olatissimo

この島で生まれた息子はなんと中学生。ほぼ育児日記です。

『現地嫌いなフィールド言語学者、かく語りき。』①著者について

2020-09-25 | 読書メモ
長い休みを経て図書館が動き出してから、
予約していた本やら
新たに物色した本やらが続々と集合し、
うちの「図書館の本」コーナーは満席状態。

それぞれ2週間以内に読み切らなくては…

ああもうどうしよう。忙しい!(喜)
 
この本を予約したのは去年だったか
今年の初めだったか…?
いずれにせよ長く待ったもんだ。

しかし、待った甲斐はあった。
面白かった!!
言語学のことなど何一つ知らなくても
一つ一つのエピソードがどれも面白くて。

なんといっても、著者自身が面白い。

著者は、国立民族学博物館准教授、
消滅しかけている少数言語を
現地に赴いて調査する
フィールド言語学者です。

ところが、帯には
「文字のない小さな言語を追って、
パキスタン・インドの山奥へ--。
はやく日本に帰りたい。
と大書きしてある。

本文に入っても、同じ調子で
つらつらといかに自分が現地嫌いかということを
書き連ねています。

文化の違いは身に堪える。
自分は、居心地の悪さに対する容認度が低く、
フィールド調査には向いていない。
それでも調査には行く。仕事だから。
出発前から早く家に帰りたいと思っている。

だとか、

冒険なんてしたくない。
異文化に触れるより、日本国内で安心して旅行したい。
海外へ遊びに行ったこともない。(調査旅行は行くけど)

だとか。


一体なぜフィールド言語学者に?


謎は深まるばかりなのです。


最初は、
「言語学者」の(勝手な)イメージから、
この人は異文化や冒険が好きな訳では
ないみたいだけれど、
きっと、言語的な能力に
ひときわ長けているんだろうな。
耳がよくて、記憶力がよくて…
だから、
英語だの中国語だのメジャーな言語では
飽き足らず、
行き着いた先がマイナー言語なのかな
・・・などと勝手に想像していたのですが、
ところが、この予想も
ことごとく覆されてゆきます。


曰く、

「もともと口下手でお喋りが苦手で、
言語運用能力を伸ばすのが人一倍不得手」

「英語は苦手で、中学生の頃から
「一生日本から出ないから英語は勉強しない」
と宣言した」

「高3の英語ライティングのテストでは
100点満点で7点の最低点を叩き出した」

と。

なんでそれで東京外大に?!と叫びたくなる。
(専攻はウルドゥー語)


しかも、

あまり耳がよくなく、音韻論が苦手」

と言い、

「どうしてRが三つもあるウルドゥー語を
大学で専攻してしまったのだろうか。
どうして日本語なんていう、
音素目録の小さな言語
母語として育ってしまったのか。」

と愚痴ったりもする。


まったく…(笑)


そんな感じで
ますます疑問がパンパンに膨らんだところに、

幼少時から文字が好きだった

という一文を見つけ、ホッ。

ああ、ようやく「言語学者」らしい
趣向が見えた…!
と喜んだのもつかの間、

それなのに、今やっている言語の
ほとんどが無文字言語なんだから救いがない

と落とされる。


ほんとにもう!


という調子で最後までいくのだけれど、
最後の最後に
ようやく納得できる説明がなされています。
(ひっぱるねぇ~)


そもそも僕は、
積極的に研究者になりたかった訳ではない。
ただ、身に余る知識欲があったせいで、
世の中から自分の知らない事柄を
一つでも減らしたい
などという野望を(月一で、発作のように)抱いていた。

たまたま、適宜絶妙なタイミングで発作が起こって、
あとは惰性のままに
あれよあれよと気付けば
ニッチな分野の研究者になっていただけである。

知識の海を泳ぎ回るのは楽しい。
僕の場合は書籍サーフィンだったわけだが、
無尽蔵にある情報から、
琴線に触れる情報を集めて回る楽しさ
よく分かる心積りである。
そうやって無秩序に
あれこれ見知った知識や情報が、
あるとき、閃きのように繋がることがあって、
そういった勿怪の短絡に出会うのが楽しみの一つだ。



・・・ああ、これなら、良く分かる!
うちに、そういう子どもが一人いるから。


ようやく着地することができたのでした。


ということで、
著者についてはこれくらいにして
(この本の最大のネタは著者自身なのですが)、
次は言語学について。


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