波及し、
中国人官民への襲撃や、軍との交戦が頻発した。

台湾人側の攻撃の主流を担ったのが元日本兵や軍事教練を受け
た学生たちだった。その強さに中国人は「皇軍が復活した」と
恐れおののいた。その一方で各界のリーダー、エリートたちが
事件の「処理委員会」を結成し、平和的な事態の収拾と台湾人
自治などの改革要求を行った。

中国人側は本国に鎮圧部隊の派遣を要請。その到着までの時間
稼ぎとして、処理委員会要求の受諾を装った。

そして三月八日、米軍式装備を施された精鋭部隊が台湾へ上陸。
島内各地で無差別虐殺を開始した。千人以上の群集への機銃掃
射、残虐な手段による逮捕者の集団処刑等々、中国の殺戮文明
を目の当たりにした台湾人は度肝を抜かれ、戦意を喪失した。
その後も反抗に関与の疑いがある者を根こそぎ逮捕し、処刑を
続けた。ことにエリートは主要ターゲットとなり、多くが殺戮
された。

【歩きメモ】
3253歩・2.55km・32m・25.5g・1505kcal

日記風川柳
「アイデアを 次々生み出す 柔軟さ」
「逃げられず 甘んじて受け これも行」
「明るさが 熟慮には 足かせと」
「次場面 気持ち切り替え 没頭す」
忙しい人は仕事が出来るし、楽しめる。


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