水神(帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい))を一気に読みました。<o:p></o:p>
水の利用が大変不便で、水田も少なく農民の生活は苦しくてひどいものでした。<o:p></o:p>
その地の五庄屋が私財をなげうち、筑後川に堰(大石堰)をつくり、用水をつくる話です。
全体の文章は非常に平易な書き方をしているのに、農民の苦労がにじむ筆致でした。<o:p></o:p>
地元では有名な話なのですが、小説で読むことでリアルに感じることができました。<o:p></o:p>
<o:p> </o:p>
さらに、会話は筑後弁で書いてあるため、私の言葉も田舎の言葉に戻りそうな気がしました(筑後地方出身のためです)。<o:p></o:p>
<o:p> </o:p>
以前、秋田県大仙町の用水の調査などをしたことがあります。<o:p></o:p>
用水の配置は非常に高度な計画がされていました。<o:p></o:p>
総延長をできるだけ長くとること、かつ高低差にミスがあれば水は流れません。<o:p></o:p>
分岐点では正確に水を割り振る工夫も必要です。<o:p></o:p>
この技術を支えた、当地の和算の水準も、当時のトップクラスの数学でした。<o:p></o:p>
<o:p> </o:p>
最近はスマホばかり見て、読書時間減っていたので、ちゃんと本読まなきゃとかも思いました。<o:p></o:p>
事務所の三つ折りパンフレットを作ってみました。
作品集は気軽に渡せないし、名刺だけだと、どんなことしてるか話がしづらいので。
役に立つとは思いますが。こんなに配れるかは疑問です
先日、雨の中を、ある美術館に行ってきました。<o:p></o:p>
美術館は深い軒の出が印象的な建物です。この美術館は庭園も俗にいうと「売り」の一つです。<o:p></o:p>
今は新緑の真っ盛り、薄暗い展示室からでたホールのガラス越しの新緑はとても美しいものです。<o:p></o:p>
あいにくの雨なのですが、その分、緑は様々にあざやかな「みどり」を発揮しています。<o:p></o:p>
もしかしたら、晴天より少しの雨の方が、植物にとってはうれしい瞬間なのかもしれません。そんなみどりです。
そこで、ふと気づいたのですが。この建物は雨どいが無いのです。
軒先から、ぽたぽたと雨が落ちます。
それが、一層、庭の景観に変化というかリズムをつけているように感じます。
(雨がリズムをつけるのか、見ていて飽きないのです)
<o:p></o:p>
さて、ということは、いきなり明日からの設計は、雨といなしとも行きません。<o:p></o:p>
特に東京の住宅では、隣地境界までいっぱいに建物を建てるということが求められます。その中で深い庇をつければ、仮に民法50cmの上に庇の深さだけ壁面を後退させることとなれば、土地の有効利用という面で課題が出ます。さらに庇は高さ制限という法規にも影響が大きいものです。
(民法の50cmの離れは外壁面であり、庇は除くという解釈もあります)<o:p></o:p>
庇は日照をコントロール(夏の日差しは避け、冬の日差しを導く)し、外壁の汚れを防止しと日本の風土には適しているのですが、東京という大都市は想定外だったようです。<o:p></o:p>
そのような中で、庇をつけない建物で樋をつけなければ、外壁の汚れは見るも無残になります。また隣のお宅まで雨水が入ってしまったりトラブルの元です。<o:p></o:p>
雪がそんなに降ることもない東京の家に、雪止めがついていることの不思議さも同様です。雪が隣地に入るのを防いでいるわけです。
都市で住む家を設計するのは、やはり情緒以外に重要なこともあります。<o:p></o:p>
<o:p></o:p>