人は見かけによらないと言ったり、
第一印象で全てが決まると言ったり
まあ言いたいようにいろいろ言われるものですが、
本も同じようで。
本を手に取るか否かは第一印象で決めるけど、
良いのはタイトルだけで、
溜息まじりに飛ばし読みしても
時間の無駄感が拭えない本があったり、
逆に、ぱっと見、いまいちなのに、
読んでみたら面白かったり。
なので、このところ、
あまり第一印象を信じ過ぎず
本を手に取るよう心がけています。
当然ハズレもありますが、当たりもある。
今回の当たりは、これ。
『成功する子 失敗する子
何が「その後の人生」を決めるのか』
プレジデント ファミリー購買層がターゲットです!
と言わんばかりのタイトルと装丁だけど、
実は、著者は子どもの貧困と教育政策を専門とするジャーナリスト。
その辺りの問題に焦点が当てられています。
(この時点でプレジデント系ではないことが分かる)
でも、よく聞く
子どもの貧困
→ 貧困家庭の学力レベルは低い
→ 貧困の連鎖につながる
→ 連鎖を断ち切るための学習支援を
という論を展開している訳ではありません。
そういう学力レベルに焦点を当てた貧困対策
(その背後には知能至上主義の考え方がある)
の成果を長期的に追跡した結果、
それでは成果があがらないことが分かった。
そして現在では、社会的に成功するための要は
知的レベルではなく
「非認知スキル」(好奇心、自制心、社会性といったもの)ではないか
という新たな仮説がたてられるようになった。
それを追った本です。
序章から私にとっては衝撃的でした。
GED(高校修了同等資格)は、
高校中退者に大学への道を開き、
教育機会を提供するツールとみなされてきた。
これは、ドロップアウトした子どもたちだけでなく、
高校に我慢のならない頭の良い子にとっても
魅力的なツールだった。
GEDに合格すれば、卒業まで我慢して学校に通って
時間を無駄にする必要はない。
時間を無駄にする必要はない。
現在はアメリカの高校卒業生の7人に1人(多い!)は
GED合格者だという。
学力テストの点数は、GED合格者も
普通に高校を卒業した者も同じ。
しかし、22歳の時点で大学に在学中か
高等教育を終えている若者は、
GED取得者では3%(少ないっ!)、
高校卒業生では46%(!)。
さらに、その後の人生において重要な数字
(年収、失業率、離婚率、ドラッグ使用率など)についてみると、
GED取得者は、高校中退者と似た数値であった。
知能は、高校中退者よりかなり高いにもかかわらず。
この調査をしたヘックマンは
「GED合格者は、
先のことを考える能力や、作業にあたる際の粘り、
環境への適応能力を欠いた、ただの物知り。」
先のことを考える能力や、作業にあたる際の粘り、
環境への適応能力を欠いた、ただの物知り。」
と結論づけている。
(バッサリだな)
とにかく、学力向上は、生活向上に結びついていなかった。
ショッキングな事実です。
つまり、学校に行く意味、最後まで学校生活を続ける意味は、
学力以外のところにあるということです。
学力以外のところにあるということです。
知的に学校レベル以上の子であろうと、以下の子であろうと、
学校に行く意味はあるというのです。
楽しいこともあるけど
無意味なことも理不尽なことも山ほどある
ごちゃごちゃとした学校生活を最後までやり遂げることで
人生において不可欠な能力が育まれる、と。
その心理上の特質は、
知能(認知可能な分野)に対し「非認知スキル」と呼ばれるものです。
(人格の特徴、性格、ともいう)
知能至上主義の背後にある単純な計算
(公文に代表されるような、
「大事なのは早く始めてたくさん練習すること」という考え方)
(公文、知能至上主義の代表としてこの本に登場します。
アメリカにも進出してるんだね・・・)は、
ある特定の能力を機械的に向上させるには
役立つかもしれないが、
それで人生は乗り切れないのだ。
・・・そこから非認知スキルを掘り下げる話が始まります。
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これを読んで、
自分は知能至上主義ではないと思っていたけれど、
学校教育に期待を持たないあまり
「別に学校行かなくたって勉強はできるよ?」
と言っちゃうのは、
知能至上主義的だったな
ということに気付かされました。
大学さえ入れれば問題ない、みたいな。
まあ、私は、だから学校は行かなくてもいいよ、
というより、
だから学校では勉強以外のことに打ち込めば?
という方向ではあったけれど・・・。
いやたぶん、日米の大学(高校)の在り方が
違うってのもあるだろうな。
日本の場合、大学は緩く、
逆に高校は無駄に管理がキツかったりするから。
(一部しか知らないけど)
ついでに疑問を一つ。
この本の中に、アメリカの大学には
入学時の学力スコアが足りない人向けの
サポートシステムがある、
とも書いてありました。
・・・え?どういうこと?
スコアが足りない人を入学させるの?!
何のための入学試験??
と混乱したところで、偶然
アメリカの大学は、ヨーロッパの大学とは
そもそも考え方が違う。
アメリカの大学は、
現在の学力以上に「将来伸びる可能性」を重視する、
ということらしいです。
だから、多少スコアが足りなくても
「この子はきっと伸びる」と思われる子を入学させて、
入学後に足りない部分をサポートするってことなのかな。
なるほどーーーー。
だいぶ違うのね。
(つづく)