宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(14)

2021-03-21 08:12:46 | 祈り
      (前日から続く)
南無阿弥陀仏だろうと南無妙法蓮華経
だろうと何でもいいんです。
本当に祈って祈って祈って祈り抜いた時には、
真理の方がポンと向こうから自分の身体の
中へ入って、真理の光にとらえられて、
守護霊守護神がその人に適した世界へ
ポンと連れていってくれる訳ですよ。
だから任せてしまえばいいんだけれど、
なかなかその任せるっていうことが
できない。
自分の腕を見て、これは自分の腕だと
思うし、肉体見てこれ私だと思っちゃうから。
ところが、いつも申しますように、肉体
というのは上着ですね。
肉体はあなた方の本体ではない。
それをなかなか思えないから、これは消えて
ゆく姿なんですよ、すべて消えてゆく姿
なんですよと。
そして、世界平和の祈りをしましょうねと。
そして祈りのハシゴを掛けて、その大元の
世界へ戻して行くということを私はやって来た
訳ですけどね。
              (つづく)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(13)

2021-03-20 06:23:03 | 祈り
       (前日からの続き)
しかし、世界平和の祈りをして、五井先生を
呼んで、悪い世界へ行く筈絶対ないんです。
死んだらいい世界へ行けるとか、悪い世界へ
行くとかというのは、これは想いが決定する
と言ってますけれど、そんなチャチな世界
じゃない。
やはりこの世の中で、いつも申しました
ように、明るく素直に生きるということが
とっても大事です。
暗くなりかけたらその時に祈る。
あ、いけないと思ったら祈る。
祈ってスイッチを切り換える。
渋滞したら祈る。
これをもう習慣みたいに、御飯食べる
みたいに祈ればいいんです。
お茶飲むみたいに祈ればいいんです。
祈りというものは、祈っただけで
光が身体の中に総身(そうみ)に入って来る
ものなんです。
それが見えてる側からすれば、ものすごく
よく分かるんだけど、肉体まとっている
無神論、物質論者の人たちからすれば、
そういう真実は隠されていますから…。
           (つづく)
 

水のようにさらさらと流れてゆく生命(12)

2021-03-19 06:55:07 | 日記
      (前日からの続き)
地上の生活の中では、自分というものが
無くなっちゃったら困る訳ですけど、本当の
世界へ突入して行くと、自分というものが
有っても無くてもどっちでも構わない。
何故かというと、神様と一つになる世界
なんだから。
自分というものが必要に応じれば
出て来るし、必要がなければ出て来ない。
というのが本来の光の世界なんですね。
だからそういう所まで人間を、どんな人でも
神様は持って行くんです。
そこまで修行させるし、修行なんて
思わなくてもそこまでちゃんと道案内して、
守護霊や守護神、いろんな人たちが
あなたたちを連れて行ってくれる。
その連れて行かれ方というのは、みんな
千差万別ですけれども。
            (つづく)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(11)

2021-03-18 10:35:04 | 祈り
      (前日からの続き)
肉体というものの生命は、たかだか
50年か60年か、よく生きて80年か…
人間の本体はそんなもんじゃないですから、
7,80年の生命は何ともないわけですね。
私のように神様に生命を返してしまったと
いうことは、神様と一つになってる。
神様というのは、前にも言いましたように、
無限の供給、生命の供給なんです。

ところが、無限の生命の供給というと、
永遠に生命が続いて死なないんだと。
肉体の生命がずっと続いて行くんだ
というように、地上の生きている側から
すれば、そういう想像しか出来ないん
ですが、そうではない。
自分の奥の奥の生命そのもの、本質的な
生命の時間がずーっと続くということです。
余分なものがどんどん払われて、祈りと
自分が一つになって、祈りが自分なんだか、
自分が祈りなんだかわかんない。
そこまで世界平和の祈りを唱えて唱えて、
そして、空を突き抜けて、無を突き抜けて、
光の中へ突入しちゃうと、こりゃもう自分
というものが、その時どうでもいい訳です。
           (つづく)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(10)

2021-03-17 07:55:41 | 祈り
     (前日からの続き)
しかし地上に生活していると、やっぱり
食べることが大事、寝ることが大事、本当に
大事なことで、忘れちゃ困るし、肉体を
可愛がってやらないと困るけれども。
ただ食べるため、お金をもうけるため、
立場を守るために肉体はあるんじゃない。
現れているんじゃない。
肉体がすべてじゃない。
その奥の奥に、本当に自由自在な自分という
存在がいて、その自分というのは神様と
キッチリつながっているということを
考えてゆきますと、何をなさなきゃいけないか、
何をしなきゃいけないかということになる。
やはり徹底して自分を無くしてゆく時に
本当に大きな働きが出来る。
それは自分がさせてもらえる。
自分で何かをやろうといっても何事も出来ない。
何事かをしようとする時に、祈ってごらんなさい。
祈ると本当に思いもかけない道が開いて来たり、
それから思いもかけない援助が来たり、
お金が必要だと思っているとお金が入って
来たり。
でもお金だけが欲しいと思うと入って来ないんです。
お金だけが欲しいとか、地位だけが欲しいとか、
そういう欲というのにからんで、それだけを
欲しい欲しいと思うと、来るかもしれないけれど、
念の入ったものが入って来る。
体が痛んだり、病気になったり。
                (つづく)