誕生日プレゼントとして息子にあげた
「若い読者のための世界史」を
二人で読んでいます。
その中にこんな記述がありました。
ローマ人にとって最大の楽しみ、それは祭典である。
もちろんそれは、高貴な市民が自身でスポーツや詩歌の技を
神々のほまれにかけて競うギリシア人の祭典とは違っていた。
厳粛で生真面目なローマ人にとっては、
他人の前で詩を朗読したり、
重々しくひだを重ねた立派な衣(トーガ)を脱ぎ
槍を投げてみせるなど
とんでもないことに思えたに違いない。
それは奴隷のすることであった。
事実、奴隷達は劇場の何千何万人の目の前で
格闘したり、剣を交えたり、猛獣と戦ったり、
戦場を再現したりしなければならなかった。
これこそがローマ人をもっとも興奮させた見世物で、
人々は訓練を積んだ剣闘士を戦わせるだけでなく、
死刑を宣告された人間を
ライオン、熊、トラ、象の前に
投げ出したりしたのであった。
これを読んだ息子、
「ぼく、ギリシア人が好き!」
と叫ぶ。
「音楽を聴くのも好きだけど、演奏する人にもなりたい。
スポーツを見るのも好きだけど、自分もやりたい。
だから僕はギリシア人が好き!」
「ローマ人なんて!
しかも美しくもなんともない、
残酷なものを喜ぶなんて、ひどい!!」
ま、ね。
これを読んだら、そう思うよねー。
「僕も観るのは好きだよ。
でも、ちゃんと尊敬するし!
奴隷のやることなんかじゃないっ」
これ実は、以前のこんな会話が土台になっていて。
***
オリンピックのフィギュアについて、
TVの街角インタビューで、おばちゃん達が
「羽生はすごいけどね。次が育ってるしね。
もうそろそろダメだよ。抜かれるんじゃない?」
みたいなことを偉そうに喋っていたんですよね。
それを見た息子、画面に向かって怒る。
「はあ?
なんでこんなおばちゃんが
偉そうに見下すように言ってるわけ?
お前が言うなっ!!」
あー、わかる。
お母さんもよく思うんだよねー。
ほら、よく野球やサッカーの試合見て
「くだらん凡ミスするなよ!あいつはダメだな」とか
大御所気分で偉そうに文句たれてるおじさん、いるじゃない?
あれが嫌いでねー。
どんな選手でも、あんたよりはすごいでしょ。
何を言うにしても、
ちゃんと選手に敬意を払いなさいよ。
できないくせに
偉そうに御託だけ並べるなんて、
恥ずかしい。
そんなら自分でやってみろってんだ、
って話だよねー。
ほんと「お前が言うな!」だよね。
「そうだよね…
甲子園に出たり、プロになる人って、
そこまで行くのに何年もすごい努力してるんだよね。
尊敬しなくちゃね…」
「でも、クラスでもみんな悪口言ってるよ。
野球選手とか、お笑いの人とか、首相とか大統領とかのこと。」
…大人の真似してるんだろうね。
大人が「くそ○○」とか「ばーか」みたいな
小学生レベルの悪口を言ってるってことだよね。
残念だ…
たしかに
相手がスポーツ選手や芸能人や政治家なら
テキトーに悪口言ってもいい
って考える人もいるけど、それ、危険だと思う。
その同じ態度で、見下す対象が
国や人種やクラスメイトになったりしたら?
差別やイジメだよね。
自分が言われる立場だったら
どう感じるかな?って
常に考えられる人になってほしいな。
褒め言葉は盛大に、けなす言葉は慎重に。
「わかる!
だから僕は偉そうに言わないよ。
僕もお父さんの真似して、プロ野球の選手のこと
偉そうに言ってしまったことあるんだけどさー。
もう言わない。
尊敬する気持ちを忘れないよ。」
・・・( ̄∇ ̄)
***
そんな話をしたことを2人で思い出しつつ、
そこからTVの話になった。
ローマの見世物とTVって、似てるんじゃない?
ローマの観衆もTVの視聴者も、
目の前に現れる催し物や映像が
興奮させてくれるのを受け身で待っているだけ。
でね、大衆を飽きさせず興奮させるために
見世物の内容がエスカレートしてくるの。
もちろん、良いTV番組もあるんだけどさ。
ギリシア的な舞台や競技や議論の場に通じる番組と
ローマ的な見世物に通じる番組と
両方あるってことかな。
見分けて、自分で選ばないとね。
「ダーウィンと、お正月のとんねるずの違いみたいな?
ぼく、どっちも好き・・・」
そういえばね。
うち、TVどころか、
小学校に入るまではCDも聴かなかったんだよ。
シュタイナー幼稚園だったから
幼稚園でもCD流さなかったしね。
「え?じゃあぼく、小さい頃は音楽を知らなかったの?」
ううん。
音楽、好きだったよ。
ただし、音楽はCDで聴くものではなくて、
自分か、身近な大人が歌うものだった。
「そっか!分かった!
だから僕はギリシア人のように
自分で創り出す人になれたんだね!」
自分で創り出す人になれたんだね!」
気分だけはギリシャ人のようで。
***
それにしても、この説明の仕方では、
ちょっとローマ人が気の毒。
何か名誉挽回になる記述はないかな?
と思っていたら、
次にこんなことが書いてあった。
(アウグストゥスは)剣闘士の見世物を
一度ものぞいたことがなかった。
生活は全く質素で、
美しい彫像や美しい詩歌に対する感性をもっていた。
そしてローマ人は、かつてのギリシア人のように
すばらしい彫刻や詩歌をつくることができなかったから、
ギリシア人の美しい美術作品の複製を作らせ、
それらで彼の宮殿や庭園を飾った。
・・・当時すでにギリシア的なるものは
「最も美しいもの」とされた。
それゆえローマでは、ギリシア語を話すこと、
古いギリシアの詩をよむこと、
ギリシアの美術作品を集めることが、
もっとも気高い趣味とされたのである。
一度ものぞいたことがなかった。
生活は全く質素で、
美しい彫像や美しい詩歌に対する感性をもっていた。
そしてローマ人は、かつてのギリシア人のように
すばらしい彫刻や詩歌をつくることができなかったから、
ギリシア人の美しい美術作品の複製を作らせ、
それらで彼の宮殿や庭園を飾った。
・・・当時すでにギリシア的なるものは
「最も美しいもの」とされた。
それゆえローマでは、ギリシア語を話すこと、
古いギリシアの詩をよむこと、
ギリシアの美術作品を集めることが、
もっとも気高い趣味とされたのである。
ほら、ローマにも良い趣味の人はいたんだよ!
美しいものを作り出すのは
やっぱりギリシア人の専売特許みたいだけど、
野蛮な催し物を嫌って
ギリシア的美を愛するローマ人もいたってことよ。
ここでまたすかさず息子は叫んだ。
「ぼく、アウグストゥス、好き!」
そうなるよねー(笑)
ま、歴史はそうやって親しむと面白いよね!
そんな彼に、別の本にあったこの文章を。
(アテネ人のペイシストラトスは)
四年に一度、女神アテナに捧げる「汎アテナ祭」を打ち上げたのである。
オリンピックと違って、競うのは歌唱力。
(ホメロスの叙事詩を竪琴の伴奏で)
ギリシア人は体技を競うのも好きだが、
歌や踊りを競い合うのも大好きなのだ。
イヴェント好きには、自分で愉しいことを考えるのが好きだが
他人が愉しむのを見るのも好き、という人が多い。
(ペイシストラトスはディオニッソスを演劇の神に格上げした。)
演劇の上演はディオニッソス神に捧げられ、
それを観た後ならば酒を飲んで騒ぐのも
ディオニッソスの認めた行為になる、というわけだ。
こうして半世紀後にはアイスキュロスを生むことになる。
四年に一度、女神アテナに捧げる「汎アテナ祭」を打ち上げたのである。
オリンピックと違って、競うのは歌唱力。
(ホメロスの叙事詩を竪琴の伴奏で)
ギリシア人は体技を競うのも好きだが、
歌や踊りを競い合うのも大好きなのだ。
イヴェント好きには、自分で愉しいことを考えるのが好きだが
他人が愉しむのを見るのも好き、という人が多い。
(ペイシストラトスはディオニッソスを演劇の神に格上げした。)
演劇の上演はディオニッソス神に捧げられ、
それを観た後ならば酒を飲んで騒ぐのも
ディオニッソスの認めた行為になる、というわけだ。
こうして半世紀後にはアイスキュロスを生むことになる。
(「ギリシア人の物語Ⅰ」より)
これを読んだら
ますますギリシア人贔屓になっちゃうね。