和室のある家を設計する機会が非常に減ったと感じます。そこで和室について少し考えてみました。
まず、部屋の名称からなのですが、
1970年代頃までの建築物の図面(PLAN)を見ると
部屋名は「洋室」「和室」という表現が多くみられます。
それに対して、最近は部屋も形態ではなく「主寝室」「子供室」のように
用途で呼ぶことが多いです。
現代建築は用途に応じた部屋を準備する方向に発展しましたので、
こういう風になったような気がします。
ここでいつの間にか、ことわりがない限り「部屋=洋室」になっています。
「和室」はあくまで「和室」で、用途のない部屋、だからプログラムに乗ってこないとなってしまいました。
そういう中で和室は「畳コーナー」に名をかえ、細々と生きながらえていることが多いです。
こういう中でも、和室を作られる住宅があります。
私の設計した、あるお宅では小さな和室を作りました。
住宅の中で唯一「無目的の部屋」です。ところが、この部屋はお子さんの勉強や、
奥様の家事、ご主人の書斎としてフル稼働しているようです。それぞれ広いお部屋を
準備した比較的大きな住宅なので、この3帖をフル稼働させる必要もないのですが。
さて、現代の和室は「唯一の無目的・多目的空間」です。
無目的ですが、和室には「居心地」という、日本人には大きな「魅力」があるのでしょう。
そして、一抹の疑問を感じるのは、
今の子供たちは「和室での生活経験が全くなく大人になってしまう。」ことも多いことです。
少し残念な気がします。
魅力はあるのですが、この空間を確保するというのは、
やはり敷地の制約などもあり、とてもとても贅沢なことだな~とつくづく思います。
ましてや床の間などは「ぜいたくの極み」なのかもしれません。
フタが自動で開く便器を設置されたお客様から竣工後にいただいた、ご相談
奥様;掃除しようとするとフタが開いて、頭をぶつんです
私;スイッチOFFするしかないですよ
ご主人;ショールームで、ふたが閉まった状態で一番これがきれいだったから、選んだんですが、見れないんですよね。トイレはいるとふたが開くから・・・・
私;確かに入ればすぐ開きますね、まずかったですかね。
センサーが反応しない距離は計算してませんでした。
しばらくスイッチ切られたら、見れますよ。そして手で開ける・・・・
ご主人;開いていくところの動きがいいんだよね
私;じゃあ、トイレの扉開いたら、すぐ入らずに廊下から少し眺めるというのは・・・
ご主人;まあ、そうするか
書いてみると、嘘みたいな話ですが、大真面目に話してたんですよ
私も、まじめすぎた。
玄関のない住宅を作ってみました | ||
最近、住宅にとって玄関は必要かな?と考えることがあります。
F邸;食卓が置かれた土間、 |
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玄関はコミュニケーションのバリア? |
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逆に、私の知人(70歳代のご夫婦)は玄関の無い家から、有る家に建て替えました。お施主様は職人さんの親方で、以前は、1階に食堂兼土間があり、ここで仲間の職人さんと食事をし、客ともこの土間で話をしていました。仕事をリタイアされたのを期に、新しい玄関付の家に建て替えられました。 この土地で長くお住まいだったために、たとえば「おすそ分け」などで、近所の人が気軽に立ちよられますが、最近は玄関先で「ここでいいから」といって帰る方がいらっしゃいます。皆あがりこむのを遠慮しているのです。靴を脱ぐ、あがるという一連の行動が、遠慮という心理的なバリアになっているのです。 そもそも、玄関は、格式を表現したり、客をあげる人とあげない人に選別するなど、住宅の「受付機能」を持っています。それに比べ「気軽な交流場所」としては、作業と暮らしが一体化した民家などの土間空間や町家の縁側等が思い浮かびます。 |
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自分らしい玄関の作り方を考えてみてはいかがでしょうか? | ||
玄関のつくりは個々人、家庭によって違ってくると思います。たとえば、セールスの人を玄関で対応したい方、玄関より奥は出来るだけ人に見せたくない方、いっそのこと無くてもよい方などさまざまです。ぜひ、漠然と玄関を付けるのではなく、自分らしい大きさやしつらえや機能を考えてみてはいかがでしょうか。そのときに、玄関は住まいのなかで外の世界とつながる場所、コミュニティーの場所、と考えてみてはいかがでしょう。 昨日提案したお宅では、この考えをより発展させ、土間の空間を家族のホームライブラリーと位置付けて、いろいろな活動ができるものにして提案しました。ただ通り過ぎるだけの玄関の面積で、素敵な暮らしが生まれるといいなと、考えています。 |